礼拝メッセージ

イエスは目を上げて言われた。「父よ、わたしの願いを聞いて下さったことを感謝します。
あなたはいつでもわたしの願いを聞いて下さると、わたしは知っておりましたが、周りにいる人たちのために、こう申し上げました。あなたがわたしを遣わされたことを、彼らが信じるようになるために。」
そう言ってから、イエスは大声で叫ばれた。「ラザロよ、出て来なさい。」  ヨハネ11:41~43

ヨハネはイエス様の8つの奇蹟を記しています。最初はカナの結婚式でのぶどう酒の奇蹟です。ラザロの復活は7番目の奇蹟です。

1.イエス様の働き

イエスはガリラヤ全域を巡って会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病、あらゆるわずらいを癒された。マタイ4:23(マタイ11:5)

1)会堂での教育-弟子訓練

2)福音伝道-罪からの救い

3)病の癒やし-あかしの奇蹟(使徒2:22,43)

2.奇蹟(しるし)の目的

1)神様の栄光のため

イエスは言われた。「この病気は死で終わるものではなく、神の栄光のためのものです。それによって神の子が栄光を受けることになります。」 ヨハネ11:4(9:3)

2)イエス様のことばの真実さを裏付ける

わたしが父のうちにいて、父がわたしのうちにおられると、わたしが言うのを信じなさい。信じられないのなら、わざのゆえに信じなさい。  ヨハネ 14:11

3)イエス様に対する信頼を新たにする

マリアのところに来ていて、イエスがなさったことを見たユダヤ人の多くが、イエスを信じた。ヨハネ11:45(15,27,42)

3.イエス様のご命令

1)大宣教命令

弟子たちは出て行って、いたるところで福音を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、みことばを、それに伴うしるしをもって、確かなものとされた。] マルコ 16:20(16:15~20)

2)お互いに祈り合う

ですから、あなたがたは癒されるために、互いに罪を言い表わし、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、働くと大きな力があります。 ヤコブ5:16(13~18)

神様は私たちの隠れ家、また力、そして苦難にあえぐ時の確実な助けです。たとい全世界が吹っ飛び、山々が海に沈もうとも、こわがることはありません。海よ鳴りとどろき、白くあわ立つがよい。山よ、激しく揺れ動くがよい。・・・天の軍勢の主は、確かに私たちの味方です。ヤコブの神であるこのお方が、駆けつけて助けてくださいます。詩篇46:1~11(LB訳)

詩篇の作者は、「苦難よ、来るなら来い!」と、大変威勢の良いことを言っています。なぜそこまで大胆になれたのでしょうか。

1.私たちの主はどのようなお方か

1)天地の創造主、さばき主 (コロサイ1:15~18、マタイ28:18)

2)罪を贖い、復活された方 (Ⅰコリント15:3,4)

3)私たちを救い、内に住まわれる方(Ⅱコリント13:5,ガラテヤ2:20)

神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。ローマ 8:31

2.主は、あえて導かれる

ある日のことであった。イエスは弟子たちといっしょに舟に乗り、「湖の向こう岸へ渡ろう」と言われたので、弟子たちは舟を出した。ルカ8:22

A:薄っぺらで打算的な信仰 B:深くて揺るがない信仰

あなたは、AとBどちらの信仰を求めていますか。イエス様は湖が荒れて来ることを知っていながら、弟子たちに舟を出させたのでしょうか。
主は、私たちをあえて困難へと導かれる場合があります。

3.苦難は何を生み出すか

1)自分の弱さ、罪深さを思い知る
苦しみにあったことは、私にとって幸せでした。それにより、私はあなたのおきてを学びました。  詩篇 119:71

2)神様のすばらしさを体験する(ルカ8:25)

3)より主を信頼するようになる
愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間で燃えさかる試練を、何か思いがけないことが起こったかのように、不審に思ってはいけません。むしろ、キリストの苦難にあずかればあずかるほど、いっそう喜なさい。キリストの栄光が現われるときにも、歓喜にあふれて喜ぶためです。  Ⅰ ペテロ 4:12,13

