礼拝メッセージ

トマスはイエスに答えた。「私の主、私の神よ。」
イエスは彼に言われた。「あなたは私を見たから信じたのですか。見ないで信じる人たちは幸いです。」  ヨハネ20,28,29

「見たから信じた」とは、「見ていないから信じない」ということです。イエス様は、見ないで信じる者こそが幸いだとおっしゃいました。

1.大切なものがすべて見えるとは限らない
人間に見えているのは、電磁波の内のごく一部の可視光線だけです。ましてや、生活圏外、霊の世界、過去・未来、ほとんどが見えていません。「見えるものしか信じない」ということは、不合理で非現実的です。
聖書は、見えないものこそ大切なものだと教えます。それは、救いであり、永遠の命です。見えないからといって信じることをやめて不信仰に陥ってしまえば、最も大切なものを失ってしまいます。

私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。Ⅱコリント4:18

私たちは、この望みとともに救われたのです。目に見える望みは望みではありません。目で見ているものを、だれが望むでしょうか。
私たちはまだ見ていないものを望んでいるのですから、忍耐して待ち望みます。ローマ 8:24,25

2.私たちを生かすもの。それは信仰。
間違ったもの、不確かなものをいくら熱心に信じても、真実なものに変化したりはしません。真実な神様、ひとり子をお与えになったほどの愛、歴史的事実の十字架の贖いと復活、これら確かなものを信じる信仰こそが、私たちを罪から救い出し、新しい生き方、永遠の命へと導くものです。

イエスは彼に言われた。「あなたは私を見て信じましたね。でも、見ないで信じるのが信仰です。信じる人は幸いです。」ヨハネ20:29(現代訳)

さて、信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。 ヘブル11:1

3.永遠の天を目指す生活

目に見えるものだけを求める生き方とは、自分が納得し、自分が利益を得て満足する、自分中心の生き方であり、御利益信仰です。イエス様が幸いだと言われたのは、神様は創造主であり主権者なので、被造物である私たちは、見なくても、見えなくても信仰によってみことばに従うことです。

私たちは見えるものによらず、信仰によって歩んでいます。Ⅱコリント5:7

これらの人たちはみな、信仰の人として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるか遠くにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり、寄留者であることを告白していました。ヘブル11:13

イエス様と同時代に生きてイエス様と触れ合い、奇蹟を目撃し、直接教えを聞いた人たちは幸いでしょう。しかし、イエス様は、見ないで信じている現代の私たちの方が幸福だとおっしゃいました。

そこで、私がまず第一に勧める〈強く訴える〉事は、願いと祈りととりなしと感謝とが、すべての人々のためにささげられ、王たちと権威〈重い責任〉の地位にあるすべての人々とのために〔ささげられる〕ことです。それは、私たちが、あらゆる面において全く信仰深く〈敬けんに〉、また謹厳さをもって、〔外的に〕静かな〈落ち着いた〉、そして、〔内的に〕平和な生活を送るためです。このような〔祈り〕は善い事〈正しい事〉であり、私たちの救い主である神に喜ばれる〈受入れられる〉事です。この〔神は〕、すべての人々が、救われて〔神の〕真理をますます明確に〈正しく〉悟る〈認める〈見分ける〈知る〉ことを、望んでおられるのです。〔その真理とは〕神は〔唯〕一であるということ、そして、神と人との仲立ち人も〔唯〕一、すなわち人間キリスト・イエスである、ということです。この〔キリスト〕はご自身をすべての〔人々の〕ために身のしろ金としてお与えになりました。〔それは〕適切な〔ちょうど良い〕時に証明された〔事実なのです〕。 Ⅰテモテ 2:1~6(詳訳)

現在、世界58箇所(アフリカ、アジア、中南米)で戦争、紛争、内戦、内乱が起こっており、過去一年間に1万人以上が死亡した紛争は4件です。 日本は戦後73年間、平和が続いていますが、未だに領土の不法占拠、領海侵犯、拉致被害、核・ミサイル攻撃の脅威などが続いています。
神様は、国や地方の指導者のためのとりなしの祈りを喜ばれます。

1.すべての人、高い地位にある人々に
パウロはすべての人、特に国民のためひいては世界平和のための重責を担っている国の指導者のために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるように強く訴えています。

人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられているからです。・・・・恐れるべき人を恐れ、敬うべき人を敬いなさい。ローマ 13:1~7

