礼拝メッセージ

イザヤは紀元前8世紀に、南ユダ王国において約50年にわたり活躍した預言者です。彼は幻を通して不思議な方法で預言者としての召命を与えられ(イザヤ 6:1~13)、5人の王(ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤ、マナセ)の時代に、罪の告発、ユダ王国の滅亡、捕囚からの解放、メシヤ預言(誕生と受難)、新天新地などの預言をしました。

1.罪の告発
イザヤの時代に、ユダ王国は見せかけの繁栄に酔いしれ神様を拒絶し、道徳的退廃、社会的不正、宗教的偽善が蔓延していました。神様は彼らの態度に失望していますが、愛によって悔い改めと赦しの道を提供されます。

わざわいだ。罪深き国、咎重き民、悪を行う者どもの子孫、堕落した子ら。彼らは主を捨て、イスラエルの聖なる方を侮り、背を向けて離れ去った。・・・あなたがたの手は血まみれだ。洗え。身を清めよ。・・・あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。イザヤ 1:2~31

2.主に拠り頼め
ヒゼキヤ王はアッシリアの王センナケリブに攻め込まれた時に、イザヤを頼って祈りを要請しました。主はヒゼキヤ王の信仰に応えられ、イザヤを通して「エジプトに頼らず主にのみ頼るように」と励まし、主が勝利を与えてくださると約束されました。果たして預言の通りに主ご自身が戦ってくださり、ユダ王国に勝利をもたらされました。

・・・私たちの神、主よ。今、私たちを彼の手から救ってください。・・・主の使いが出て行き、アッシリアの陣営で十八万五千人を打ち殺した。イザヤ37:14~36

3.メシヤ預言
イザヤは救い主イエス様の誕生の約750年前に、ダビデの子孫として誕生されるイエス様の誕生と受難の様子、私たちの救いを克明に預言しました。

1)ダビデの根
わたしイエスは御使いを遣わし、・・・証しした。わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である。黙示 22:16(使徒13:22,23、ローマ15:12)
2)メシヤの誕生
主は自ら、あなたがたに1つのしるしを与えられる。見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。イザヤ 7:14(イザヤ 9:6,7)
3)メシヤの死と救い
・・・まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。それなのに、私たちは思った。神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。・・・彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒された。・・・ イザヤ 53:1~12

過去も現在も未来も、私たちのメシヤ・救い主イエス様に拠り頼みましょう。

わたしが造る新しい天と新しい地が、わたしの前にいつまでも続くのと同じように、・・・イザヤ 66:22

雅歌は、男女(ソロモン王と花嫁)の愛を謳った叙事詩です。この書には神様の名前も信仰的な内容もありません。人間の愛の美しさや激しさ、肉体的魅力の歓喜が率直に謳われています。
雅歌の内容は、イスラエルに対する神様の愛、花嫁である教会に対するイエス様の愛の比喩とも考えられています。

1.人間の愛の美しさ
雅歌には、神様が人を男女に創造された目的にかなった様子が描かれており、男女が互いに尊重し、惹かれ合い、愛し合う姿があります。

わが愛する者が娘たちの間にいるのは、茨の中のゆりの花のようだ。
私の愛する方が若者たちの間におられるのは、林の木々の中のりんごの木のようだ。雅歌 2:2,3

私の愛する方を見つけたら、あの方に言ってください。私は愛に病んでいる、と 雅歌 5:8

2.命を懸けた愛

封印のように、私をあなたの胸に、封印のように、あなたの腕に押印してください。雅歌8:6

花嫁は、自分を花婿の胸と腕から決して離れないように、決して消えないように刻み付けて下さい、と願います。命を懸け、死を覚悟した愛がそこにあります。それはまさに、イエス様の私たちに対する愛そのものです。

わたしは良い牧者です。良い牧者は羊たちのためにいのちを捨てます。 ヨハネ 10:11

わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは永遠に、決して滅びることがなく、また、だれも彼らをわたしの手から奪い去りはしません。ヨハネ 10:28

3.ねたむ愛
この二人の愛の炎はすさまじく、愛のねたみは地獄(墓)のように残忍だ、と言っています。それほどの強く激しい愛です。
聖書では神様もご自分のことを「ねたみの神」と言われ、私たちはねたまれるほど愛されていますし、手に刻まれるほど離れ難い者とされています。私たちはイエス様以外のものに心を奪われ、イエス様を第一としない二心、浮気心にならないように注意しましょう。