私たちの主イエス様に対する信仰によって、自らの上にこれらすべてのみことばが実現することを見ることができます。信仰がなければ、すべてはただの苦痛です。

あなたがたが、信仰の結果であるたましいの救いを得ているからです。   Ⅰペテロ 1: 9

今年度、私たちの教会の頭(かしら)であるイエス様から、すばらしいみことばが与えられました。このみことばは、3つの命令ですから守っても守らなくても、どちらでも良いことばではありません。イエス様を自分自身の主とする者は、主の命令を守ります。

あなたがたが、〔霊的な事柄についての〕すべての洞察〈賢さ〈知恵〉をもって、互いに教え合い、また勧告し合い〈訓練し合い〉、また詩と賛美と霊の歌〔をうたって〕、心の中に〔神の〕恵みを覚えながら神に向かって調べを合わせるとき、キリスト〈メシヤ〉〔の語られた〕ことばを〈あなたがたの心情と知性の中に〉宿らせ《あなたがたのうちに〔全く〕豊かに住まわせ》なさい。 コロサイ 3:16(詳訳)

キリスト様の教えを心にとめ、そのことばによって、人生が豊かに潤されるようにしなさい。知恵を尽くして、そのことばを互いに教え合い、忠告し合い、感謝にあふれて、詩篇と賛美歌と霊の歌を、高らかに歌いなさい。 コロサイ 3:16(LB訳)

1.イエス様のことばが住むようにしなさい

「みことばが豊かに住むように」と命じられています。住むとは一時的ではなく、永続的なことです。永住するには、住まわせる私たちの同意がなければなりません。心情と知性においてみことばを受け入れ、たくさん蓄えて、それに従って歩み続けましょう。

私は心を尽くしてあなたを求めています。どうか あなたの仰せから私が迷い出ないようにしてください。私はあなたのみことばを心に蓄えます。あなたの前に罪ある者とならないために。  詩篇 119:10,11

2.互いに教え、忠告し合いなさい

神様との縦の関係が強固になれば、兄弟姉妹との横の関係が強固になります。そのためには、霊的な洞察力(正しいみことばの理解)と知恵(主を恐れる信仰)が必要です。へりくだって兄弟姉妹から教えや忠告を請う心、訓練を受ける心を持ちましょう。

兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。    ローマ 12:10

3.讃美の歌を神様に向かって歌いなさい

父なる神様、救い主イエス様、慰め主聖霊様の三位一体の神様を、「詩篇と賛美歌と霊の歌」により、喜びと感謝をもってほめたたえましょう。詳訳聖書では、賛美するときにみことばを心に宿らせるように勧めています。みことばの賛美は、こころを喜ばせ信仰へと導きます。

ハレルヤ。まことに、われらの神にほめ歌を歌うのは良い。まことに楽しく、賛美は麗しい。 詩篇147:1(22:26,119:171,149:1)

何をするにも、何を語るにも、主イエス様の代理人として行動し、主イエス様と共に、父なる神の前に出て、心から感謝しなさい。コロサイ3:17(LB訳)

「わたしはいのちを捨てるために来ました」と言われているのです。キリストは、はるかにすぐれた制度を打ち立てるために、最初の制度を廃止されました。この新しい計画にそって、キリストはただ一度死なれ、それによって私たちは罪を赦され、きよくされているのです。・・・しかしキリストは、いつまでも有効なただ一つのいけにえとして、私たちの罪のためにご自分を神にささげ、そのあと神の右の座について、敵が足の下に踏みつけられるその日を待っておられます。ヘブル10:9,10,12(LB訳)

今日は復活祭・イースターです。イエス様は「いのちを捨てるために来ました」と言われたように、私たちを救い出し、いのちを与えるために苦しみもがき、最後には死なれました。しかし、三日目にはよみがえって下さいました。暗い全人類にこの上ない希望の光が差し込みました。

1.みこころを行うために来られたイエス様

ヘブル10:5~7は詩篇40:6~7の引用です。イエス様は預言されていたとおりに、神様のみこころを行い、私たちを救うためにこの地上に来て下さいました。私たちの罪を聖めるために、神様はいろいろなささげ物ではなく、イエス様ご自身のいのちを要求されました。イエス様に十字架を背負わせて、ヴィア・ドロローサ(悲しみの道)を歩かせ、十字架上でいのちを捨てさせる必要がありました。

