礼拝メッセージ

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「受難」(聖日礼拝メッセージ 2026/03/29)

 今日は棕櫚の主日、今週は受難週です。今日のメッセージテーマは「受難」です。イエス様は創造主でありながら天の栄光をかなぐり捨てて、私たちを罪と咎から救うために、私たちのところに来てくださいました。この地では神様の国、救いを宣べ伝え、多くの人々を助けられました。しかし、最後は皆から見捨てられ、十字架の苦しみを受けられました。 1.栄光を捨てられた  キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。ピリピ 2:6,7  御子は、見えない神のかたちであり、すべての造られたものより先に生まれた方です。コロサイ 1:15  イエス様は天地万物を創造され、すべてのご栄光を持っておられ、罪や汚れとは無縁で、光と聖さの中におられ、すべてのものを統べ治め、すべてのものをご覧になっておられました。しかし、...
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「黙示録 結語」(2026/03/22)

 今日のテーマは黙示録43「黙示録 結語」です。最後に終末にあたって私たちが心に留めるべきこと、なすべきこと、どのような信仰を持って過ごすべきか、大切なことばで締めくくられています。いつもイエス様の再臨を心から待ち望む信仰を持って歩みましょう。 1.衣を洗う者の幸い  自分の衣を洗う者たちは幸いである。彼らはいのちの木の実を食べる特権が与えられ、門を通って都に入れるようになる。黙示録 22:14  「この人たちは大きな患難を経てきた者たちで、その衣を洗い、子羊の血で白くしたのです。」黙示録 7:14  イエス様の血潮によって自分の罪と咎を洗い清めていただいた者は、永遠のいのちをいただき、永遠の都に入ることができます。神様、真理、正義、救い、赦しに対して飢え渇いていた者は、神様からただで受け取ることができました。正しい者、聖い者はますます聖い者となります。この預言の書(聖書)を信じ守...
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「新しい世界(2)」(聖日礼拝メッセージ 2026/03/15)

 今日のテーマは黙示録42「新しい世界(2)」です。最後は神様が用意してくださる完全なる世界が待ち受けています。悲しみ、苦しみ、罪、汚れ、嘆き、老い、病気、死、別れ、後悔、杞憂は無く、最高の幸福と喜びと平和と自由と平安に満ちた世界です。人の罪ゆえののろいからすべて解放されます。 1.いのちの水の川といのちの木  御使いはまた、水晶のように輝く、いのちの水の川を私に見せた。川は神と子羊の御座から出て、都の大通りの中央を流れていた。・・・十二の実をならせるいのちの木があって、毎月一つの実を結んでいた。その木の葉は諸国の民を癒した。黙示録 22:1,2  こうして神は人を追放し、いのちの木への道を守るために、ケルビムと、輪を描いて回る炎の剣をエデンの園の東に置かれた。創世記 3:24  エデンの園でアダムとエバは神様から禁じられていた善悪を知る木の実を食べたことによって罪を犯しました。神...
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「新しい世界(1)」(聖日礼拝メッセージ 2026/03/08)

 今日のテーマは黙示録41「新しい世界(1)」です。黙示録は佳境に入ってきました。いよいよ現在の天地が終焉を迎え、新しい天と新しい地が到来します。イエス様によって贖われた者たちは、完全なる神様のご支配と憩いの中に入ることになります。 1.新天新地  また私は、新しい天と新しい地を見た。以前の天と以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。黙示録 21:1  わたしの父の家には住む所がたくさんあります。そうでなかったら、あなたがたのために場所を用意しに行く、と言ったでしょうか。わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです。ヨハネ 14:2,3  イエス様が約束し用意してくださった永遠に私たちが住む場所、天の父なる神様の家が到来します。Ⅱペテロ3:8~13にあるように現在の森羅万象は崩れ去り...
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「最後の審判(2)」(聖日礼拝メッセージ 2026/03/01)

 今日のテーマは黙示録40「最後の審判(2)」です。千年王国が終わると縛られていたサタンが一時的に解き放たれ、国家と人々は惑わされてイエス様と聖徒たちに戦いを挑みますが、天からの火によって滅ぼされます。神様は最終的に大きな白い御座に着かれ、それぞれに正しい審判を下されます。天と地すべてが刷新されます。 1.キリストに従わない者への審判  その時になると、不法の者が現れますが、主イエスは彼を御口の息をもって殺し、来臨の輝きをもって滅ぼされます。・・・彼らが滅びるのは、自分を救う真理を愛をもって受け入れなかったからです。Ⅱテサロニケ 2:8~10  わたしを拒み、わたしのことばを受け入れない者には、その人をさばくものがあります。わたしが話したことば、それが、終りの日にその人をさばきます。ヨハネ 12:48  サタンに惑わされて招集された軍隊(ゴグとマゴグ:北方諸国家)、神様とイエス様に...
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「最後の審判(1)」