女が自分の乳飲み子を忘れるだろうか。・・・見よ、わたしは手のひらにあなたを刻んだ。イザヤ 49:15,16

あなたは自分のために偶像を造ってはならない。・・・それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたみの神。 申命記 5:8,9(Ⅰコリント10:22)

私はこう確信しています。死も、いのちも、・・・私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。ローマ 8:38,39

伝道者の書は、「知恵文学」の1つで、著者はソロモンと言われています。その主題は「空の空。すべては空」、究極的なものを見失うとすべては空しいとしています。「創造主なる神様、救い、永遠のいのち」を認めなければ、地上のどんな繁栄、事業、知恵・知識、快楽、名声も空しいものです。しかし、神様に心を向ける時、真の幸いを見出すことができます。ソロモンは自分の人生を振り返り、最善の生き方を示します。

1.神様を無視する心
日の下でどんなに労苦しても、それが人に何の益になるだろうか。伝道者 1:2
神は人を真っ直ぐな者に造られたが、人は多くの理屈を探し求めたということだ。伝道者 7:29

伝道者の書は、日本人が共感する書のひとつと言われます。無神論者を標榜し、神様を無視して生きているため、社会が豊かになり、物質的に繁栄し、学問や医療が進んでも人生に空虚さを覚えることは、至極当然と言えます。私たちは、罪と理屈によって創造主から迷い出てしまい、本来の存在意義を見いだせなくなってしまった一匹の羊のようです。(マタイ18:12)
それは、クリスチャンになってからでも同様です。神様や救い主イエス様を知っていながら、信頼せずに自分中心で行動し、あたかもいないかのように振る舞うことは、感謝と喜びのない、空しい生き方です。

・・・「食べたり飲んだりしようではないか。どうせ、明日は死ぬのだから」・・・ Ⅱコリント 15:32~34

2.順境の日には
人生は、私たちが認めようが認めまいが、すべて神様の最善のご計画によっています。だれにでもあらゆることが降りかかってきます。順境の日には、主に感謝して素直に喜び楽しみましょう。

・・・また、人がみな食べたり飲んだりして、すべての労苦の中に幸せを見出すことも、神の賜物であることを。伝道者 3:10~14
すべての営みには時と裁きがある。人に降りかかるわざわいは多い。何が起こるかを知っている者はいない。いつ起こるかを、だれも告げることはできない。伝道者 8:6,7

3.逆境の日には
すべての人に逆境もまたやってきます。それも神様の最善の御業です。一人で立ち向かうものではありません。神様は耐えられない試練は与えられませんし(Ⅰコリント10:13)、イエス様も聖霊様も共におられ、支え、励まし、より良い道に導いて下さいます。(詩篇119:67、Ⅰテモテ1:19,20)
逆境は、自分の今の信仰姿勢を見直す時であり、信仰を建て直してさらに神様に近く歩み、新たに信仰を深めるチャンスです。伝道者は、権力とあり余る財力であらゆる経験をし、社会の不条理を見て来ました。そこで、みことばに従う道こそが、最善の道であると結論づけています。

神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。神は、・・・すべてのわざをさばかれるからだ。伝道者12:13,14

箴言は大部分がソロモンによって書かれ、充実した人生を送るための実際的教訓集です。神様を敬う知恵のある信仰者の生き方、信者と不信者の違い、知恵のある者と愚かな者の違い、行為とことば、子供の訓育、社会正義、行儀作法、賢い妻などについて記されています。
箴言での「知恵」とは、処世術ではなく、神様を敬いみことばに従うこと、すなわち「信仰」を意味します。
「あなたの心を見守れ」とは、何からどのように守ることでしょうか。

1.守られていない心
あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれから湧く。箴言 4:23

みことばは、自分自身の心を見守らなければ、心がカラカラにひからびてしまうと言っています。心をひからびさせるものとは何でしょうか。それは、サタンの攻撃でも、試練でも、失敗でも、病気でもありません。

1)汚された心
蛇が悪巧みによってエバを欺いたように、あなたがたの思いが汚されて、キリストに対する真心と純潔から離れてしまうのではないかと、私は心配しています。Ⅱコリント 11:3

私たちの思いが汚されると、イエス様に対する純真な思いが薄れてしまい、イエス様を礼拝すること、みことばに従って信仰によって生きること、兄弟姉妹に仕えようとすることもなくなってしまいます。

