礼拝メッセージ

主イエス様は、私たちの罪のために十字架で死なれ、葬られ、三日目によみがえられました。その後、40日間弟子たちに復活を証しされて天に帰られました。その時イエス様は、弟子たちに「父の約束を待つように、世界中でキリストの証人になるように」と告げられました。(使徒1:4,5,8)

1.ペンテコステ(五旬節)の出来事

イエス様の昇天後、弟子たちが集まって祈っていたところ、聖霊様が一人ひとりに臨み、彼らは人々に外国語で福音を宣べ伝えました。

ユダヤ人もいれば改宗者もいる。またクレタ人とアラビア人もいる。それなのに、あの人たちが、私たちのことばで神の大きなみわざを語るのを聞くとは。」  使徒 2:11

2.聖霊様の働き

聖霊様は、三位一体の第三位格である神様ご自身です。アタナシウス信条に「われらは唯一の神を三位において、三位を一体において礼拝する。しかも位格を混同することなく、本質を分離することなく」とあります。 聖霊様は、私たちを新生させ(テトス3:5)、内住され(Ⅰコリント3:16,6:19)、満たして下さり(エペソ5:18)、私たちを助け、教え、導き、誤りを認めさせ、イエス様を証しされるお方です(ヨハネ14:26)。

3.聖霊様の内住

聖霊様は、私たちがイエス様を救い主として信じた時に、宿って下さいました。そして、いつも慰めと励ましと助けを与えて下さっています。

あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。  Ⅰコリント 3:16(ガラテヤ2:20)

4.聖霊様の満たしを求める

ぶどう酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。むしろ、御霊に満たされなさい。エペソ5:18

自我(肉の思い、罪)に支配されていたかつての私たちは死んで、今は、イエス様が私たちの内に住んで下さっています。しかし、相変わらず肉に属する人のように歩んではいないでしょうか。
聖霊様に「満たされる」とは「支配される」ことを意味します。聖霊様の満たしは、主からのご命令です。主のみことばに従っていなかったことを悔い改め、すべての生活を明け渡し、満たされることを求めましょう。

5.聖霊様に満たされた人は聖霊様の実を結ぶ

聖霊様の満たしを求める人は自我が衰えて、内住されている聖霊様の実(イエス様の人格、福音伝道、賜物)が現われます。

御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものに反対する律法はありません。    ガラテヤ5:22,23

聖霊様をいただくことは一度ですが、満たされることは継続です。

母の日の起源は「1907年5月12日、アンナ・ジャービスは、亡き母親を偲び、母が日曜学校の教師をしていた教会で記念会をもち、白いカーネーションを贈った」こととされています。今日は、波瀾万丈の生涯でしたが、幸せなイエス様の母マリアについて見ていきましょう。

1.救い主の母

マリアは、受胎告知から始まり、処女懐妊、エリサベツとの交流、出産・育児、生活の中で、イエス様の不思議さとすばらしさを見ました。マリアの祈りは信仰告白でした(ルカ1:46~)。

しかし両親には、イエスの語られたことばが理解できなかった。それからイエスは一緒に下って行き、ナザレに帰って両親に仕えられた。母はこれらのことをみな、心に留めておいた。ルカ2:50,51(2:19)

2.不信仰

マリアは、イエス様のすばらしさを見ながらも、不信仰に陥ることがありました。人々のうわさを真に受けて、イエス様を疑ってしまいました。

これを聞いて、イエスの身内の者たちはイエスを連れ戻しに出かけた。人々が「イエスはおかしくなった」と言っていたからである。マルコ 3:21

3.心が刺し貫かれる経験

イエス様がまだ幼児の時に、愛するわが子のむごい死を宣告され、実際に十字架の前でそれを経験することになりました。

シメオンは両親を祝福し、母マリアに言った。「ご覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人が倒れたり立ち上がるために定められ、また、人々の反対にあうしるしとして定められています。あなた自身の心さえも、剣が刺し貫くことになります。・・・    ルカ 2:34,35

イエスの十字架のそばには、イエスの母とその姉妹、・・・が立っていた。イエスは、母とそばに立っている愛する弟子を見て、・・・その弟子に「ご覧なさい。あなたの母です。」と言われた。その時から、この弟子は彼女を自分のところに引き取った。ヨハネ 19:25~27