 今日のテーマは黙示録38「最後の審判(1)」です。人はだれでも、神様の恐ろしい審判を受けたいとは思いませんが、もしも審判がないとすれば神様の義と公平性が確保できません。終りの日には最終的なさばきがあらゆるものに下されます。 1.旧約聖書の記述  しかし、主はとこしえに御座に着き さばきのために王座を堅く立てられた。主は義によって世界をさばき 公正をもって もろもろの国民をさばかれる。詩篇 9:7,8  主は国々の間をさばき、多くの民族に判決を下す。イザヤ 2:4  天地万物を創造され、私たち人間を創造された主権者であられるお方は、常にご自身の基準と義を打ち立てておられます。人間が人格のないロボットのような存在であれば善悪の基準も自分の行動への責任もなかったでしょう。神様はご自身の前に私たちがどのように歩んできたのかを審判されます。 2.新約聖書の記述  なぜなら、神は日を定め...
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「千年王国(2)」(聖日礼拝メッセージ 2026/02/15)

 今日のテーマは黙示録37「千年王国(2)」です。人は、人間の進化と教育あるいは社会体制の変革により理想世界が到来すると考え、異教においては全世界を治める類い稀な君主により地上に楽園が到来すると考えました。しかし、神様が到来させてくださる千年王国こそが真の楽園です。 1.千年王国説の変遷  千年王国の各説は時代背景によって変わってきました。 1)初代教会~3世紀:千年期前再臨説:ローマ帝国の激しい迫害の中で、再 臨と「悪」に対する「善」の究極的な勝利が待望された。 2)中世、宗教改革時代:無千年期説:キリスト教の国教化、千年期前再臨説 の過激な主張に対して、比喩的、象徴的、神秘的解釈に傾く。カトリック教 会の教えとなる。 3)近代、17世紀:千年期前再臨説の盛り返し、千年期後再臨説の台頭。 4)19世紀:千年期前再臨説の盛り返し。聖約期分割主義(ディスペンセーシ ョン主義)の広...
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「千年王国(1)」(聖日礼拝メッセージ 2026/02/08)

 今日のテーマは黙示録37「千年王国(1)」です。黙示録20:1~10に第1の復活に与った殉教者と義人が、イエス様と共に千年間王として治めること、サタンが底知れぬ所に閉じ込められ、正義が支配し平和と自由と繁栄が実現することが記されています。この千年王国については大きく3つの説があります。 1.3つの説  彼らは獣もその像も拝まず、額にも手にも獣の刻印を受けていなかった。彼らは生き返って、キリストとともに千年の間、王として治めた。黙示録 20:4  「千年の間」を文字どおりに千年とするか、象徴的と捉えてある一定期間とするか、様々な考え方がありますが、聖書に明確に書かれているのでそのまま受け取るのが懸命だと思います。(マタイ 24:29~31)  1)無千年期説(amillennialism:ア・ミレニアム)    千年を比喩的に解釈。神の国はみことばと御霊により今支配している。 ...
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「復活(2)」(聖日礼拝メッセージ 2026/02/01)

 今日のテーマは黙示録36「復活(2)」です。すべての人は肉体から霊が離れて肉体的な死を迎え黄泉(よみ)に下ります。終わりの日にイエス様が再臨されるとすべての人がよみがえり、それぞれ神様からの報いを受けることになります。 1.すべての人は黄泉(よみ)へ  しばらくして、この貧しい人は死に、御使いたちによってアブラハムの懐に連れて行かれた。金持ちもまた、死んで葬られた。金持ちが、よみで苦しみながら目を上げると、遠くにアブラハムと、その懐にいるラザロが見えた。ルカ 16:22,23                 黄泉にはイエス様を拒否した者たちのための苦しみの場所とイエス様を受け入れた者のための安息の場所があります。イエス様の復活後には、イエス様を信じた者は死後真っすぐにイエス様のもと(パラダイス)に行きます。終わりの日に両者は復活しますが、永遠の御国と永遠のさばきに分けられます。 ...
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「復活(1)」(聖日礼拝メッセージ 2026/01/25)

 今日のテーマは黙示録35「復活(1)」です。終わりの時には、最後のラッパが鳴り響き、イエス様を信じる私たちは新しい栄光のからだに変えられてよみがえることが約束されています。 1.イエス様の復活  だれも、わたしからいのちを取りません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。わたしには、それを捨てる権威があり、再び得る権威があります。わたしはこの命令を、わたしの父から受けたのです。ヨハネ 10:18  イエス様は、律法学者らのねたみを買って捕らえられて十字架刑に処せられました。しかし、一方でイエス様は、明確にご自身の命を私たちに与えるために来たと(マルコ 10:45)おっしゃいました。父なる神様は、御子イエス様の罪なき生涯、完全な贖いをご覧になって満足され、よみがえさせられました。  それで、後のことを予見し、キリストの復活について、『彼はよみに捨て置かれず、そのからだは朽ちて滅びる...
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