2)人からの賞賛を求める心
心が、神様からの栄誉や賞賛よりも人からの賞賛や自分自身の満足と楽しみに向き、心が霊的なことより肉的なことに傾いていきます

彼らは、神からの栄誉よりも、人からの栄誉を愛したのである。ヨハネ 12:43

・・・彼らはすでに自分の報いを受けているのです。・・・あなたがたの父が報いて下さいます。マタイ 6:1~18

2.守られている心
守られている心とは、イエス様の愛と赦しの中にすべてを委ねきって憩うこと、いのちの泉で潤されている心のことです。

わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」ヨハネ 4:14

イエスは・・・言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。」ヨハネ  7:37,38

3.心を見守ること
箴言4章では、父の教え、知恵、悟り、訓戒、ことばを捨てずに、曲がったことを言わず、真っ直ぐ前を見て前進するように命じられています。心を見守るとは、みことばから心が離れていないかどうかをチェックし、主に頼って祈り求めることです。

・・・だれが 自分の過ちを悟ることができるでしょう。どうか 隠れた罪から私を解き放ってください。・・・  詩篇 19:1~14

詩篇は信仰の告白です。ダビデは「主は、私の光、救い、いのちの砦」と告白しました。どんなに敵や恐怖が強大であっても、主は自分を守り、勝利を与えて下さると信じ切って祈っています。
私たちは何を恐れているのでしょうか。主に信頼する、恐れて退いてしまうことのない信仰生活とはどのようなものでしょうか。

1.私たちが恐れるもの
私たちが恐れるものにはどんなものがあるでしょうか。
・病気や災害 ・事故や怪我 ・霊的な敵 ・死や老い ・経済的危機 ・仕事関係や人間関係の失敗 ・本当の自分を知られること
・プライドが傷つけられること
しかし、私たちが本当に恐れなければならないのは、すべてを支配なさっているお方、主なる神様です。

彼らを恐れてはいけません。・・・からだを殺しても、たましいを殺せない者たちを恐れてはいけません。むしろ、たましいもからだもゲヘナで滅ぼすことができる方を恐れなさい。・・・恐れてはいけません。あなたがたは多くの雀よりも価値があるのです。マタイ 10:26~10:31

2.主は言われる「恐れるな」
強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。・・・主があなたと共におられるのだから。ヨシュア 1:9

それは 主が 苦しみの日に私を隠れ場に隠し その幕屋のひそかな所に私をかくまい 岩の上に私を上げてくださるからだ。詩篇 27:5

本来恐れなければならないお方を恐れずに、恐れなくても良いものを恐れてしまうような、みことばに従わない、私たちの信仰姿勢に問題があります。
すべての問題は、主イエス様の十字架の贖いによる救いと、主イエス様が共にいて下さることによって解決しています。今、罪がすべて赦された私たちにとって、恐れを抱く要素はまったくありません。

3.私は恐れない
主よ だれが あなたの幕屋に宿るでしょうか。全き者として歩み 義を行ない 心の中の真実を語る人。・・・友人に悪を行わず・・・このように行う人は 決して揺るがされない。 詩篇 15:1~5

ダビデは、主を恐れ、主の前に誠実に歩む者は、何をも恐れずに平安の内に主と共に生活することができると言っています。
私たちは、何をも恐れず、みことばの約束を信じて、主の家に住まわせていただきましょう。嫌いな人の家に行きたくないものです。

愛する者たち、あなたがたがいつも従順であったように、私がともにいるときだけでなく、私がいない今はなおさら従順になり、恐れおののいて自分の救いを達成するように努めなさい。ピリピ 2:12

「神のすべてのしもべたちよ。神を恐れる者たちよ、小さい者も大きい者も 私たちの神を賛美せよ。」黙示録 19:5

詩篇は、人の心の奥底から湧き上がる思いが信仰によって詩として表現されており、歌うことを前提としたものです。内容は、神様のご性質と御業の賛美、国家的な嘆き、王の生涯の出来事、個人的な哀歌、個人的な感謝、メシヤ預言などです。全部で150篇、ダビデによるものが75篇あります。
詩には、敵の存在、自分自身の罪、山積する問題による疑い、怒り、不安、悔い改めなどの心の叫び、神様の偉大さ、赦し、哀れみ、勝利、慰め、深い愛に対する感謝、喜び、賛美など、正直な思いが溢れ出ています。