4.信仰の人マリア

彼らはみな、女たちとイエスの母マリア、およびイエスの兄弟たちとともに、いつも心を一つにして祈っていた。  使徒 1:14

聖書でマリアの名前が出てくるのはこの箇所が最後です。つらい経験をしたマリアでしたが、信仰の人として記されています。カトリックが教えるマリア崇拝(マリアの無原罪、神と人との仲介者)は、聖書にはありません。彼女もイエス様を信じることによって救われる(ルカ1:46~)ひとりの人です。イエス様は最後まで母マリアを心配し大切に思っていました。

もしも親族、特に自分の家族の世話をしない人がいるなら、その人は信仰を否定しているのであって、不信者よりも劣っているのです。Ⅰテモテ 5: 8(エペソ6:2,3)

私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた、(当然)互いに愛し合うべきです。 Ⅰヨハネ 4:10,11

人間は罪に陥り自己中心になって「真の愛」を失ってしまいました。罪に支配されてしまった人間が、偉大にして聖なる創造主である神様を愛するなどという大それたことができるのでしょうか。
実は、それを可能にして下さったのが、救い主イエス様の尊い救いと助け主聖霊様の愛とあわれみの聖化のみ業です。

1.神様が私たちを愛して下さった

私たちは「愛」について、創造主である神様から実例を示していただかなければ、「真の愛」がどのようなものなのかを知ることはできません。

神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって、私たちにいのちを得させてくださいました。それによって、神の愛が私たちに示されたのです。 Ⅰヨハネ 4: 9

2.神様を愛する

神様を愛するとは、神様の命令を守ることです。神様の言うことを聞かず、逆らっている者が愛している訳がありません。主イエス様が与えて下さる、自分にふさわしい重荷を主イエス様と共に負うことが幸いな道です。

神の命令を守ること、それが、神を愛することです。神の命令は重荷とはなりません。 Ⅰヨハネ 5: 3(マタイ11:28~30)

3.互いに愛し合いなさい

神様を愛するもう一つの方法は、教会の兄弟姉妹を愛することです。なぜなら、その兄弟姉妹自身が生きているのではなく、イエス様がその人の内に生きておられるからです。
教会の兄弟姉妹を憎んでいる人は、神様を知らず、神様を愛していません。人々は、兄弟姉妹の親しい交わりの姿に神様を見出します。

いまだかつて神を見た者はいません。私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにとどまり、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。 Ⅰヨハネ 4:12(5: 1,2)

神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。神を愛する者は兄弟をも愛すべきです。私たちはこの命令を神から受けています。 Ⅰヨハネ 4:20,21

互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるようになります。」ヨハネ13:35

では、どうしたら物事がよくわかるようになるでしょう。それには、まず神様を信じ、神様を大切にすることです。ばかな人にかぎって、神様の教えをばかにします。  箴言1: 7(LB訳)

人は賢そうに見えても、愚かなところがあります。真理を知っているはずのクリスチャンであっても、自分の思いを通そうとして、みことばからはずれ、真理を見失ってしまいます。愚かな者になってはいけません。

1.愚かな者
1)みことばの教えよりも自分の考えを正しいと思う者

愚か者には自分の歩みがまっすぐに見える。しかし、知恵のある者は忠告を聞き入れる。愚か者は自分の怒りをすぐ表す。賢い人は辱めを気に留めない。 箴言 12:15,16

2)福音の真理からはずれる

ああ、愚かなガラテヤ人。十字架につけられたイエス・キリストが、目の前に描き出されたというのに、だれがあなたがたを惑わせたのですか。     ガラテヤ 3: 1

3)大切な準備を怠る

そこで、天の御国は、それぞれがともしびを持って花婿を迎えに出る、十人の娘にたとえることができます。そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。愚かな娘たちは、ともしびは持っていたが、油を用意して来ていなかった。 マタイ25: 1~3

そこでイエスは彼らに言われた。「ああ、愚かな者たち。心が鈍くて、預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち。   ルカ 24:25

2.主を恐れる者
1)すべてを悟る者
万物の根源であられるお方を認め、畏れ、その方と正しい関係にある ことがすべての始まりである。

主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟ることである。 箴言9:10

2)主と共に歩む者

・・・主よ。だれが あなたの幕屋に宿るのでしょうか。・・・主を恐れる者を彼は尊ぶ。損になっても、誓ったことは変えない。詩篇 15: 1~4

3)福音を伝える者

・・・主を恐れることを知っている私たちは、人々を説得しようとしています。私たちのことは、神の御前に明らかです。しかしそれが、あなたがたの良心にも明らかになることが、私の望みです。 Ⅱコリント 5: 9~11

