礼拝メッセージ

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「聖霊の満たし」(聖日礼拝メッセージ 2024/04/21)

 今日は「使徒の働き」の第2回目「聖霊の満たし」です。五旬節(ペンテコステ)の日(復活後50日、昇天後10日)に弟子たちは、イエス様が昇天直前に与えてくださった聖霊降臨の約束(使徒 1:4,5)を信じて集まっていました。弟子たちは聖霊様に満たされて外国語で福音を語り、三千人が信じてバプテスマを受け、教会が誕生し、福音宣教の働きが開始されました。 1.聖書とイエス様の約束 1)聖書の約束  その後、わたしはすべての人にわたしの霊を注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、老人は夢を見、青年は幻を見る。ヨエル 2:28  旧約聖書ヨエル書でペンテコステの出来事が約束されていました。イエス様の降誕、十字架、復活、昇天、聖霊様の降臨は、神様の救いのご計画のプロセスであり、信じる私たちが聖霊様に満たされることもみこころです。 2)イエス様の約束  イエスは、ご自分を信じる者が受けることになる御...
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「キリストの昇天」(聖日礼拝メッセージ 2024/04/14)

 今日は「使徒の働き」の第1回目、「キリストの昇天」です。弟子たちは逮捕されたイエス様を見捨ててしまい、十字架刑を見て落胆と恐れに見舞われ、復活を目の当たりにして驚嘆と喜びを経験しました。しかし、彼らは一連の出来事の真意を理解していませんでした。昇天は弟子たちや私たちに益をもたらすものです。 1.昇天とは何か  この大能の力を神はキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上でご自分の右の座に着かせて、すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世だけでなく、次に来る世においても、となえられるすべての名の上に置かれました。エペソ 1:20,21(Ⅰテモテ 3:16)  受肉は、神の子(イエス・キリスト)が天から下ってこの地に来られたことを表しますが、昇天はイエス様が故郷へ帰られたことを意味します。  昇天は目に見える歴史的事実であり、幽霊ではなく物理的領域を...
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「ふさわしい礼拝」(聖日礼拝メッセージ 2024/04/07)

 今年度は新約聖書の「使徒の働き」を各書簡と関連させながら順に学んでいきます。その前に今日は年度初めとして「礼拝とは何か?」「私たちにとってふさわしい礼拝」について学びます。「礼拝とは何か。あなたにとって礼拝とは」との問いに何と答えますか。(聖日礼拝は1年に52回) 1.礼拝とは何か ・辞書:万物の創造主である神への絶対的依存と帰依を表明する行為 ・キリスト教辞典:拝む、内的思い(あがめる、感謝する、より頼む、恐れかしこむ)、動作(唱える、ほめたたえる、仕える、仰ぐ、ささげる、手を上げる、ひれ伏す、ひざまずく)、礼拝行為(祈祷、賛美、律法・聖書の朗読、解説や教え、いけにえや供え物の奉献奉納、香をたく) 2.聖書が教える礼拝 〔旧約聖書〕神様は、ご自身の栄光のために私たち人間を創造され(イザヤ 43:7)、「あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさ...
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「イエスの十字架」(イースター礼拝メッセージ 2024/03/31)

 今日は新約聖書の出来事18「ゴルゴダへの道」です。イエス様は祭司長らに捕らえられ、不当な裁判で十字架刑を宣告され、刑場まで十字架を担がされて悲しみの道(ドロローサ)を歩まれました。  それから三日目にイエス様は死からよみがえられました。今日はイースター(復活日)です。イエス様の犠牲に感謝し、復活を喜びましょう。 1.ゴルゴダへの道  兵士たちは、通りかかったクレネ人シモンという人に、イエスの十字架を無理やり背負わせた。彼はアレクサンドロとルフォスの父で、田舎から来ていた。彼らはイエスを、ゴルゴダという所(訳すと、どくろの場所)に連れて行った。マルコ 15:21,22                     (ゴルゴダ:ヘブル語、カルバリ:ラテン語)  イエス様は、ゲッセマネの園で捕らえられて大祭司⇒ピラト⇒ヘロデ⇒ピラトとたらい回しにされ、最後はピラトの前で鞭を打たれて十字架刑...
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「ゲッセマネの祈り」(聖日礼拝メッセージ 2024/03/24)

 今日は新約聖書の出来事17「ゲッセマネの祈り」です。今週は受難週で、棕梠の主日から復活日の前日の土曜日までを指します。  受難週の出来事〔日曜日〕棕梠の主日、エルサレム入城、〔月曜日〕宮きよめ、〔火曜日〕宮での説教、〔水曜日〕べタニアでの香油、〔木曜日〕最後の晩餐、洗足、ゲッセマネの祈り、ユダの裏切り、捕縛、〔金曜日〕受難日、裁判、十字架刑、埋葬、〔土曜日〕安息日、墓の封印、警備、〔日曜日〕復活(イースター)  イエス様は、ゲッセマネの園へ行かれ苦しみもだえながら祈られました。 1.ゲッセマネの園へ  それからイエスは出て行き、いつものようにオリーブ山に行かれた。弟子たちもイエスに従った。いつもの場所に来ると、イエスは彼らに、「誘惑に陥らないように祈っていなさい」と言われた。ルカ 22:39,40  イエス様と弟子たちは、いつもオリーブ山のゲッセマネの園を祈りの場所としていたよ...
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「最後の教え」(聖日礼拝メッセージ 2024/03/17)