2.とりなしの祈りの目的
神様は、愛する私たちが平安で平穏な生活を送る事を願っておられます。隣人と国や地方の指導者へのとりなしの祈りと感謝の心が、敬虔な信仰生活へとつながります。どんな国でも家庭でも内輪もめしていては立ち行きません。クリスチャンは争いを引き起こす者ではなく、平和を作る者です。
1)信仰深い生活 2)平和な生活 3)神様に喜ばれる事

イエスは彼らの思いを知って言われた。「どんな国でも分裂して争えば荒れすたれ、どんな町でも家でも分裂して争えば立ち行きません。 マタイ 12:25

人が立てたすべての制度に、主のゆえに従いなさい。それが主権者である王であっても、・・・・すべての人を敬い、兄弟たちを愛し、神を恐れ、王を敬いなさい。Ⅰペテロ 2:12~17

3.神様が望まれていること

神様が望まれていることは、国の指導者も含めてすべての人がイエス様によって救われて真理(唯一の神様、唯一の救い主イエス様、イエス様の贖い)を知ることです。そのためには、国の指導者にも、イエス様の福音が伝えられる必要があります。祈り、とりなし、感謝をささげましょう。

神は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます。   Ⅰテモテ2:4

神は、劣ったところをことさらに尊んで、からだをこのように調和させて下さったのです。           Ⅰコリント 12:24(第2版)

調和とは「全体がよくつりあって、矛盾や衝突がなく、まとまっていること」です。神様は、人体を調和のとれた完全な、素晴らしいものとして創造されました。同様に、イエス様を土台とし、頭とした教会も調和のとれた完全な、素晴らしいものとして下さいました。
あなたは今、神様が調和させて下さっている調和の中にいますか。

1.民族、地位、立場、性別、貧富、能力の調和
すべてのクリスチャンは、神様の前に平等であり、一つの体です。

私たちはみな、ユダヤ人もギリシャ人も奴隷も自由人も、一つの御霊によってバプテスマを受けて、一つの体となりました。そして、みな一つの御霊を飲んだのです。  Ⅰコリント 12:13

2.賜物・奉仕・働きの調和
神様はそれぞれに賜物・奉仕・働きを与えて下さいましたが、貴賤はありません。神様の定めた秩序はありますが、お互いに尊敬し合うことです。

ある人には御霊を通して知恵のことばが、・・・・同じ一つの御霊がこれらすべてのことをなさるのであり、御霊は、みこころのままに、一人ひとりそれぞれに賜物を分け与えて下さるのです。 Ⅰコリント 12:9~11

3.調和を保つために大切なこと
1)私はキリストのからだ
あなたは自分自身がイエス様のからだであることを信じ受け入れていますか。

他人のしもべをさばくあなたは何者ですか。しもべが立つか倒れるか、それは主人次第です。しかし、しもべは立ちます。主は、彼を立たせることがおできになるからです。 ローマ 14: 4

2)私は教会
あなたは、自分自身がこの世での「小さな教会」であることを信じ受け入れていますか。

あなたがたは使徒と預言者の土台の上に立てられており、キリスト・イエスご自身が隅の親石なのです。この〔かた〕にあって建物全体は調和をもって組み合わされ〈結び合わされ、密着させられ〉ており、主にあるきよい宮〈主の御前にささげられた、聖別された、きよい神殿〉へと高められて〈成長して、発展して〉ゆくのです。彼にあって〈また互いの交わりのうちにあって〉あなたがた自身も、他の人々とともに〔この建物となるように〕建てられているのであって、み霊にあって〈よって、を通して〉神の定住される所〈みすまい〉を形造るのです。 エペソ 2:20~22(詳訳)

3)最も大切なことは「愛」
イエス様によってみながひとつになりました。その根底は「私に注がれた十字架の愛と赦し」です。

私は今、はるかにまさる道を示しましょう。たとえ私が人の異言や御使いの異言で話しても、愛がなければ、騒がしいどらや、うるさいシンバルと同じです。Ⅰコリント 12:31~13: 1

この主イエスは、私たちの罪のために、裏切られて殺され、私たちの義認〈無罪放免〉を獲得するため《私たちを神の前においてすべての罪責から赦免することによって私たちの計算書を不足なしにするため》、よみがえらせられたのです。ローマ人への手紙 4:25(詳訳)

1.イエス様の死
天地の造り主・全能者・主権者・裁き主・神であられるイエス様が人となってこの世に来られたこと、33年の生涯を歩まれたこと、人々に裏切られ苦しみを受けられたこと、最後は十字架で死なれたこと、これら全ては私たちの罪のために行われたことでした。