3.ただ、主イエス様のために愚かになる

私たちはキリストのために愚かな者ですが、・・・ Ⅰコリント 4:10

イエスは目を上げて言われた。「父よ、わたしの願いを聞いて下さったことを感謝します。
あなたはいつでもわたしの願いを聞いて下さると、わたしは知っておりましたが、周りにいる人たちのために、こう申し上げました。あなたがわたしを遣わされたことを、彼らが信じるようになるために。」
そう言ってから、イエスは大声で叫ばれた。「ラザロよ、出て来なさい。」  ヨハネ11:41~43

ヨハネはイエス様の8つの奇蹟を記しています。最初はカナの結婚式でのぶどう酒の奇蹟です。ラザロの復活は7番目の奇蹟です。

1.イエス様の働き

イエスはガリラヤ全域を巡って会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病、あらゆるわずらいを癒された。マタイ4:23(マタイ11:5)

1)会堂での教育-弟子訓練

2)福音伝道-罪からの救い

3)病の癒やし-あかしの奇蹟(使徒2:22,43)

2.奇蹟(しるし)の目的

1)神様の栄光のため

イエスは言われた。「この病気は死で終わるものではなく、神の栄光のためのものです。それによって神の子が栄光を受けることになります。」 ヨハネ11:4(9:3)

2)イエス様のことばの真実さを裏付ける

わたしが父のうちにいて、父がわたしのうちにおられると、わたしが言うのを信じなさい。信じられないのなら、わざのゆえに信じなさい。  ヨハネ 14:11

3)イエス様に対する信頼を新たにする

マリアのところに来ていて、イエスがなさったことを見たユダヤ人の多くが、イエスを信じた。ヨハネ11:45(15,27,42)

3.イエス様のご命令

1)大宣教命令

弟子たちは出て行って、いたるところで福音を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、みことばを、それに伴うしるしをもって、確かなものとされた。] マルコ 16:20(16:15~20)

2)お互いに祈り合う

ですから、あなたがたは癒されるために、互いに罪を言い表わし、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、働くと大きな力があります。 ヤコブ5:16(13~18)

神様は私たちの隠れ家、また力、そして苦難にあえぐ時の確実な助けです。たとい全世界が吹っ飛び、山々が海に沈もうとも、こわがることはありません。海よ鳴りとどろき、白くあわ立つがよい。山よ、激しく揺れ動くがよい。・・・天の軍勢の主は、確かに私たちの味方です。ヤコブの神であるこのお方が、駆けつけて助けてくださいます。詩篇46:1~11(LB訳)

詩篇の作者は、「苦難よ、来るなら来い!」と、大変威勢の良いことを言っています。なぜそこまで大胆になれたのでしょうか。

1.私たちの主はどのようなお方か

1)天地の創造主、さばき主 (コロサイ1:15~18、マタイ28:18)

2)罪を贖い、復活された方 (Ⅰコリント15:3,4)

3)私たちを救い、内に住まわれる方(Ⅱコリント13:5,ガラテヤ2:20)

神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。ローマ 8:31

2.主は、あえて導かれる

ある日のことであった。イエスは弟子たちといっしょに舟に乗り、「湖の向こう岸へ渡ろう」と言われたので、弟子たちは舟を出した。ルカ8:22

A:薄っぺらで打算的な信仰 B:深くて揺るがない信仰

あなたは、AとBどちらの信仰を求めていますか。イエス様は湖が荒れて来ることを知っていながら、弟子たちに舟を出させたのでしょうか。
主は、私たちをあえて困難へと導かれる場合があります。

3.苦難は何を生み出すか

1)自分の弱さ、罪深さを思い知る
苦しみにあったことは、私にとって幸せでした。それにより、私はあなたのおきてを学びました。  詩篇 119:71

2)神様のすばらしさを体験する(ルカ8:25)

3)より主を信頼するようになる
愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間で燃えさかる試練を、何か思いがけないことが起こったかのように、不審に思ってはいけません。むしろ、キリストの苦難にあずかればあずかるほど、いっそう喜なさい。キリストの栄光が現われるときにも、歓喜にあふれて喜ぶためです。  Ⅰ ペテロ 4:12,13

私たちの主イエス様に対する信仰によって、自らの上にこれらすべてのみことばが実現することを見ることができます。信仰がなければ、すべてはただの苦痛です。

あなたがたが、信仰の結果であるたましいの救いを得ているからです。   Ⅰペテロ 1: 9

今年度、私たちの教会の頭(かしら)であるイエス様から、すばらしいみことばが与えられました。このみことばは、3つの命令ですから守っても守らなくても、どちらでも良いことばではありません。イエス様を自分自身の主とする者は、主の命令を守ります。

