礼拝メッセージ

マラキ書は旧約聖書の最後の書で、年代はBC460~430年頃のものと考えられ、マラキは、エズラ、ネヘミヤの改革に与ったようです。「マラキ」は「わたしの使者」の意です。民は、預言者ハガイ、ゼカリヤに励まされて神殿を再建しましたが、預言されていた王国の希望・栄光・繁栄は実現せず、かえって凶作になり、それらに失望して不信仰になっていました。
マラキは、民の不信仰と不誠実な生き方を糾弾し、悔い改めて主に聞き従うように勧めます。そして、来るべきメシヤと先ぶれとなるバプテスマのヨハネの現れの希望を預言しました。

1.冷え切った神様への愛

神様は、マラキを通してご自身の変わらない「選びの愛」を宣言します(マラキ 1:1~3)。しかし、神様の愛とは裏腹に人々の神様に対する心は冷え切っていました。厚顔無恥な民は、神様の指摘に対して「自分たちはちゃんとやっている」とうそぶきます。
主は民の主の名を蔑む行為として、自分のためには価値のある良いものを取っておき、盗んだ汚れたパンや欠陥のある価値のない動物を神様に献げる行為、形式的な心のない礼拝(マラキ1:6~14)、呪術、姦淫、不正、神様に対する盗みと傲慢(マラキ3:5~15)を指摘しています。

『見よ、なんと煩わしいことか』と言って、それに蔑みのことばを吐いている。マラキ 1:13

・・・十分の一と奉納物においてだ。・・・あなたがたは、わたしのものを盗んでいる。・・・十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。マラキ 3:8~10

2.離婚・雑婚問題

神様に対する冷淡さと無関心さは、人間関係・夫婦関係への冷淡さに現れてきます。神様との契約が軽んじられて、人々は自分中心の生活へと陥って行きました。年長の者、指導的立場の者が糟糠の妻を捨てて若い外国(異教)の女を妻としていました。そのため、家庭生活はいつも苦悩に満ちていました。(マラキ 2:10~16、エズラ9,10章、ネヘミヤ13章)

・・・異国の忌み嫌うべき習慣と縁を断つことなく、・・・しかも、指導者たち、代表者たちがこの不信の罪の張本人なのです。 エズラ 9:1,2

3.最後の審判と来るべきエリヤ

旧約聖書の最後に、主を恐れる者への祝福、審判の日の前に最後の預言者バプテスマのヨハネがメシヤの先駆者として遣わされることなどが預言されました。その後、400年の沈黙の時代(中間時代)を経て預言は成就しました。主は、へりくだって主を恐れる者を愛してくださいます。

わたしの名を恐れる者には、義の太陽が昇る。その翼に癒しがある。あなたがたは外に出て、牛舎の子牛のように跳ね回る。 マラキ 4:2

見よ。主の大いなる恐るべき日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。マラキ 4:5(マタイ 17:10~13)

ゼカリヤは祭司の出で、ハガイと同時代に捕囚から帰還した民に対して、悔い改めて恐れずに神様に仕えるように励ました預言者です。「ゼカリヤ」の名には「神は覚えておられる」との意味があります。
ゼカリヤ書には、「8つの幻」「8つのメシヤ預言」「将来の希望」があり、新約聖書にメシヤ預言の成就が記されています。

1.幻と励まし
ゼカリヤ書にはダニエル書やエゼキエル書と同様の「幻」が記されています。これらの「幻」は、イスラエルを圧迫する敵と偶像の滅亡、エルサレムの再建・回復、メシヤの到来、平和と繁栄の到来、神殿の完成などの意味が含まれています。

①世界を巡視する4人の騎手(ゼカリヤ 1:7~17)
②4つの角と4人の職人   (ゼカリヤ 1:18~21)
③測り綱         (ゼカリヤ 2:1~13)
④祭司長ヨシュア     (ゼカリヤ 3:1~10)
⑤燭台と2本のオリーブの木(ゼカリヤ 4:1~14)
⑥飛ぶ巻物        (ゼカリヤ 5:1~4)
⑦飛ぶエパ桝       (ゼカリヤ 5:5~10)
⑧4両の戦車       (ゼカリヤ 6:1~8)

2.メシヤ預言
メシヤ預言は2度の来臨(初臨と再臨)について預言しています。1度目は人々の罪の救いのために死なれるしもべとしておいでになり、2度目は天と地を支配される栄光に輝く王としておいでになると預言されています。