1.神様に対する絶対的な信頼
ああ主よ、この祈りを聞いてください。王である神様、私の嘆きに耳を傾けてください。私は神様以外のだれにも、決して祈ったりしません。朝ごとに、天におられる神様を見上げ、御前に願い事を申し上げ、ひたすら祈ります。詩篇 5:1~3(LB訳)

あなたはどうしようもなくなって、主に心から叫んだことがありますか。主への心からの叫びとは、自分の願望を達成させるための訴えではなく、どんなことをしてでも主に従いたい、主を礼拝したいとの訴えです。

2.神様に対する正しい認識
神様は、これっぽっちの悪も喜んだりなさらず、どんなささいな罪でも大目に見たりはなさいません。・・・うそはあばかれ、彼らは滅ぼされます。神様は、殺人と欺きをどんなにお嫌いになることでしょう。詩篇 5:4~6(LB訳)

神様は信心深い者を祝福なさいます。ああ主よ、あなたは愛の盾で囲んでくださいます。詩篇 5:12(LB訳)

作者は、主がどのような性質のお方であるかを良く知っていました。主は正義で罪を絶対に是認されないお方、信じて従う者を愛によって守ってくださるお方であると信じていました。私たちもみことばから神様のことを正しく教えていただきましょう。

3.神様の義による導き
しかし私は あなたの豊かな恵みによってあなたの家に行き あなたを恐れつつ あなたの聖なる宮に向かってひれ伏します。・・・あなたの義によって私を導いてください。私の前に あなたの道をまっすぐにしてください。  詩篇 5:7,8

作者は、主を礼拝させていただけること自体が主の豊かな恵みによることだと告白します。そして「主の義によって導いてください」と祈っています。自分自身の義ではなく、信仰によって与えられる主の赦しによる、主の義です。主イエス様の十字架の贖いによる赦しです。
私たちも作者のように「主のみこころによる、主の道を与えて下さい」と祈りましょう。その祈りには「主のお住まいにいつもいっしょにいたい。主のみこころの道に歩みたい」とのへりくだった信仰と服従があります。 霊的なことを軽んじないように、聖められることを求めましょう。

聖さを追い求めなさい。聖さがなければ、だれも主を見ることができません。だれも神の恵みから落ちないように、・・・ ヘブル 12:14~17

ウツの地に、その名をヨブという人がいた。この人は誠実で直ぐな心を持ち、神を恐れて悪から遠ざかっていた。ヨブ 1:1

ヨブ記は「知恵文学」の一部で、人生における深遠な問題「苦しみ」を主題としています。著者や著作年代は不明ですが、内容から族長時代のものと考えられています。ヨブに降りかかった災難、友人たちの主張、神様の現れ、ヨブの回復。ヨブ記は人生、苦しみ、信仰について教えています。

1.因果応報?
私たちは、因果応報の考えを持っていますし、聖書もそのように主張しているように見えるところがあります。そのため「因果応報、勧善懲悪」にそぐわない不条理なことに疑問がわき、神様を疑うようになります。

私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいも受けるべきではないか。」ヨブはこのすべてのことにおいても、唇によって罪に陥ることはなかった。ヨブ 2:10

最初、ヨブは神様に対して誠実な思いを持っていました。しかし、友人たちの因果応報の考えによる「ヨブに罪があるから災いが下ったのだ」との主張に対して「自分に罪は無い。神様の言い分を聞きたい」と、神様の沈黙に対して、不平不満を抱くようになります。

2.神様は主権者
ヨブは、最後に神様から「創造の御業、神様の偉大さと主権」を示されて悔い改めました。友人たちは、もっともらしくヨブを責め、「因果応報」を振りかざしたため、神様にいさめられました。
神様が、ヨブの大きな疑問だった、この世の理不尽な「苦しみ」について明快な答えを与えられたわけではありませんが、ヨブは神様が主権者であることを悟りました。

「知識もなしに摂理をおおい隠す者はだれか」と。ヨブ 42:3

3.主イエス様の愛
私たちは、この地上の世界だけで事の善し悪しを判断してしまいます。しかし、神様は、永遠を見据えておられ、私たちのためにイエス様を死に渡され、私たちにいつも最善を尽くして下さっています。私たちが状況や報酬にかかわらず、どんな時でもイエス様を愛し従うかが問われています。

私たちすべてのために、ご自分の御子をさえも惜しむことなく死に渡された神が、どうして、御子とともにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがあるでしょうか。  ローマ 8:32

わたしは愛する者をみな、叱ったり懲らしめたりする。だから熱心になって悔い改めなさい。見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。 黙示録 3:19,20(ヘブル 12:10,11)

