礼拝メッセージ

・・・イエスは彼らの信仰〔すなわち、ご自分を通しての神への信頼〕を見て、その麻痺した男に言われた、「子よ、あなたの罪は赦された〈取りのけられた〔すなわち刑罰が免除され、罪責の意識が除かれ、まっすぐにされて、神のみ前での正しい身分の者とされた〕」。・・・・・・・・  「この人はけがしごとを言っている。神おひとりのほか、だれが罪を赦す〈〔すなわち〕罪責を除き、刑罰を免除し、その代わりに義を与える〉ことができるのか」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  しかし、人の子が地上で罪を赦す権利〈権威、力〉を持っているということを、あなたたちがはっきり〈一点の疑いもなく〉知るために」(彼は麻痺した男に向かって言われた)。「私はあなたに言う、起きて、ふとんをかついで〈運んで〉家に帰りなさい。」・・・マルコ 2:1~12(詳訳)

イエス様がペテロの家にいらっしゃるとのうわさに、大勢の人々が殺到してあふれかえっていました。皆がイエス様のお話に聞き入っていると、なんと、天井がはがされて、病人がベットごと吊り降ろされて来ました。皆が唖然とする中、イエス様は、罪の赦しと病の癒しを宣言されました。

1.イエス様は彼らの信仰を見られた
①4人のともだち
イエス様は、病の友人のことを思って強引な方法でやって来たともだちと中風の人のご自身と神様に対する信仰を見て、彼の罪の赦しを宣言されました。

②頑なな律法学者 
イエス様は、頑なな律法学者たちをも等しく愛しておられます。彼らは、「神様だけが罪を赦すことができる」という正しい知識と信仰を持っていました。しかし、イエス様に対する信仰へは結び付いていませんでした。イエス様は、彼らも本当の信仰を持って救われてほしいと願って証ししました。

2.イエス様は罪を赦す権威を持っておられる  罪の赦しの宣言も、病の癒しも神様でなければ行うことはできません。イエス様は、罪の赦しが現実のものであることを証明するために、証しとして病を癒されました。

3.私たちに委ねられた福音
①ともだちとしての信仰  私たちは先輩の兄弟姉妹の愛によって救われました。私たちにもイエス
様の御前に連れ来たるべき人がたくさんいます。

すなわち、神はキリストにあって、この世をご自分と和解させ、背きの責任を人々に負わせず、和解のことばを私たちに委ねられました。 Ⅱコリント 5:19

②与えられた権威  私たちが聖霊様によって伝える福音は、信じる人々には罪の赦しと永遠の命を与えます。しかし、信じない人々の罪は残ります。

あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦されます。赦さずに残すなら、そのまま残ります。    ヨハネ 20:23

愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善から離れないようにしなさい。
兄弟愛をもって互いに愛し合い、互いに相手をすぐれた者として尊敬し合いなさい。
勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。
望みを抱いて喜び、苦難に耐え、ひたすら祈りなさい。
聖徒たちの必要をともに満たし、努めて人をもてなしなさい。
あなたがたを迫害する者たちを祝福しなさい。祝福すべきであって、呪ってはいけません。 ローマ 12:9~14

私たちは神様の恵みによって救い出され、生かされている者として、へりくだって生きることを神様は望んでおられます(ローマ12:3)。へりくだってひたすら祈る人は、苦難の中でも神様の望みに目を留めて喜びながら歩むので、神様・教会・兄弟姉妹につまずくことはありません。祈りは人をへりくだらせます。ひたすらとは「ひとすじに、いちずに」の意味です。

1.愛する兄弟姉妹のために祈る
パウロは兄弟姉妹にいつも祈りの要請をしました。自分の弱さを知り、神様の真実さ、兄弟姉妹の愛、祈りの力を信じていました。

・・・私のために、私とともに力を尽くして、神に祈って下さい。ローマ 15:30
・・・すべての聖徒のために、・・・私のためにも、・・・福音の奥義を大胆に知らせることができるように、祈ってください。エペソ 6:18,19