①枝としてのメシヤ  (ゼカリヤ 4章)
②祭司としてのメシヤ (ゼカリヤ 6:13)
③メシヤのエルサレム入城(ゼカリヤ9:9,10⇒マタイ21:5,ヨハネ12:15)
④キリストの輝き   (ゼカリヤ 9:16,17)
⑤羊飼いとしてのメシヤ(ゼカリヤ 11:12,13⇒マタイ27:9,10)
⑥キリストの十字架  (ゼカリヤ 12:10⇒ヨハネ19:37)
⑦キリストの受難   (ゼカリヤ 13:7⇒マタイ26:31、マルコ14:27)
⑧キリストの再臨   (ゼカリヤ 14:1~21⇒マタイ25:31~34)

3.将来の希望
その日、主の足はエルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。・・・主は地のすべてを治める王となられる。・・・   ゼカリヤ 14:4~9

ゼカリヤ書には、近い将来の回復の希望とともにイエス様の再臨に伴う最終的なご支配と希望について預言されています。
主が与えて下さる将来の希望に目を向け、人間的な力や能力によらず、聖霊様の助けによって歩んで行きましょう。(ゼカリヤ 4:6)

ああ、あなたが天を裂いて降りて来られると、山々はあなたの御前で揺れ動きます。 イザヤ 64:1
「この世の王国は、私たちの主と、そのキリストのものとなった。主は世々限りなく支配される。」 黙示録 11:15

旧約聖書最後の3巻ハガイ書、ゼカリヤ書、マラキ書は捕囚からの帰還後、エズラ・ネヘミヤの時代のものです。
ハガイは、バビロン捕囚となったイスラエル人の子として生まれ、ペルシア帝国キュロス王の勅令(BC538)によってエルサレムに帰還しました。帰還した人々は神殿の再建を始めましたが、妨害と冷淡さによって15年間の中断を余儀なくされました。ハガイは、指導者の総督ゼルバベルと大祭司ヨシュア、民を主のみことばによって励まし、ついに神殿はBC516に奉献されました。預言のメッセージは4回①~④にわたって告げられました。

1.再建の呼びかけ
・・・見よ。得たものはわずか。・・・それは、廃墟となったわたしの宮のためだ。あなたがたがそれぞれ、 自分の家のために走り回っていたからだ。ハガイ 1:2~15

ハガイは、主の宮の再建が土台だけで中断し放置されている現状と人々が自分の家を第一にして利己主義に陥っているのを見て、「神殿の再建がなければ主の祝福はない」と預言のことばを語りました。
神様をないがしろにして自分の利益(自己満足、自己実現、自分の興味、自分のやりたいこと)だけのために一生懸命になっても、神様の祝福はなく、経済的・精神的・信仰的に困窮するばかりです。人生の良きものはすべて神様から発しているからです。

2.幸いな優先順位
主は、彼らと共におられ、共に働かれるので恐れずに心を強く持って仕事に取り掛かるように励ましておられます。そして、主を第一とするときの祝福を具体的に約束してくださっています。

仕事に取りかかれ、わたしがあなたがたをともにいるからだ。ハガイ2:1~9
今日から後、わたしは祝福する。ハガイ2:10~19

3.選びの祝福
わたしはあなたを選んで印章とする。わたしがあなたを選んだからだ。万軍の主のことば。ハガイ 2:20~23

さらに主は、しもべである総督ゼルバベルを選んでくださったと言われます。私たちの力や功績ではなく、主によって選ばれた私たちはなんと幸いな者でしょうか。自分が無に等しい者であることを自覚し、主に感謝していっそう励みましょう。安定した歩みが約束されています。

すなわち神は、世界の基が据えられる前から、この方にあって私たちを選び、御前に聖なる、傷のない者にしようとされたのです。エペソ 1:4

・・・この世の取るに足りない者や見下されている者、すなわち無に等しい者を神は選らばれたのです。・・・Ⅰコリント 1:26~29

自分たちの召しと選びを確かなものとするように、いっそう励みなさい。これらのことを行っているなら、決してつまづくことはありません。 Ⅱペテロ 1:10

ゼパニヤは、南ユダ王国のヨシヤ王(BC640~609)の時代の預言者で、ヒゼキヤ王の玄孫(やしゃご)にあたり、エレミヤと同時代に活躍しました。彼が預言したのはBC587のバビロンによる南王国ユダのエルサレム滅亡前の数十年間です。その預言は、ヨシア王の大宗教改革(BC621)に大きな励ましを与えたと考えられています(Ⅱ歴代誌 34,35章)。
ゼパニア書には、主のさばきの日、諸国民の滅亡、エルサレムの罪と救いと希望について記されています。