彼らの心は脂肪のように鈍感です。しかし、私はあなたのみおしえを喜んでいます。苦しみにあったことは 私にとって幸せでした。それにより 私はあなたのおきてを学びました。あなたの御口のみおしえは 私にとって 幾千もの金銀にまさります。 詩篇 111:70,71

私たちがサタンに乗じられない(欺かれない)ようにするためです。私たちはサタンの策略を知らないわけではありません。 Ⅱコリント 2:11

パウロは、コリント教会の問題(分派、近親相姦、訴訟問題、自由の濫用、礼拝における混乱など)解決のために手紙を送りました。
いつの時代も問題は人の内にある罪の心、サタンの惑わし、みことばへの不従順、神様よりもサタンのことばを信じて従うことにあります。

1.サタンの策略
サタンは、最初から殺人者で嘘つき(ヨハネ8:44)で、クリスチャンとイエス様の御体である教会を破壊しようと昼夜を問わずうろつき回っています(Ⅰペテロ5:8)。サタンはキリストの使徒、光の御使い、義のしもべに変装することもできます(Ⅱコリント11:13~15)。
ジョン・ストットは「日毎の聖書」創世記の項でサタンの3つの巧妙さを指摘しています。
1)神様の真実さを否定(創世記 3:1)―「あなたは死にません」
2)神様の善を否定(創世記 3:1~5)―禁止事項を魅力的と思わせる
3)神様の「他者性」を否定(創世記 3:5,6)―「神のようになれる」

2.策略に陥っている人
サタンは今日でも同じ方法によって、私たちをだまそうとしています。それは、神様のおことばである聖書を信じないで、サタンのことばを信じ、聖書の命令に従わないで、禁じられていることを行わせることです。
教会の霊的な秩序、みことば、教会の集まり、祈り、献金、伝道、訓練、兄弟姉妹を大切にせずに、自分中心の考えで行動してしまう人は、だまされている人です。それは、実によって判断することができます。

肉のわざは明らかです。すなわち、淫らな行い、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、遊興、そういった類のものです。ガラテヤ 5:19~21

御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。ガラテヤ 5:22,23

3.策略に陥らないために―健全な信仰

主にあって、その大能の力によって強められなさい。悪魔の策略に対して堅く立つことができるように、神のすべての武具を身に着けなさい。・・・すべての上に、信仰の盾を取りなさい。エペソ 6:10,11,16

ですから、神に従い、悪魔に対抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。ヤコブ 4:7,8

私たちは、自分では霊的な世界で戦う力を持っていません。しかし、よみがえられた勝利の主イエス様は、私たちに復活の力と勝利と神様の武具を与えて下さいました。悪魔の働きでさえすべて、神様の御手の中にあります。みことばに従う私たちは、イエス様と兄弟姉妹に仕える心を持って、喜び、感謝しつつ歩むことができます。世ではなく神様を愛し、へりくだり、兄弟姉妹の悪口を言わない者は、恵みを受けます。(ヤコブ4章)

バビロン捕囚となったユダヤ人は、その後バビロンを征服したペルシアのキュロス王によって帰国が許可されますが、多くのユダヤ人がペルシア国内に留まっていました。エステル記は、クセルクセス王の時代(BC486~465年)、国務長官ハマンは国内のユダヤ人絶滅を画策しますが、それをモルデカイと養女の王妃エステルが未然に防ぎ、同胞を救ったという内容です。ハマンの陰謀が成功していれば、ネヘミヤもイエス様も存在していなかったでしょう。これは、プリムの祭りとして、ユダヤ人に祝われ続けています。(9:16~19,23~32)

1.モルデカイの信仰
モルデカイがハマンに拝礼をしなかったことが事の発端です。ハマンは怒り、モルデカイを木に架け、彼の同胞全体を絶滅させようと画策しますが、モルデカイには深い信仰がありました。
1)創造主なる神様だけを礼拝し、人間に拝礼しない(3:1~6)
2)王を暗殺から守った(2:21~23,6:1~11)
3)自分の民を守った(4:1~8,8章,9:1~15,10:1~3)
4)エステルを励ました(4:13,14)

2.エステルの信仰
あなたは、・・・助かるだろうと、考えてはいけない。もし、あなたがこのようなときに沈黙を守るなら、別のところから助けと救いがユダヤ人のために起こるだろう。しかし、あなたもあなたの父の家も滅びるだろう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、このようなときのためかもしれない。エステル 4:14