しかし、彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒された。私たちはみな、羊のようにさまよい。それぞれ自分勝手な道に向かって行った。しかし、主は私たちすべての者の咎を彼に負わせた。  イザヤ 53:5,6

2.イエス様のよみがえり
死んで葬られたイエス様は、私たちの罪を消し去り、私たちの神様に対する罪責・負債・不足をすべて無くして関係を回復させて、恵みを受けられるようにするためによみがえられました。イエス様のよみがえりは、サタン・悪霊・罪に対する勝利です。

いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。コロサイ 2:14

3.父なる神様の主権とイエス様の服従
イエス様は「殺され」「よみがえらせられ」ました。ご自身の意思ではなく、全面的にご自分を捨てて、父なる神様のご計画にすべてを任せられました。父なる神様とイエス様の御思いは、「私たちを罪から救う」この一点に集中していました。ここに神様の愛があります。

私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。   Ⅰヨハネ4:10
わたしが天から下って来たのは、自分の思いを行うためではなく、わたしを遣わされた方のみこころを行うためです。  ヨハネ 6:38

4.私の歩みに神様のみこころがなりますように

父なる神様とイエス様の愛は計り知れません。私たちはどれほど愛されていることでしょうか。世界中の者が敵になっても、天地が滅び失せても、神様の愛は変わりません。私たちが自分の利益や満足のためではなく「神様のみこころがなりますように」と祈り求める生き方は、最も幸いです。

キリストはすべての人のために死なれました。それは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためです。Ⅱコリント 5:15(Ⅰヨハネ2:15~17)

今日のみことばは、十戒の第三戒「主の名をみだりに口にしてはならない」です。
国語的にみだりに【妄りに・濫りに・猥りに】は次のことを意味します。
①  分別なく行うさま。 「~口出しをするな」
②  正当な理由や資格もなく行うさま。 「~立ち入ることを禁ず」

悪のために(自分中心的事柄のために)、偽りのために、むなしいことのために、主の御名をみだりに唱えてはなりません。

主の名をみだりに口にするとは、次の3つの意味があります。

1.偽りの誓い

あなたがたは、わたしの名によって偽って誓ってはならない。そのようにして、あなたの神の名を汚してはならない。わたしは主である。 レビ19:12

2.主を悪く言う

だれでも誘惑されているとき、神に誘惑されていると言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑することもありません。人が誘惑にあうのは、それぞれ自分の欲に引かれ、誘われるからです。そして、欲がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます。私の愛する兄弟たち、思い違いをしてはいけません。 ヤコブ 1:13~16

3.言行不一致

きよい人たちには、すべてのものがきよいのです。しかし、汚れた不信仰な人たちには、何一つきよいものはなく、その知性も良心も汚れています。彼らは、神を知っていると公言しますが、行いでは否定しています。彼らは忌まわしく、不従順で、どんな良いわざにも不適格です。しかし、あなたは健全な教えにふさわしいことを語りなさい。  テトス 1:15~2: 1

イエス様はご自身の命、偽りのない愛によって、私たちを救い出して下さいました。今も変わらない愛によって、私たちを導いておられます。イエス様は真実で一途なお方ですから、私たちにも真実な愛を求めておられます。あなたはどのように応答しますか。

私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。神を愛する者は、兄弟をも愛すべきです。私たちはこの命令をキリストから受けています。イエスがキリストであると信じる者はみな、神から生まれたのです。生んでくださった方を愛する者はみな、その方から生まれた者も愛します。このことから分かるように、神を愛し、その命令を守るときはいつでも、私たちは神の子どもたちを愛するのです。神の命令を守ること、それが、神を愛することです。神の命令は重荷とはなりません。神から生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。   Ⅰヨハネ 4:19~5: 4

万事について〔神に〕感謝しなさい〈環境がどのようであっても、感謝深くあり、感謝をささげなさい〉。というのは、それはキリスト・イエスにあるあなたがたに対する神のみこころであり〔キリストはそのみこころの啓示者または仲介者であられる〕からです。 Ⅰテサロニケ 5:18(詳訳)

クリスチャンの根本的な態度として「いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことについて感謝しなさい。」と勧められていますが、私たちは「いつもいつもそんなことはできない。難しい時の方が多いですよ」と反論し、できない自分に失望してしまいます。
神様は、根拠なく私たちにできないことを命じておられるのでしょうか。そうではありません。それは神様のみこころであり、イエス様によって実証済みですし、私たちにとって信仰による最善の生き方です。