2.国のリーダーのために祈る
へりくだった人は、国のリーダーのためにとりなしの祈りをします。神様は私たちがすべての人と平和を保つことを願っておられます。

私は何よりもまず勧めます。すべての人のために、王たちと高い地位にあるすべての人のために願い、祈り、とりなし、感謝をささげなさい。 Ⅰテモテ 2:1
3.敵のために祈る
主イエス様は自分を殺そうとしている者たちのために祈られました。

イエスはこう言われた。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」  ルカ 23:34

4.家族のために祈る
家族を顧み、最も大切な救いを求めましょう。

もしも親族、特に自分の家族の世話をしない人がいるなら、その人は信仰を否定しているのであって、不信者よりも劣っているのです。  Ⅰテモテ 5:8

5.自分のために祈る
ダビデは、自分の弱さをさらけ出し、主の助けを確信して祈りました。

私は苦しむ者 貧しい者です。
神よ 私のところに急いでください。
あなたは私の助け 私を救い出す方。
主よ 遅れないでください。   詩篇 70:5

ペテロは、一度は保身のためにイエス様を三回も強く否定しました(マタイ26:69~75)。そんなペテロは初代教会のリーダーとして歩み続け、今、激しい迫害が迫る中、殉教を目の前にしてイエス様と信仰のすばらしさ、私たちの歩むべき道を示しています。

イエス・キリストの召使いであり、宣教者であるシモン・ペテロから、同じ信仰の持ち主である皆さんへ。ここで言う信仰とは、神であり救い主であるイエス・キリストから与えられたものです。それは、なんと尊いものでしょう。また、その信仰を与えてくださるキリスト様は、なんと正しく、なんと恵み深いお方でしょう。 Ⅱペテロ 1:1(LB訳)

1.イエス様の義による信仰

ペテロは自分のことを「イエス様のしもべ、召使い」と紹介しています。これは口先のことではなく、自分の醜さとイエス様のすばらしさを良く知っているゆえに出た言葉です。この計り知れない祝福を秘めた信仰は、自分の力ではなくイエス様の義によって与えられたものです。(ローマ5:1)

2.神様の平安をもっとほしい時

あなたがたも、神様のいつくしみと平安とを、もっとたくさんいただきたいと願うでしょう。それなら、もっと深くイエス・キリストについて学びなさい。キリスト様を知れば知るほど、その偉大な力を通して、神様に従う正しい生活を送るために必要な全てのものが、いただけるのです。 Ⅱペテロ 1:2,3(LB訳)

イエス様のことを学んで知ることによって、神様の恵みと平安、正しく生きるための力、栄光と品性が与えられ、この世の腐敗から守られます。

信仰は聞くことから始まります。聞くこととは、キリストについてのことばを通して実現するのです。ローマ10:17

3.さらに神様の贈り物をいただくためには

だからこそ、熱意を傾けて、信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。Ⅱペテロ 1:5~7

①一生懸命に励む、②神様を理解する、③主の御心を知る、④欲を捨てる、⑤忍耐と敬虔を身に付ける、⑥全てを委ねる。そうすると、人に好意を示し、気持ちよく交際し、深い愛で結ばれるようになる。(LB訳)

4.求める人求めない人
みことばの勧めに従って、これらのことを追い求める人は、霊的な面でますます強められ、有益な者となります。
しかし、これらのことを信じることなく、信仰の深みを追い求めない人は、せっかく与えられた罪の赦しも忘れてしまい、この世のことや目先のことにしか関心がなくなり、ちょっとしたことでつまずいてしまいます。
へりくだって素直に神様に従う人だけが成長し、つまずかず、神様の計り知れない祝福をいただくことができます。(Ⅱペテロ3:17,18)

旧約聖書は、今を生きる私たちのために書かれています。
出エジプトを果たし、約束の地カナンを目指すイスラエルの民は、エリコの対岸、モアブの野に宿営しました。モアブの王バラクは、彼らの数と今までの快進撃のうわさを聞いて恐れ、はるばる500km先のペトルから占い師バラムを招き、呪いによってイスラエルに勝利しようとしました。