2.キリストは、罪のために永遠のいけにえをささげられた

イエス様は、私たちの罪のために永遠に有効な唯一のいけにえとして、ご自身を神様にささげて下さいました。

さらに聖霊様は、こうも言われます。「わたしは、二度と彼らの罪と不法行為を思い出しません。」ヘブル10:17(LB訳)(エレミヤ31:34)

この新しいいのちに至る道は、キリスト様が、ご自分の体という幕を引き裂くことによって、切り開いてくださいました。私たちはこの道を通って、きよい神様の前に出ることができるのです。ヘブル10:20(LB訳)

その後、神の右の座に着かれた

イエス様が「神の右の座に着かれた」とは、復活したことを表わしています。霊として復活したのではなく、栄光の肉体をもってよみがえられ、天に帰られました。復活のイエス様は、魚を食べたり、十字架の傷口に触れさせることもできました。イエス様の復活は、サタン・悪霊・死・罪に対する勝利であり、救いの確証であり、天国の希望です。そして、私たち一人ひとりの勝利であり、復活です。(Ⅰコリント15:12~19)

キリスト様は、聖書に記されているとおり、私たちの罪のために死なれ、葬られたこと、そして預言者たちの予告通りに、三日目に墓の中から復活されたことです。キリスト様はペテロに姿を現わし、・・・そしてある時には、五百人以上のクリスチャンの前にも、姿をお見せになったのです。その中の何人かはもう死にましたが、大部分は今も健在です。・・・そして最後に、未熟児みたいな私の前にも現われてくださったのです。                        Ⅰコリント15:3~8(LB訳)

私はキリストといっしょに十字架につけられました。〈私は〔キリストにおいて〕彼の十字架にともにあずかったのです〉。生きているのはもはや私ではありません。キリスト〈メシヤ〉が私の中で生きておられるのです。私が今肉体において生きている生活は、私を愛して私のためにご自身を与えてくださった神のみ子を信ずる信仰〈彼に対する心服《よりすがり《〔全き〕信頼》》〉によって生きている生活なのです。   ガラテヤ2:20(詳訳)

今年度、主から与えられたみことばです。1年間どのような思いで歩むことができたでしょうか。「キリストが私の中におられる」ことを信じて歩んで来たでしょうか。

1.律法の要求

神の律法は、私たちに完全な義を要求します。ローマ3:10~18に示されているように、私たちはその要求に全く応えることができません。自己義を振りかざして、自分はダメだと落ち込むことも律法主義です。

・・・律法の言うことはみな、律法の下にある人々に対して言われていることを知っています。それは、すべての口がふさがれて、全世界が神のさばきに服するためです。ローマ 3:19

2.ともに十字架につけられた

主イエス様は、神の律法が要求される完全な義を完全に全うされました。「私たちがキリストと共に十字架につけられた」とは、イエス様が私たちの身代りとなって十字架につけられた時、イエス様を信じる私たちがあたかも同時に十字架で罰せられて、神様の義が全うされたということを表わしています。

私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。ローマ6:6

3.信仰によって生きている生活

私たちが今生きているのは、「古い罪の人、自己義、自己中心」ではなく、「イエス様の支配、聖霊様の内住、愛するイエス様への信仰・信頼」によっています。主イエス様が内におられるとは幸いなことです。私たちは主の恵みを無にしません。

こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。エペソ 3:17

あなたは訓戒に意を用い、・・・。箴言23:12

耳の痛いことばも喜んで聞き、ためになることはどんどん取り入れなさい。子どもはきびしく育てなさい。むちで打っても死にはしませんが、甘やかすと、やがて地獄に落ちることになります。わが子よ。あなたが知恵のある人間になってくれたら、どんなにうれしいでしょう。私の胸は、あなたの思慮深いことばに躍ります。将来は希望にあふれているのだから、悪人をうらやまず、いつも主を恐れて生活しなさい。箴言23:12~18(LB訳)