 今日は新約聖書の教え17「最後の教えと祈り」です。最後の晩餐の席での出来事です。弟子たちはイエス様が王となる王国を築いて下さると思っていましたが、イエス様が去ってしまわれることを聞いて不安を覚えました。イエス様は「あなたがたを捨てて孤児にはしません。」と約束され、ご自身を愛してみことばに生きるよう教えられました。 1.弟子たちの不安  トマスはイエスに言った。「主よ、どこへ行かれるのか、私たちには分かりません。どうしたら、その道を知ることができるでしょうか。」ヨハネ 14:5  イエス様は、十字架にかかられることとよみがえられることを「栄光を受ける」と表現されました(ヨハネ 13:31,32)。また、復活後に昇天されて父なる神様のみもとに帰られ、信じる者のために場所を用意しに行くと言われました(ヨハネ 13:1,14:1~4)。しかし、弟子たちはそれらを理解できず、不安になっていま...
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「弟子たちの足を洗う」(聖日礼拝メッセージ 2024/03/10)

 今日は新約聖書の出来事16「弟子たちの足を洗う」です。最後の晩餐の席で、弟子たちは誰が高い地位に就けるのか議論していましたが、イエス様は弟子たちの足を洗い、幸いな生き方を示してくださいました。 1.弟子たちの議論  また、彼らの間で、自分たちのうちでだれが一番偉いのだろうか、という議論も起こった。・・・しかし、わたしはあなたがたの間で、給仕する者のようにしています。ルカ 22:24~27  弟子たちは、イエス様から「これから律法学者たちに捕らえられて殺され、よみがえる」と聞いても真剣に考えず、新しい国でイエス様が王になった時に高い地位に就きたいと、自分の立身出世のことしか考えていませんでした。 2.互いに足を洗いなさい  主であり、師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのであれば、あなたがたもまた、互いに足を洗い合わなければなりません。・・・あなたがたに模範を示したのです...
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「過越の食事」(聖日礼拝メッセージ 2024/03/03)

 今日は新約聖書の出来事15「最後の晩餐」です(マタイ26:17~29,マルコ14:12~25,ヨハネ13,14章)。イエス様は、十字架にかかられる前夜、用意した二階の大広間で過越の食事をされ、その中で主の晩餐(聖餐式)を行われました。最後の晩餐は、エジプトからの救出、過越の子羊なるイエス様と栄光のうちに再臨されるイエス様を表しています。 1.過越の晩餐  この日は、あなたがたにとって記念となる。あなたがたはその日を主への祭りとして祝い、代々守るべき永遠の掟として、これを祝わなけらばならない。出エジプト 12:14  出エジプト記において、モーセを通して告げられた神様のことばを信じ、子羊を屠ってその血を門柱とかもいに塗った家は、長子が殺されるという神様のさばきを免れました(出エジプト 12:1~36)。  過越の祭りはこの時に神様から命じられたもので、イスラエルにとって最も重要な祭...
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「目を覚まして祈る」(聖日礼拝メッセージ 2024/02/25)

 今日は新約聖書の教え16「終末の預言」です。イエス様は、神殿の崩壊の時期と世の終わりについて聞かれ、その前兆とそれらに臨む心構えを教えられました。ここでは、エルサレムの崩壊と再臨、世の終わりについて重複して説明されています。ただ、たとえ天地が崩れ去ろうとも、偽りに惑わされずに祈って備えれば、主が守り、助けを与えてくださいます。 1.エルサレムの崩壊  宮が美しい石や奉納物で飾られている、と何人かが話していたので、イエスは言われた。「あなたがたが見ているこれらの物ですが、どの石も崩されずに、ほかの石の上に残ることのない日が、やって来ます。」ルカ 21:5,6  エルサレムが崩壊した第一次ユダヤ戦争(AD70/4/14~9/7)は、ローマ帝国の属州であったユダヤのユダヤ人とローマ帝国の間で起こり、市街地のほか神殿も破壊された(一部が「嘆きの壁」として残っています)。この戦いでは、エルサ...
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「一番偉い者」(聖日礼拝メッセージ 2024/02/18)

 今日は新約聖書の教え15「律法学者とパリサイ人への警告」です。イエス様は、律法学者とパリサイ人の偽善的な信仰生活、生き方への非難を通して、群衆と弟子たちを正しい信仰と生き方に導こうとされました。 1.言行不一致になってはいけない  なぜ今あなたがたは、私たちの先祖たちも私たちも負いきれなかったくびきを、あの弟子たちの首に掛けて、神を試みるのですか。使徒 15:10  律法学者とパリサイ人は、律法を学び、旧約聖書に通じていたので、モーセのようにそれを説き明かして民衆を教える立場にありました。しかし、彼らは聖書にないたくさんの規則を作り出し、人々に教えはするが、自分たちは守らず、人々に重荷を負わせるだけで助けはしませんでした。  イエス様は群衆と弟子たちに、彼らが教えている聖書(みことば)には従い、言行不一致な彼らの偽善的な行いを真似ないように注意しました。 2.表向きだけの信仰を...
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