神はバラムに言われた。「あなたは彼らと一緒に行ってはならない。また、その民をのろってもいけない。その民は祝福されているのだから。」   民数記 22:12
1.主はロバにものを言わせるお方
占い師バラムは、バラク王から依頼を受けますが、「行ってはならない」とはっきり主の命令を受けていました。それでも彼は、報酬に目がくらみ、何度も主のみこころを求めます。主はとてもユニークな方法で彼の行動にブレーキを掛けました。

主がろばの口を開かれたので、ろばはバラムに言った。「私があなたに何をしたというのですか。私を三度も打つとは。」       民数記 22:28

彼らは正しい道を捨てて、・・・バラムの道に従ったのです。バラムは不義の報酬を愛しましたが、・・・ろばが人間の声で話して、この預言者の正気を失ったふるまいをやめさせたのです。     Ⅱペテロ 2:15,16

2.バラムの罪
バラムはバラク王の呪いの依頼に対して、イスラエルを祝福しましたが、最終的には大きな罪を犯してしまい、殺されました。(民数記31:8,16)

バラムはバラクに教えて、偶像に献げたいけにえをイスラエルの子らが食べ、淫らなことを行うように、彼らの前につまずきを置かせた。黙 2:14

3.現代のバラムの罪
①自分の都合を最優先するゴリ押しの祈り
主のみこころがはっきりとみことばによって示されているにも関わらず、自分の要求を呑ませようとする祈り。主がそのように導いたかのように自分で納得し、あたかも信仰的であるかのように周りにも言いふらす。
②主の恵みからの逸脱
私たちは、主の選びと恵みと信仰によって救われました。主の愛の中に生かされ、聖霊様が内住される神様の宮となりました。自分の行いや働きによって認めてもらおうとする努力は不要です。
③霊的体験の偏重
霊的体験の有無と信仰深さとは無縁です。パッとしない信仰生活を一瞬にして変える方法はありません。(コロサイ2:16~19)

ことさらに罪を求め続けると、主はその罪の中に私たちを任されます。私たちは、自分の思いを押し通す祈りや行動を捨て、主とみことばと兄弟姉妹に仕える心を持ち、落ち着いた信仰生活を送りましょう。

彼らは荒野で激しい欲望にかられ、荒れ地で神を試みた。そこで、主は彼らにその欲するものを与え、彼らのいのちを衰えさせた。     詩篇 106:14,15

《苫小牧めぐみキリスト教会 高石富生 講壇交換 室蘭聖書教会にて》

あなたがたは、終りの時に〔あなたがたに〕啓示されようとしている〔あの終局の〕救いを〔完全に受け継ぐまで、あなたがたの〕信仰を通し、神の力によって、守られ〈守護され〉ているのです。Ⅰペテロ1:5 (詳訳)

私たちは神様に愛され、御子イエス様の十字架と復活によって、尊い救いをいただきました。私たちは神様から、すでにいただいたもの、将来いただくもの、現在備えられているものがあります。

1.私たちが恵みによっていただいたもの
Ⅰペテロ1:3~9によると、私たちは主から、下記に示すようなすばらしいものをいただいています。  
完 了:新生、希望、救い 
現 在:守り、喜び、試練、魂の救い 
未 来:朽ちない資産、終局の救い、賞賛

2.信仰により、神の力によって守られている
私たちは、イエス様の再臨によって完全な救いをいただきますが、それまでは地上にあって様々な試練の中で生かされています。地上で肉体にあって生きている私たちは、イエス様とみことばの約束に対する信頼により、悪しきものから神様の力によって守られる必要があります。私たちは非常に迷いやすく、弱い者だからです。(士師記2:10~15)

あなたがたを、つまずかないように守ることができ、傷のないものとして、大きな喜びとともに栄光の御前に立たせることができる方、 ユダ24

3.信仰がなければ

この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。        エペソ 2:8

私たちは、神様の恵みと信仰によって救われましたが、クリスチャン生活を信仰ではなく自力で送れると勘違いしている場合があります。そういう人は、神様に頼らず、礼拝せず、従わず、教会から離れ、イエス様の化身である兄弟姉妹と交わろうともせずに、自分中心の生き方に流れて行きます。しかし、その生き方に神様の守りはありません。

