礼拝メッセージ

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「神に愛されている者」(聖日礼拝メッセージ 2024/09/15)

 今日は使徒の働き22-1「第2回伝道旅行(4-1)Ⅰテサロニケ(1)」です。パウロは第2回伝道旅行でテサロニケに短期間留まり教会を設立しましたが、ユダヤ人たちの暴動により次の町ベレアに行かざるを得ませんでした。パウロは信仰に入ったばかりのテサロニケの兄弟姉妹を気遣ってテモテを遣わし、さらに手紙を送って励ましと教えを与えました。 1.テサロニケ教会の状況  あなたがたも、多くの苦難の中で、聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ、私たちに、そして主に倣う者になりました。Ⅰテサロニケ 1:6  あなたがたがどのように偶像から神に立ち返って、生けるまことの神に仕えるようになり、御子が天から来られるのを待ち望むようになったかを、知らせているのです。Ⅰテサロニケ 1:9,10  テサロニケではパウロたちの伝道によってユダヤ人と多くのギリシア人が信仰に入り(使徒 17:1~9)、彼らの信仰は...
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「恐れずに語り続けよ」(聖日礼拝メッセージ 2024/09/08)

 今日は使徒の働き22「第2回伝道旅行4(コリント)」です。パウロはアテネを去りコリントにやって来ました。コリントではイタリアから来たアキラ・プリスキラ夫婦と共に天幕作りをしながら宣教を続けました。ここでもユダヤ人の反対者が現れましたが、主の励ましによって1年半以上福音を語り続けて教会の礎を築き、その後アンティオキアに戻りました。 1.偶像の町コリント  会堂司クリスポは、家族全員とともに主を信じた。また、多くのコリント人も聞いて信じ、バプテスマを受けた。使徒 18:8  コリントはアテネの西70kmにある重要な商業都市・東西貿易の要衝でした。ローマ時代は富と贅沢と不道徳の都市で「コリント=性的不道徳と酩酊」と言われるほど堕落した町となり、BC2世紀には自由市民30万人に対して奴隷が46万人おり、1千人の神殿娼婦が異教(女神アフロディテ)の礼拝儀式で活動していました。そんな町にも神の...
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「すべての人に悔い改めを」(聖日礼拝メッセージ 2024/09/01)

 今日は使徒の働き21「第2回伝道旅行3(アテネ)」です。パウロはベレアでの難を逃れるためにアテネに送り出され、シラスとテモテはベレアにとどまりました。パウロは会堂でユダヤ人と改宗者に教え、広場とアレオパゴス(裁判所、評議所、身分審査)では哲学者たちと論じ合いました。パウロはすべての人たちに悔い改めの必要性を説きました。 1.哲学と偶像  さて、パウロはアテネで二人を待っていたが、町が偶像でいっぱいなのを見て、心に憤りを覚えた。使徒 17:16  アテネはアカイア地方の首府(現在はギリシャの首都)で、哲学、文学、科学、美術の一大中心地、民主主義発祥の地、世界最大の大学都市、宗教多元主義の町でした。パウロは偶像の多さに義憤を抱きました。哲学も宗教も創造主なる神様と救い主なるイエス様抜きで真理と幸福を得ようとする点は同じです。  エピクロス派:唯物論者(理神論)、快楽主義、充実した人生...
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「聖書を調べた」(聖日礼拝メッセージ 2024/08/25)

 今日は使徒の働き20「第2回伝道旅行2(テサロニケ)」です。パウロとシラスは、ピリピを発ちアンピポリスとアポロニアを経由してテサロニケに入り会堂で教えました。多くの人たちが信仰に入りましたが、反対者たちが暴動を起こし、兄弟たちはパウロたちをベレアに送り出しました。ベレアでは熱心にみことばを受け入れる信者たちがいました。 1.テサロニケでは  パウロは、・・・聖書に基づいて彼らと論じ合った。そして、「キリストは苦しみを受け、死者の中からよみがえらなければならなかったのです。私があなたがたに宣べ伝えている、このイエスこそキリストです」と説明し、また論証した。彼らのうちのある者たちは納得して、パウロとシラスに従った。・・・ところが、ユダヤ人たちはねたみに駆られ、広場にいるならず者たちを集め、暴動を起こして町を混乱させた。使徒 17:2~5  パウロとシラスはテサロニケの会堂で、イエス様こ...
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「信仰による救い」(聖日礼拝メッセージ 2021/08/18)

 今日は使徒の働き19「第2回伝道旅行(ピリピ)」です。パウロとバルナバは第1回伝道旅行で開拓した教会を訪ねるため、第2回伝道旅行に出発しようとしました。しかし、前回中途離脱したマルコを同行させるかどうかで意見が合わず、パウロはシラスと陸路で第2回伝道旅行へ、バルナバはマルコとキプロスへ伝道に出かけました。パウロとシラスは、聖霊様に導かれてギリシアまで宣教を拡大しました。 1.ピリピまでの行程  「さあ、先に主のことばを宣べ伝えたすべての町で、兄弟たちがどうしているか、また行って見て来ようではありませんか。」使徒 15:36  パウロは幻を見た。一人のマケドニア人が立って、「マケドニアに渡って来て、私たちを助けてください」と懇願するのであった。使徒 16:9  パウロはデルベ経由でリステラに行き、テモテと出会い、彼とともに町々を巡ってエルサレム会議の決議を伝えて兄弟姉妹の信仰を励ま...
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「エルサレム会議」(聖日礼拝メッセージ 2024/08/11)

