「私はだれを恐れよう」(礼拝メッセージ2019/10/13)

詩篇は信仰の告白です。ダビデは「主は、私の光、救い、いのちの砦」と告白しました。どんなに敵や恐怖が強大であっても、主は自分を守り、勝利を与えて下さると信じ切って祈っています。
私たちは何を恐れているのでしょうか。主に信頼する、恐れて退いてしまうことのない信仰生活とはどのようなものでしょうか。

1.私たちが恐れるもの
私たちが恐れるものにはどんなものがあるでしょうか。
・病気や災害 ・事故や怪我 ・霊的な敵 ・死や老い ・経済的危機 ・仕事関係や人間関係の失敗 ・本当の自分を知られること
・プライドが傷つけられること
しかし、私たちが本当に恐れなければならないのは、すべてを支配なさっているお方、主なる神様です。

彼らを恐れてはいけません。・・・からだを殺しても、たましいを殺せない者たちを恐れてはいけません。むしろ、たましいもからだもゲヘナで滅ぼすことができる方を恐れなさい。・・・恐れてはいけません。あなたがたは多くの雀よりも価値があるのです。マタイ 10:26~10:31

2.主は言われる「恐れるな」
強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。・・・主があなたと共におられるのだから。ヨシュア 1:9

それは 主が 苦しみの日に私を隠れ場に隠し その幕屋のひそかな所に私をかくまい 岩の上に私を上げてくださるからだ。詩篇 27:5

本来恐れなければならないお方を恐れずに、恐れなくても良いものを恐れてしまうような、みことばに従わない、私たちの信仰姿勢に問題があります。
すべての問題は、主イエス様の十字架の贖いによる救いと、主イエス様が共にいて下さることによって解決しています。今、罪がすべて赦された私たちにとって、恐れを抱く要素はまったくありません。

3.私は恐れない
主よ だれが あなたの幕屋に宿るでしょうか。全き者として歩み 義を行ない 心の中の真実を語る人。・・・友人に悪を行わず・・・このように行う人は 決して揺るがされない。 詩篇 15:1~5

ダビデは、主を恐れ、主の前に誠実に歩む者は、何をも恐れずに平安の内に主と共に生活することができると言っています。
私たちは、何をも恐れず、みことばの約束を信じて、主の家に住まわせていただきましょう。嫌いな人の家に行きたくないものです。

愛する者たち、あなたがたがいつも従順であったように、私がともにいるときだけでなく、私がいない今はなおさら従順になり、恐れおののいて自分の救いを達成するように努めなさい。ピリピ 2:12

「神のすべてのしもべたちよ。神を恐れる者たちよ、小さい者も大きい者も 私たちの神を賛美せよ。」黙示録 19:5

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