信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神がご自分を求める者には、報いて下さる方であることを、信じなければならないのです。  ヘブル 11:6

健全な良心を捨てて(使徒5:1~11)、教会や兄弟姉妹に対して不忠実な人は、信仰の破船につながり、サタンに引き渡されてしまいます。

ある人たちは、健全な良心を捨てて、信仰の破船にあいました。・・・彼らをサタンに引き渡しました。    Ⅰテモテ1:19,20

主はこの女を見て深く同情され、「泣くのをやめなさい」と言われた。そして近寄って、ひつぎにみ手をかけられたので、かついでいる者たちが立ち止まった。そこでイエスは言われた、「若者よ、私はあなたに言う、〔死から〕起き上がりなさい」。ルカ7:13,14 (詳訳)

イエス様は、ナインの町の門にさしかかった時、ある葬儀に遭遇されました。情け深くあわれみ深いイエス様は、ひとり息子を亡くした母親に対して深い同情を示され、息子を生き返らせなさいました。

1.死んだ息子とやもめ
彼女は、夫と死別してやもめになり、必死にひとり息子を育ててきました。しかし、その唯一の頼りだった息子に先立たれてしまいました。家族・親族・友人、多くの人たちがなぐさめのことばをかけましたが、彼女の悲しみは癒えることはありません。
イエス様は深い同情を示されて、喜びの奇跡を行われ、ご自身がいのちと死の支配者であることを示されました。私たちも罪によって永遠に滅んでしまっていた哀れな者でした。

2.情け深い主
イエス様は、私たちの思いをはるかに越えて、情け深くあわれみ深いお方です。このご性質は、とこしえからとこしえまで変わりません。

主は あわれみ深く 情け深い。怒るのに遅く 恵み豊かである。
主は いつまでも争ってはおられない。とこしえに 怒ってはおられない。私たちの罪にしたがって 私たちを扱うことをせず 私たちの咎にしたがって 私たちに報いをされることもない。天が地上はるかに高いように 御恵みは 主を恐れる者の上に大きい。    詩篇 103: 8~11

3.あわれみの心
私たちは神様の子供にしていただきました。私たちの主イエス様があわれみ深いように、私たちも隣人にあわれみを示しましょう。特に、兄弟姉妹に対して示すべきです。

あなたがたは、いと高き方の子どもになります。いと高き方は、恩知らずな者にも悪人にもあわれみ深いからです。あなたがたの父があわれみ深いように、あなたがたも、あわれみ深くなりなさい。  ルカ 6:35,36

キリストは私たちのために、ご自分のいのちを捨ててくださいました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから、私たちも兄弟のために、いのちを捨てるべきです。この世の財を持ちながら、自分の兄弟が困っているのを見ても、その人に対してあわれみの心を閉ざすような者に、どうして神の愛がとどまっているでしょうか。子どもたち。私たちは、ことばや口先だけではなく、行ないと真実をもって愛しましょう。Ⅰヨハネ 3:16~18(Ⅰペテロ3:8)

私たちの周りの多くの人々がイエス様の救いを知らずに、罪によって死んでいる状態です。私たちがイエス様からいただいた愛とあわれみと救いを伝えて行きましょう。

神様は心の砕かれた人のそばにおられ、
謙虚に罪を悔いる人を助け出されます。     詩篇 34:18 (LB訳)

神様が「立派な人、信仰深い人、高額献金者、能力のある人、人格者、神様の奉仕者」とだけいっしょにいてくださるとしたら、私たちに希望はありません。しかし、神様は「心の打ち砕かれた者」といっしょにいてくださると約束しておられます。(イザヤ57:15)

1.行いではなく、へりくだり

まことに 私が供えても あなたはいけにえを喜ばれず 全焼のささげ物を望まれません。
神へのいけにえは、砕かれた霊。 打たれた 砕かれた心。
神よ あなたはそれを蔑まれません。       詩篇 51:16,17