1.悪意を捨てる(Ⅰテサロニケ 5:12~15,22)

1)指導者への尊敬
みことばから警告し戒めてくれる指導者へ愛を示し、尊敬し、互いに平和に過ごすよう勧められています。

2)寛容であれ
だらしのない者・わがままな者を戒め、臆病な者を励まし、弱い魂を支え、あくまでも忍耐強くあるように勧められています。

3)悪から離れよ
悪に対して、善(親切、益)で返すように勧められています。

2.環境に左右されない感謝
環境に左右されず、いつも感謝深くあるように勧められています。それは、私たちが神様の怒りからイエス様によって救われたので、生きていても死んでいてもイエス様のいのちにあずかれるからです。究極の救い、幸いをいただいているので、すべてのことについて感謝できます。

神は私たちを〔ご自身の〕怒りに〔あわせるために〕お立てになったのでは〈彼は私たちを罪に定めるために選ばれたのでは〉ありません。私たちの主イエス・キリスト〈メシア〉を通して〔彼の〕救いを〔私たちが〕得るためなのです。この〔キリスト〕が私たちのために死なれたのであり、それは、私たちが〔キリストの顕現のときに〕なお生きていようと、あるいは死んでいようと、私たちが彼とともに生きる〈彼のいのちにあずかる〉ためなのです。 Ⅰテサロニケ 5:9,10(詳訳)

3.イエス様が示して下さった神様のみこころです

イエス様は身を持って、すべてのことについて感謝する生き方を示して下さいました。神様の栄光とみこころを最優先にした歩みです。

「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」ルカ22:42

わたしが天から下って来たのは、自分のこころを行なうためではなく、わたしを遣わした方のみこころを行なうためです。    ヨハネ 6:38

彼の主人は彼に言った、『みごとだ。おまえはまっすぐな〈りっぱな、感心な〉そして忠実なしもべだ。おまえは少しのものについても忠実であった。〈信頼できる者であった〉。私はおまえに多くのものを管理させることにする。主人の〔喜ぶ〕喜び〈歓喜、幸福〉にはいれ〈をともにせよ〉』。       マタイ 25:21(詳訳)

イエス様は、天の御国を「十人の花嫁」と「旅に出る主人」にたとえました。ここでは、神様から各人に預けられている「主の財産」を、終末に備えて正しく管理・運用するように勧めています。神様の信頼に応えて忠実に管理したか、不信仰で働かず管理を怠ったか、すべてを清算する日が来ると告げています。

1.主の財産

1)どんなもの?
能力、経験、時間、賜物、財産、職務、社会的信用など。

2)能力に応じて
主はみこころのままに、各人にふさわしいタラント(財産)を託して下さいました。他の人を妬んだり、自己卑下したり、優越感を持つ必要はありません。

思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。むしろ、神が各人に分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深く考えなさい。
ローマ 12:3

3)各人に与えられている賜物の大きさ
タラントを現在のお金に換算すると、5タラント=3億円、2タラント=1.2億円、1タラント=6千万円になります。私たちは、主の御国の働きのために想像以上の賜物をいただいています。

2.忠実なしもべ

1)小さなものにも一生懸命
神様との関係が周囲の状況に依存せずに確立していれば、多少のことがあっても安定した揺るがない信仰生活を送ることができます。(ヤコブ1:25)

2)信頼できる者
神様が信頼して下さる者になれるとは何と幸いでしょうか。

3)主の喜びを共有する
聖書によって主のみこころを正しく理解し喜んで従える歩みは幸いです。

3.忠実な者への祝福

主は忠実な者への祝福として財産を増やし、天の御国での支配権を与えられる。(黙示録 22:5)

主は、恵みの良い管理者として、賜物を独占して自分のために使うのではなく、かえって、互いに愛して仕え合うように命じています。
(Ⅰペテロ4:7~11)

だれもまだ神を見たことはない。ただひとりの比類のないみ子、ひとり子の神、み父のふところにおられる〔すなわち父に最も身近におられる〕かた、そのかたが神を現わされた〈啓示された、目に見えるように現わされた、神を説き明かされた《知らされた》〉。ヨハネ 1:18(詳訳)

1.啓示の神様
1)自然による啓示

神の、目に見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界が創造されたときから被造物を通して知られ、はっきりと認められるので、彼らに弁解の余地はありません。ローマ 1:20

2)聖書による啓示
あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って、聖書を調べています。その聖書は、わたしについて証ししているものです。  ヨハネ5:39