エステルは、モルデカイから同胞を絶滅させるという法令が発布されることを聞き、それを撤回させるにはエステル自身が直接王に嘆願するしか道はないと聞かされました。しかし、王の召しなしに王の前に出ることは死をも覚悟しなければならないので、エステルは恐れました。エステルはモルデカイに励まされ、信仰によって前進しました。

私も私の侍女たちも、同じように断食します。そのようにしたうえで、法令に背くことですが、私は王のところへ参ります。私は、死ななければならないのなら死にます。」エステル 4:16

3.イエス様の犠牲
わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません。ヨハネ 15:12,13

キリストは私たちのために、ご自分のいのちを捨ててくださいました。・・・私たちも兄弟のために、いのちを捨てるべきです。・・・ことばや口先だけではなく、行いと真実をもって愛しましょう。Ⅰヨハネ 3:16~18

友のために死ぬとは、①自分が損をする ②自分が余計に働く ③自分が恥をかく ④プライドを捨てる ⑤自分のこだわりを捨てる こと、
相手を尊敬するとは、①自分から挨拶をする ②自分の役割を果たす ③相手の意見を尊重する ④相手の利益を図る ⑤祝福を祈る ことです。

ネヘミヤ記は、ネヘミヤがペルシア王宮でアルタクセルクセス王の献酌官をしている時に、祖国エルサレムの城壁が壊され、同胞が困難と恥辱の中にあるとの報告を受けたところから始まっています。
ネヘミヤは先祖の罪を悔い改め、王の許しを得てエルサレムの再建に乗り出し、反対者の妨害と戦いながらもついに城壁の修復を完成させます。それと同時に、ネヘミヤが最も願っていた信仰の回復がなされました。

1.ネヘミヤの祈り
ネヘミヤは捕囚の地にあって、祖国についてもたらされた悲しい報告に愕然とし、断食して主に祈りました。そして、自らの危険を顧みずに、王にエルサレムの城壁の修復を嘆願し、許可をもらいました。

「あの州で捕囚を生き残った者たちは、大きな困難と恥辱の中にあります。・・・』このことばを聞いたとき、私は座り込んで泣き、数日の間嘆き悲しみ、断食して天の神の前に祈った。 ネヘミヤ 1:3,4

・・・私をユダの地、私の先祖の墓のある都へ遣わして、それを再建させて下さい。」 ネヘミヤ 2:5

2.利己心という罪
ネヘミヤは帰還して敵と戦いながら、城壁の修復工事を続けました。この外部問題のほかに内部問題がありました。有力者たちは、自分が利益を得るため(利己心)に律法(みことば)に従わず、何の抵抗もなく同胞を虐げていたのです。ネヘミヤは率先して同胞を助け、報酬を受けずに再建に当たり、彼らを悔い改めに導いて、みことばへの服従を誓わせました。
人は利己心によって、隣人の利益ではなく、自分の利益を優先させてしまい、自分がやるべき事ではなくやりたいことだけをやり、いやなことはすべてスルーしてやらないことがあります。
悔い改めは、悔いるだけではなく心を改めて、行動に移すことです。

・・・有力者たちや代表者たちを非難して言った。「あなたがたはみな、自分の同胞たちに、利子をつけて金を貸している。」・・・私は続けた。「あなたがたのしていることは良くない。あなたがたは、・・・私たちの神を恐れつつ歩むべきではないか。」ネヘミヤ5:7~9

私も、人々が救われるために、自分の利益ではなく多くの人々の利益を求め、・・・すべての人を喜ばせようと努めているのです。」Ⅰコリント10:33

3.喜びの日
城壁が完成し、民は水の門の広場に集まり、神様をほめたたえて礼拝しました。祭司エズラがみことばを朗読して解き明かすと民は理解しましたが、そのみことばに不従順だったがゆえに、捕囚になったこと、今もみことばから遠く離れた生活をしていることに心を刺されて、泣く者たちがいました。エズラは、「主の日だから泣いてはいけない。喜び楽しみなさい。」と命じました。
過去や自分に囚われて、罪や弱さを嘆き悲しんではいけない。主の救いと復活と勝利の日、自分ではなく主に目を留めて、喜び楽しむことができます。

今日は、私たちの主にとって聖なる日である。悲しんではならない。主を喜ぶことは、あなたがたの力だからだ。」  ネヘミヤ 8:10