 今日は使徒の働き18「エルサレム会議」です。エルサレムから始まった福音宣教の拡大によって、大勢の異邦人が救いを受けました。また、パウロとバルナバの伝道旅行によって更に異邦人伝道は発展していきました。教会が設立されてから20年目、異邦人が教会に受け入れられてから10年目頃(AD50)、パリサイ派に属する信者たちが律法を守らなければ救われないと主張して教会の中に論争が生じ、教界全体の会議が開かれました。 1.律法に固執する人たち  さて、ある人々がユダヤから下って来て、兄弟たちに「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と教えていた。それで、パウロやバルナバと彼らの間に激しい対立と論争が生じたので、・・・使徒たちや長老たちと話し合うために、エルサレムに上ることになった。使徒 15:1,2  異邦人伝道が成功を収めて進展している中で、今までの教えや慣習を捨てきれな...
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「試練」(聖日礼拝メッセージ 2024/08/04)

 今日は使徒の働き17「第1回伝道旅行(2)」です。アンティオキア教会から第1回伝道旅行に派遣されたバルナバとサウロの一行は、ピシディアのアンティオキアで福音を語り、信じる者が多く起こされましたが、ユダヤ人の反対に遭い、難を避けながらイコニオン、リステラ、デルベへと福音宣教を続けて行きました。 1.イコニオンでの働き  イコニオンでも、同じことが起こった。二人がユダヤ人の会堂に入って話をすると、ユダヤ人もギリシア人も大勢の人々が信じた。ところが、信じようとしないユダヤ人たちは、・・・二人を辱めて石打ちにしようと企てたとき、・・・地方に難を避け、そこで福音宣教を続けた。使徒14:1~7  二人はピシディアのアンティオキアで迫害を受けて足のちりを払い落とし、聖霊様に満たされて約160km離れた次の町イコニオンに行きました。ここではある程度の期間滞在して、しるしと不思議なわざが行われ、恵み...
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「信仰義認」(聖日礼拝メッセージ 2024/07/28)

 今日は使徒の働き16「第1回伝道旅行」です。アンティオキア教会の指導者たちは礼拝中聖霊様に命じられ、バルナバとサウロを第1回目の伝道旅行に送り出しました。二人はキプロス経由でピシディアのアンティオキアに行き、ユダヤ人の会堂で教えました。多くのユダヤ人や改宗者、異邦人が二人を受け入れましたが、反対するユダヤ人は人々を扇動して二人を迫害し、その地方から追い出してしまいました。 1.キプロスでの働き  ところが、その魔術師エリマは、二人に反対して総督を信仰から遠ざけようとした。・・・総督はこの出来事を見て、主の教えに驚嘆し、信仰に入った。使徒 13:8~12  二人はキプロスで福音に関心を持った地方総督セルギウス・パウルスを導こうとしましたが、ユダヤ人の魔術師・偽預言者エリマ:バルイエスが妨害してきました。パウロが彼の眼をしばらくの間見えなくする奇跡を行い、それを見た総督は信仰に入りまし...
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「祈りの働き」(聖日礼拝メッセージ 2021/07/21)

 今日は使徒の働き15「ペテロの投獄」です。迫害は厳しさを増し、十二使徒のひとりでイエス様の側近だったヨハネの兄弟ヤコブが、ヘロデ・アグリッパⅠ世によって殺され、十二使徒で最初の殉教者となりました。続けてペテロも捕らえられてしまい、兄弟姉妹は集まり彼のために必死に祈っていました。 1.ペテロの投獄と解放  ヘロデ王は、教会の中のある人たちを苦しめようとしてその手を伸ばし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。それがユダヤ人に喜ばれたのを見て、さらにペテロも捕らえにかかった。使徒 12:1~3  すると見よ。主の使いがそばに立ち、牢の中を光が照らした。御使いはペテロの脇腹を突いて彼を起こし、「急いで立ち上がりなさい」と言った。すると、鎖が彼の手から外れ落ちた。使徒 12:7  ヘロデ・アグリッパⅠ世(ヘロデ大王の孫:イドマヤ人)は、何の考えもなくユダヤ人の歓心を買おうとしてヤコブを殺し、ペ...
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「アンティオキアの教会」(聖日礼拝メッセージ 2024/07/14)

 今日は使徒の働き14「アンティオキアの教会」です。ステパノの殉教から始まった迫害によって、クリスチャンたちはフェニキア、キプロス、アンティオキアまで離散して行き、アンティオキアでも大勢の異邦人が福音を受け入れて救われました。教会はますます成長し、世界宣教の拠点となっていきました。 1.アンティオキアの教会  ところが、彼らの中にキプロス人とクレネ人が何人かいて、アンティオキアに来ると、ギリシャ語を話す人たちにも語りかけ、主イエスの福音を宣べ伝えた。そして、主の御手が彼らとともにあったので、大勢の人が信じて主に立ち返った。使徒 11:20,21  アンティオキアは、ローマ帝国で3番目に大きな都市であり、シリア州の首都でした(人口50万人)。商業都市、国際都市として、ユダヤ人も多く住んでいました。(現在はトルコ南部のアンタキア)カイサリアでのローマ人将校コルネリウスの救いをきっかけに、...
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