神様に対するささげ物や奉仕はとても大切ですし、神様に喜ばれます。しかし、信仰とへりくだりのないささげ物や奉仕は、いくら「すばらしいでしょう。こんなに一生懸命やってます。神様のための尊い働きをしています。」と自分の働きを強調してみても、神様には受け入れられません。みことばに従う基本的な歩みこそが一番大切です。(マタイ7:21~23,25:31~46)

2.主を呼び続ける
へりくだる者とは、自分の弱さと足りなさを自覚して、主を呼び続ける人のことです。主は、ご自身に全面的に信頼する人と共にいて、あらゆる災いから守り、救い出して下さいます。

主を呼び求める者すべて まことをもって主を呼び求める者すべてに
主は近くあられます。                詩篇 145:18

3.兄弟姉妹に仕える心
神様に対しては恐れて従うが、兄弟姉妹に対しては非礼で尊大に振る舞う。それは上の者に媚びる生き方です。一番低く弱いと思われる人に対しての接し方に、その人の心が現われます。

まことに 主は高くあられますが
低い者を顧みてくださいます。
しかし高ぶる者を 遠くから見抜かれます。 詩篇 138:6

心身ともに強くて立派で、信仰深く、金銭も能力もあり、奉仕する力がある人が幸いなのではありません。また、そのようなものを備えていなくて、かつ、高慢でかたくなな者も喜ばれません。
力や能力や財力がなくても、へりくだって主に頼ることはだれもができることです。そして、そのような人が一番幸いです。

主はあなたに告げられた。人よ、何が良いことなのか。
主があなたに何を求めておられるのかを。
それは、ただ公正を行ない、誠実を愛し、へりくだって、
あなたの神とともに歩むことではないか。    ミカ 6:8

あなたがたの祈り〔の生活〕に真剣でありなさい〈うむことのない《ゆるぐことのない》ものでありなさい〉。感謝をもって〔祈ることに〕油断しないで〈〔また〕心を集中させて〉いなさい。コロサイ 4:2 (詳訳)

祈りの生活とは、主イエス様に頼る生活です。自分に都合の良い結果を神様に無理矢理に求めることではありません。祈らない生活とは、主イエス様に頼らない、自分の思いのままに歩む生活です。
聖書は、油断することなく、主イエス様に真剣に祈り頼る生活をするように命じています。

1.目をさましていなさい

・・・誘惑に陥らないように、目を覚まして祈っていなさい。・・・。 マタイ 26:36~46

主イエス様は、ゲッセマネの園で十字架刑を目前にして、苦しみもだえながら祈っておられましたが、ペテロとヤコブとヨハネは三回も眠りこけてしまいました。目を覚まして祈っているようにと命じられましたが、主イエス様の十字架は所詮他人事でしかなく、自分の力を過信した彼らは一時も祈ることができませんでした。。
怠惰で眠りこけると、正しい判断ができず、誘惑に負けてしまいます。(箴言 6:6~11)

2.失望してはいけない
イエス様は人でなしの裁判官のたとえから、温情深い神様に祈ることの正当性、大切さを教えられました。

いつも祈るべきで、失望してはいけないことを教えるために、・・・「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官がいた。・・・まして神は、昼も夜も神に叫び求めている、選ばれた者たちのために・・・。ルカ 18:1~8

3.継続する祈りの生活
聖書は、苦難の中でも忍耐してひたすら祈るように命じています。継続してひたすら祈るとは、主イエス様に頼り続けることを意味します。主イエス様に頼ることをやめてしまったら、滅びの道へ真っ直ぐに進んで行きます。

・・・。望みを抱いて喜び、苦難に耐え、ひたすら祈りなさい。・・・。 ローマ 12:9~21

主イエス様が良くしてくださったことを、何ひとつ忘れてはいけません(詩篇103:2)。主は良いことしかなさいませんので、私たちは、感謝をもって、あきらめずに祈り続けることができます。

・・・
主は あなたに恵みとあわれみの冠をかぶらせ
あなたの一生を 良いもので満ち足らせる。
・・・                  詩篇 103:1~5

孫は老人の自慢の種、父親は子供の尊敬の的です。箴言 17:6 (LB訳)