あなたがたが、〔霊的な事柄についての〕すべての洞察〈賢さ〈知恵〉をもって、互いに教え合い、また勧告し合い〈訓練し合い〉、また詩と賛美と霊の歌〔をうたって〕、心の中に〔神の〕恵みを覚えながら神に向かって調べを合わせるとき、キリスト〈メシヤ〉〔の語られた〕ことばを〈あなたがたの心情と知性の中に〉宿らせ《あなたがたのうちに〔全く〕豊かに住まわせ》なさい。 コロサイ 3:16(詳訳)

キリスト様の教えを心にとめ、そのことばによって、人生が豊かに潤されるようにしなさい。知恵を尽くして、そのことばを互いに教え合い、忠告し合い、感謝にあふれて、詩篇と賛美歌と霊の歌を、高らかに歌いなさい。 コロサイ 3:16(LB訳)

1.イエス様のことばが住むようにしなさい

「みことばが豊かに住むように」と命じられています。住むとは一時的ではなく、永続的なことです。永住するには、住まわせる私たちの同意がなければなりません。心情と知性においてみことばを受け入れ、たくさん蓄えて、それに従って歩み続けましょう。

私は心を尽くしてあなたを求めています。どうか あなたの仰せから私が迷い出ないようにしてください。私はあなたのみことばを心に蓄えます。あなたの前に罪ある者とならないために。  詩篇 119:10,11

2.互いに教え、忠告し合いなさい

神様との縦の関係が強固になれば、兄弟姉妹との横の関係が強固になります。そのためには、霊的な洞察力(正しいみことばの理解)と知恵(主を恐れる信仰)が必要です。へりくだって兄弟姉妹から教えや忠告を請う心、訓練を受ける心を持ちましょう。

兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。    ローマ 12:10

3.讃美の歌を神様に向かって歌いなさい

父なる神様、救い主イエス様、慰め主聖霊様の三位一体の神様を、「詩篇と賛美歌と霊の歌」により、喜びと感謝をもってほめたたえましょう。詳訳聖書では、賛美するときにみことばを心に宿らせるように勧めています。みことばの賛美は、こころを喜ばせ信仰へと導きます。

ハレルヤ。まことに、われらの神にほめ歌を歌うのは良い。まことに楽しく、賛美は麗しい。 詩篇147:1(22:26,119:171,149:1)

何をするにも、何を語るにも、主イエス様の代理人として行動し、主イエス様と共に、父なる神の前に出て、心から感謝しなさい。コロサイ3:17(LB訳)

「わたしはいのちを捨てるために来ました」と言われているのです。キリストは、はるかにすぐれた制度を打ち立てるために、最初の制度を廃止されました。この新しい計画にそって、キリストはただ一度死なれ、それによって私たちは罪を赦され、きよくされているのです。・・・しかしキリストは、いつまでも有効なただ一つのいけにえとして、私たちの罪のためにご自分を神にささげ、そのあと神の右の座について、敵が足の下に踏みつけられるその日を待っておられます。ヘブル10:9,10,12(LB訳)

今日は復活祭・イースターです。イエス様は「いのちを捨てるために来ました」と言われたように、私たちを救い出し、いのちを与えるために苦しみもがき、最後には死なれました。しかし、三日目にはよみがえって下さいました。暗い全人類にこの上ない希望の光が差し込みました。

1.みこころを行うために来られたイエス様

ヘブル10:5~7は詩篇40:6~7の引用です。イエス様は預言されていたとおりに、神様のみこころを行い、私たちを救うためにこの地上に来て下さいました。私たちの罪を聖めるために、神様はいろいろなささげ物ではなく、イエス様ご自身のいのちを要求されました。イエス様に十字架を背負わせて、ヴィア・ドロローサ(悲しみの道)を歩かせ、十字架上でいのちを捨てさせる必要がありました。

2.キリストは、罪のために永遠のいけにえをささげられた

イエス様は、私たちの罪のために永遠に有効な唯一のいけにえとして、ご自身を神様にささげて下さいました。

さらに聖霊様は、こうも言われます。「わたしは、二度と彼らの罪と不法行為を思い出しません。」ヘブル10:17(LB訳)(エレミヤ31:34)

この新しいいのちに至る道は、キリスト様が、ご自分の体という幕を引き裂くことによって、切り開いてくださいました。私たちはこの道を通って、きよい神様の前に出ることができるのです。ヘブル10:20(LB訳)