神様はしつこいくらい繰り返し、みことばに聞くようにと語っておられます。それは、私たちの創造主として、私たちがどのような性質の者であるかをよくご存じであられ、私たちにとって最も幸いな道、最も危うい道を知っておられるからです。

1.悟るに遅く、忘れやすい者

かつて、イスラエルの民は、主の奇跡を見て主に従うことを誓いながら、何度も逆らいました(出エジプト32:1~)。弟子たちも然りです。私たちもなんら変わらない者です。

私は、キリストの恵みをもってあなたがたを召してくださったその方を、あなたがたがそんなにも急に見捨てて、ほかの福音に移って行くのに驚いています。ガラテヤ1:6(Ⅰテモテ1:19)

2.みことばは、私たちを救う

主は、私たちの口からみことばや信仰のことばが出ることを何より喜んで下さいます。みことばにいのちがあるからです。

あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。 ヨハネ 5:39(箴言1:7)

3.みことばに意を用いる

信じ受け入れたみことばを聖霊様によって行わせていただきましょう(日々のみことば、祈り、毎週の聖餐式、主の集まり、兄弟姉妹の交わり、執り成し、福音伝道、弱者を助ける)。
主は、私たちを甘やかさず、信仰と知恵と希望にあふれた者に成長させようと奮闘して下さっています。

・・・心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。私がきょう、あなたに命じるこれらのことばを、あなたの心に刻みなさい。・・・   申命記 6: 4~9

私たちを、キリストのしもべ、また神の奥義の管理者だと考えなさい。 このばあい、管理者には、忠実であることが要求されます。     Ⅰコリント 4: 1,2

私たちの歩み・人生は、何の変哲もない一時、一日の積み重ねです。どんな立場の者として生活しているのか、任されているものにどのような態度で向き合っているかが問われます。

1.些細と思われること

些細なことと思うことは、軽く考えてないがしろにしやすいものです。教会の集まり、祈り、みことば、伝道、当番、対人関係など、自分がその価値を判断して行動します。

貧しい人には、「あなたは、そこで立っていなさい。・・・私の足もとにすわりなさい。」と言うとすれば、ヤコブ 2: 3

さて、イエスにさわっていただこうとして、人々が子どもたちを、みもとに連れて来た。ところが、弟子たちは彼らをしかった。  マルコ 10:13

2.忠実な者に変えられる

主人の家から窃盗を働いて逃走した奴隷オネシモは、主の救いをいただいて有益な者へと変えられました。

獄中で生んだわが子オネシモのことを、あなたにお願いしたいのです。 彼は、前にはあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにとっても私にとっても、役に立つ者となっています。  ピレモン 10,11(コロサイ 4: 9)

3.仕えるべきものに忠実

モーセが神の家全体のために忠実(民数記12:7)であったのと同様に、イエスはご自分を立てた方に対して忠実なのです(ヨハネ4:34)。  ヘブル 3: 2

私たちは、主のしもべとして神様の奥義の管理を任されています。それぞれにその置かれている場所で任されているもの、負うべき役割や働きがあります。

主は忠実な者にこの世でも、次の世でも大きな報いを与えて下さいます。

小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。ルカ16:10(19:17)

私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に、エペソ 3:20

私たちは、宇宙・ミクロ・生物・霊などの世界を知り尽くすことは出来ません。ましてや神様ご自身・神様の愛も知り尽くすことはできません。一方、神様との関係、人間関係、生活、将来については、様々な願望を持っています。しかしそれは、今までの浅い経験や知識から来る限定され、歪められたものです。神様は独り子イエス様の十字架の救いによって人知を越えた愛を不思議な方法で私たちに教えて下さいました。

1.人の知識をはるかに越えた愛を知る

人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。  エペソ 3:19

1)完全には見極められない愛

さらに、それを身を持って経験できますように。もっとも、この愛はあまりにも大きいので、それを見極め、完全に把握することは、とても無理ですが。エペソ 3:19(LB訳)

2)経験を伴わない知識を越えた愛

〔あなたがたが〕単なる〈経験を伴わない〉知識をはるかに越えたものであるキリストの愛を、〈あなた方自身の経験を通して、実際的に〉〔ほんとうに〕知るようになり、エペソ3:19(詳訳)