明日は「敬老の日」です。1965年「多年にわたり社会に尽くしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う日」として国民の祝日に制定されました。
聖書では一貫して、目上の人、老人に敬意を払い大切にするように命じています。それが私たち自身の祝福と平安と長寿につながります。

あなたを生んだ父の言うことを聞け。
あなたの母が年老いても蔑(さげす)んではならない。
真理を買え。それを売ってはならない。
知恵と訓戒と分別も。
正しい人の父は心躍らせ、
知恵のある子を生んだ人はその子を喜ぶ。
あなたの父と母を喜ばせよ。
あなたを産んだ人を楽しませよ。
箴言 23:22~25(30:17)

.父母への尊敬
聖書は十戒の第五戒、対人関係における最初の戒めとして「両親への尊敬」を挙げています。私たちは、両親を通して命が与えられ、自分自身で生きることができなかった時に、生きられるように世話をしていただきました。両親、祖父母は命の恩人です。

あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしているその土地で、あなたの日々が長く続くようにするためである。  出エジプト 20:12

2.目上の人、老人への尊敬
聖書は神様を恐れることと老人を敬うことを同様に大切なこととして命じています。地位や立場、能力、財力、人間性に関係なく、目上の人を尊敬しなければなりません。神様はそのような秩序を重んじています。

あなたは白髪の老人の前では起立し、老人を敬い、またあなたの神を恐れなければならない。わたしは主である。 レビ記 19:32

3.父母を喜ばせる生き方
聖書は父母を喜ばせる生き方をするように命じています。旧約聖書の律法では、父母に逆らう放蕩者は石打ちの刑に処せられました。(マタイ15:4)
父母を喜ばせる生き方、それは、父なる神様をも喜ばせる生き方につながっています。父母を大切にしないで、神様を大切にすることはできません。

ただし、どちらかを選ばなければいけない時は、イエス様を選びましょう。

わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。 マタイ 10:37

いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。ピリピ人への手紙 4:4

パウロは、自らが囚われの身となって、獄中という大変な状況にありながら、なぜそこまで自らが喜び、しつこいくらいに「喜びなさい。喜びなさい。」と命じているのでしょうか。

1.「喜び」の根拠
私たちには主イエス様の十字架と復活による救いが与えられています。主イエス様の十字架を信じないで、地上のことだけを考えて自分の欲望に従う人は、永遠に滅ぼされてしまいます。

1)私たちの国籍は天にある。           ピリピ 3:20
2)主は近い。〈主はすぐにおいでになります。詳訳〉ピリピ 4: 5
3)神様の平安がある。              ピリピ 4: 7

2.主にあって
パウロが命じているのは、あくまでも「主にあって」ということが前提です。主のみことばと約束、主に対する服従抜きの、自分中心の歩みでは
到底喜ぶことはできません。「主にある」とは次の生き方です。

1)主のみことばと約束を信じる
2)主の弟子に倣う生き方                     ピリピ 3:17 
3)主に頼る           ピリピ 4: 6

3.第2のパウロに
人は、自分の思い通りに生きられれば、いつも喜んで生きられると思いがちです。しかしそこには、不平不満と相手のせいにする悪意しか生まれません。
パウロは「私に倣いなさい」と言いました。パウロに倣うとパウロのように、逆境の中でもイエス様を仰ぎ見て喜ぶ人になることができます。そして、そのような人は、逆境の中で意気消沈している人に、「私に倣ってください」と励ますことができます。
逆境の真っただ中でも、主のみことばと約束を信じて喜ぶことは、信仰の歩みにおいてとても安全な道です。そこには、不平不満、不信仰、みことばに従わない自分勝手な歩みなどの入り込む隙がないからです。

私の兄弟たち、主にあって喜びなさい。私は、また同じことをいくつか書きますが、これは私にとって面倒なことではなく、あなたがたの安全のためにもなります。  ピリピ 3:1

主を自らの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。 詩篇 37:4