その後、神の右の座に着かれた

イエス様が「神の右の座に着かれた」とは、復活したことを表わしています。霊として復活したのではなく、栄光の肉体をもってよみがえられ、天に帰られました。復活のイエス様は、魚を食べたり、十字架の傷口に触れさせることもできました。イエス様の復活は、サタン・悪霊・死・罪に対する勝利であり、救いの確証であり、天国の希望です。そして、私たち一人ひとりの勝利であり、復活です。(Ⅰコリント15:12~19)

キリスト様は、聖書に記されているとおり、私たちの罪のために死なれ、葬られたこと、そして預言者たちの予告通りに、三日目に墓の中から復活されたことです。キリスト様はペテロに姿を現わし、・・・そしてある時には、五百人以上のクリスチャンの前にも、姿をお見せになったのです。その中の何人かはもう死にましたが、大部分は今も健在です。・・・そして最後に、未熟児みたいな私の前にも現われてくださったのです。                        Ⅰコリント15:3~8(LB訳)

私はキリストといっしょに十字架につけられました。〈私は〔キリストにおいて〕彼の十字架にともにあずかったのです〉。生きているのはもはや私ではありません。キリスト〈メシヤ〉が私の中で生きておられるのです。私が今肉体において生きている生活は、私を愛して私のためにご自身を与えてくださった神のみ子を信ずる信仰〈彼に対する心服《よりすがり《〔全き〕信頼》》〉によって生きている生活なのです。   ガラテヤ2:20(詳訳)

今年度、主から与えられたみことばです。1年間どのような思いで歩むことができたでしょうか。「キリストが私の中におられる」ことを信じて歩んで来たでしょうか。

1.律法の要求

神の律法は、私たちに完全な義を要求します。ローマ3:10~18に示されているように、私たちはその要求に全く応えることができません。自己義を振りかざして、自分はダメだと落ち込むことも律法主義です。

・・・律法の言うことはみな、律法の下にある人々に対して言われていることを知っています。それは、すべての口がふさがれて、全世界が神のさばきに服するためです。ローマ 3:19

2.ともに十字架につけられた

主イエス様は、神の律法が要求される完全な義を完全に全うされました。「私たちがキリストと共に十字架につけられた」とは、イエス様が私たちの身代りとなって十字架につけられた時、イエス様を信じる私たちがあたかも同時に十字架で罰せられて、神様の義が全うされたということを表わしています。

私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。ローマ6:6

3.信仰によって生きている生活

私たちが今生きているのは、「古い罪の人、自己義、自己中心」ではなく、「イエス様の支配、聖霊様の内住、愛するイエス様への信仰・信頼」によっています。主イエス様が内におられるとは幸いなことです。私たちは主の恵みを無にしません。

こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。エペソ 3:17

あなたは訓戒に意を用い、・・・。箴言23:12

耳の痛いことばも喜んで聞き、ためになることはどんどん取り入れなさい。子どもはきびしく育てなさい。むちで打っても死にはしませんが、甘やかすと、やがて地獄に落ちることになります。わが子よ。あなたが知恵のある人間になってくれたら、どんなにうれしいでしょう。私の胸は、あなたの思慮深いことばに躍ります。将来は希望にあふれているのだから、悪人をうらやまず、いつも主を恐れて生活しなさい。箴言23:12~18(LB訳)

神様はしつこいくらい繰り返し、みことばに聞くようにと語っておられます。それは、私たちの創造主として、私たちがどのような性質の者であるかをよくご存じであられ、私たちにとって最も幸いな道、最も危うい道を知っておられるからです。

1.悟るに遅く、忘れやすい者

かつて、イスラエルの民は、主の奇跡を見て主に従うことを誓いながら、何度も逆らいました(出エジプト32:1~)。弟子たちも然りです。私たちもなんら変わらない者です。

私は、キリストの恵みをもってあなたがたを召してくださったその方を、あなたがたがそんなにも急に見捨てて、ほかの福音に移って行くのに驚いています。ガラテヤ1:6(Ⅰテモテ1:19)

2.みことばは、私たちを救う

主は、私たちの口からみことばや信仰のことばが出ることを何より喜んで下さいます。みことばにいのちがあるからです。

あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。 ヨハネ 5:39(箴言1:7)

3.みことばに意を用いる

信じ受け入れたみことばを聖霊様によって行わせていただきましょう(日々のみことば、祈り、毎週の聖餐式、主の集まり、兄弟姉妹の交わり、執り成し、福音伝道、弱者を助ける)。
主は、私たちを甘やかさず、信仰と知恵と希望にあふれた者に成長させようと奮闘して下さっています。

・・・心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。私がきょう、あなたに命じるこれらのことばを、あなたの心に刻みなさい。・・・   申命記 6: 4~9