神様は、一方的な愛と恵みによって、私たちに聖霊様と信仰とを与えて、救いの奥義を明らかにして下さいました。

2.奥義を明らかにして下さった

確かに偉大なのはこの敬虔の奥義です。「キリストは肉において現われ、霊において義と宣言され、御使いたちに見られ、諸国民の間に宣べ伝えられ、世界中で信じられ、栄光のうちに上げられた。」  Ⅰテモテ 3:16

3.主に満たされるために

〈自分の全存在において〉満たされて、神の充満に達する〈最大限の豊かな神のご臨在をいただき、神ご自身によって全く満たされ、あふれているからだとなる〉ためです。エペソ3:19(詳訳)

主は私たちの内なる人を強くし、満たして下さいます

身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。  Ⅰペテロ 5: 8

ペテロはキリストの苦難の証人、やがて現われる栄光にあずかる者として、私たちに勧めのことばを残しました。それは、敵対者の存在、勝利者であるイエス様、クリスチャンとしての注意すべき点です。

1.敵対者である悪魔の存在

敵である悪魔は、クリスチャンの従順な信仰生活に攻撃を仕掛けてきて、破壊しようとします。悪魔は「中傷者(ヨブ1,2章)・誘惑者(マタイ4:1~11)・反逆者(Ⅱコリント4:4)」であり、「人を落胆、失望させ、偽りを言ってでも人を責める」(H.j.ションフィールド)者です。

この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。 Ⅱコリント 4:4

2.悪魔が利用するもの

怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。盗みをしている者は、もう盗んではいけません。 エペソ 4:26~28

悪魔は私たちの不従順や罪から機会をうかがっています。

1)高ぶり  (Ⅰペテロ5:5,6)
2)思い煩い (Ⅰペテロ5:7)
3)霊的鈍感 (Ⅰペテロ5:8)

3.悪魔への対処方法

主イエス様は、愛と恵みと血によって私たちを救い出し、復活によって、すでに私たちを永遠の栄光の中に入れて下さいました(Ⅰペテロ5:9~11)。主イエス様に対する信頼が第一です

1)堅く信仰に立つ  
2)悪魔に立ち向かう
3)苦しみの中でも忍耐する

ペテロは、イエス様と祈っていたゲッセマネの園で爆睡し、裁判の時には3回も否定し、ユダヤ主義者を恐れて信仰に反する行動をとりました。しかし、最後は逆さ十字架で殉教しました。彼の勧めのことばは、経験に裏打ちされたものです。

先週は、主イエス様の血潮によって私たちの罪が赦されたことをみことばから教えていただきました。それでは、罪赦された私たちが歩むべき道とは何でしょうか。

1.信仰によって神様と共に歩む

私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。     へブル 10:22

神様と私たちの仲介者は、神様が認めて下さった罪のない聖い完全なお方です。そのお方の犠牲によって、神様との敵対関係は完全に解消されました。(へブル10:10~21)

2.希望と愛と善行の歩み

約束された方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか。また、互いに勧め合って、愛と善行を促すように注意し合おうではありませんか。 へブル 10:23,24

真実な主イエス様が完全な救いを与えて下さいました。それは、私たちの功によらない、救いと永遠の命です。確信を持って希望を告白し、愛と善行に励みましょう。

3.励まし合う歩み

ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。  へブル10:25

私たちには、主イエス様に対するように仕え、互いに励まし、助け、慰め合うことのできる兄弟姉妹が与えられています。

あなたがたの恐れを知らぬ確信を捨て去ってはなりません。それには大きな〈光栄ある〉補償が報いとして伴うからです。あなたがたが神のみ旨を果たし〈完全に成し遂げ〉、そうしてついに約束のものを受ける〈持ち去って〔心ゆくまで楽しむ〕〉ことができるために、あなたがたに必要なものは、ゆるがないしんぼう強さ〈忍耐〉なのです。へブル10:35,36(詳訳)

私たちに必要なのは、何が起ころうとも、どんな誘惑が来ようとも、イエス様にあって忍耐することです。

私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。 へブル 10:39