3)ご自身を啓示(神様を見た人)
ハガル(創世記16:13)、ヤコブ(創世記32:30)、モーセ、アロン、ナダブ、アビフ、70人の長老(出エジプト24:10)、イザヤ(イザヤ6:5)、ヨハネ(黙示録1:17)、彼らは神様を見た人たちです。

2.神様の完全な解釈者・啓示者であるイエス様

1)永遠に存在されることば=イエス様
初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。 ヨハネ 1:1

2)私たちの間に住まわれた
永遠の神様であられるイエス様は、神様ご自身を説き明かし、神様のみこころを現わすために、人となってこの地に来て下さいました。

ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。 ヨハネ 1:14

イエスは彼に言われた。「ピリポ。こんなに長い間、あなたがたと一緒にいるのに、わたしを知らないのですか。わたしを見た人は、父を見たのです。  ヨハネ 14: 9

3.現在、証しする者

1)聖霊様
わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします。ヨハネ 15:26

2)クリスチャン
いまだかつて神を見た者はいません。私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにとどまり、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。    Ⅰヨハネ4:12(ヨハネ13:35)
神は、・・・、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。Ⅱコリント 5:19

兄弟たち。あなたがたは自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉(利己心のための※詳訳)の働く機会としないで、愛をもって互いに仕え合いなさい。 ガラテヤ 5:13

1.与えられた自由

1)何からの自由なのか
私たちは自由を与えられるために救われました。以前は何に束縛され、何の奴隷になっていたのでしょうか。罪・お金・欲望・憎しみ・悪意・自己中心・周りの評判・善行・自己満足・自分の理想などです(ローマ1:29~31)。それらの束縛からイエス様は解放して下さいました。

2)ガラテヤ教会の場合
ガラテヤの兄弟姉妹は、忍び込んできたニセ教師、ユダヤ主義者たちによって惑わされ、イエス様が与えて下さった信仰による義を否定し、行ないによる義、ユダヤ教の儀式やおきての奴隷となってしまいました。

キリストは、自由を得させるために私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは堅く立って、再び奴隷のくびきを負わされないようにしなさい。    ガラテヤ 5: 1

2.自由の乱用-肉に従う歩み-
しかし、与えられた自由を間違って信じてしまい、逆に救われる前の生活に戻ってしまうという問題が発生しました。恵みが注がれており、自由が与えられているなら、肉に従っても良いという考えです。

それでは、どのように言うべきでしょうか。恵みが増し加わるために、私たちは罪に留まるべきでしょうか。ローマ 6: 1

3.御霊による歩み
主から与えられた自由は、内住される聖霊様に従い導かれることによってのみ正しく用いられます。御霊の実である「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」は、どれも肉の考えによる自由とは相容れないものがあります。「主の奴隷となる。愛をもって兄弟姉妹が互いに仕え合う。主の弟子として訓練を受ける。人々の救いのために犠牲を払う。」これらも自由とは真逆の歩みです。
しかし、「真理はあなたがたを自由にします。(ヨハネ8:32)」と言われたイエス様が与えて下さっている自由です。なぜなら、真理=イエス様ですから、イエス様の奴隷となることが、すべての束縛から解放された本当の自由な歩みです。

主は御霊です。そして、主の御霊がおられるところには自由があります。 私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。       Ⅱコリント 3:17,18

自由な者として、しかもその自由を悪の言い訳にせず、神のしもべ(神の奴隷※第2版)として従いなさい。Ⅰペテロ 2:16

オンヌリ教会日本宣教師 ナ・ムンチェ師

そこで、わが子よ、キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。
多くの証人たちの前で私から聞いたことを、他の人にも教える力のある忠実な人たちにゆだねなさい。
キリスト・イエスの立派な兵士として、私と苦しみをともにしてください。                     Ⅱテモテ 2:1~3

1.イエスの恵みによって強くなる

1)救われた恵み
あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。 エペソ2:8

2)失敗しても立ち返えられる恵み
もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。Ⅰヨハネ1:9

3)私の中に臨んで共におられる恵み
見よ。わたしは、世の終りまで、いつも、あなたがたとともにいます。 マタイ28:20
私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。 ガラテヤ2:20

2.伝えて、育てて、委ねましょう
霊的4世代モデル
パウロ→テモテ→忠実な人→他の人々

3.キリストの立派な兵士

1)神の全ての武器であるイエスを着る
私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。 エペソ6:12,13

2)苦しみを受けても喜びおどる
わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。 マタイ5:11,12