1.主のさばきの日の預言
ゼパニヤはユダ王国の罪、特に政治的・宗教的指導者の不信仰と不正・悪事、民の偶像崇拝、諸国の高ぶりを強い口調で断罪し、来たるべき主のさばきを宣告します。
1)スクテヤ人の侵入(BC626、南ロシアの野蛮民族)
2)バビロンによる捕囚(BC587)
3)終末の主の日

・・・その場所からバアルの残りを、・・・その祭司らとともに断つ。そして、屋上で天の万象を拝む者どもを、また、主に誓いを立てて礼拝しながら、ミルコムに誓いを立てる者どもを、主に従うことをやめた者ども、主に尋ね求めない者どもを断ち切る。ゼパニヤ 1:4~6

2.悔い改めと主の赦し
主は、ご自身への反逆と腐敗と堕落を一掃した後、残りの謙遜で忠実な少数の者を回復させ、祝福してくださいます。そこには、捕囚からの帰還、エルサレムの再建の希望があります。

わたしはあなたのただ中に、へりくだった、貧しい民を残す。彼らは主の名に身を避ける。ゼパニヤ 3:12

主は、へりくだって罪を悔い改め、主を信頼して主に身を避ける者をあわれみ、罪を赦し、唇を清めて救ってくださいます。

そのとき、わたしは諸国の民の唇を変えて清くする。彼らはみな主の御名を呼び求め、一つになって主に仕える。ゼパニヤ 3:9(ゼパニヤ 2:3)

3.わざわいを恐れない信仰
イスラエルの王、主は、あなたのただ中におられる。あなたはもう、わざわいを恐れることはない。・・・シオンよ、恐れるな。気力を失うな。あなたの神、主は、あなたのただ中にあって救いの勇士だ。
主はあなたのことを大いに喜び、その愛によってあなたに安らぎを与え、高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる。ゼパニヤ 3:15~17

主は、私たちがわざわいに遭わずに済むようにしてくださるのではなく、主が共にいて私たちに安らぎを与え、私たちを歌を歌って喜んでくださるので、わざわいの中でも恐れる必要はないと言ってくださいます。

神の国はあなたがたのただ中にあるのです。ルカ 17:21
この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。コロサイ 1:27(ガラテヤ 2:20,21)

ハバククはエレミヤと同時代の預言者です。彼の人物像は不明ですが、書の最後に「指揮者のために、弦楽器に合わせて。」とあることから聖歌隊員ではないかと考えられています。彼の預言は、BC587のバビロンによる南王国ユダのエルサレム滅亡直前のものと言われ、ユダ王国指導者の罪、敵国バビロンへのさばき、喜びと勝利の信仰についてです。

1.ハバククの疑問
なぜ、あなたは私に不法を見させ、苦悩を眺めておられるのですか。暴行と暴虐が私のそばにあり、・・・。ハバクク 1:3

①神様はなぜ国民を虐げる指導者を栄えさせているのか。
②神様はなぜユダ王国をバビロンの手に渡されるのか。
③神様はなぜ邪悪なバビロンの存在を許されるのか。

2.神様の答え
こうして、風のようにやって来て過ぎ去る。しかし自分の力を神とする者は、責めを負う。」ハバクク1:11
その者は、もの言わぬ偽りの神々を造ったのだ。わざわいだ。木に向かって目を覚ませと言い、黙っている石に起きろと言う者。ハバクク2:18,19

主は幻によってハバククに答えられました。「すべての者は主によって正しくさばかれる。自分の力を神とする者、略奪・暴虐を行う者、不正な利得を貪る者、偶像を造る者、神々に頼る者はわざわいを被る。」と。
主はここで最も大切なことば「義人は信仰によって生きる。」すなわち、救いの原則「信仰義認」を示されました。

正しい人はその信仰によって生きる。」ハバクク2:4(ローマ1:17、ガラテヤ3:11、へブル10:38)

3.喜びと勝利の信仰
主よ、私はあなたのうわさを聞きました。主よ、あなたのみわざを恐れています。・・・その威光は天をおおい、その賛美は地に満ちている。・・・しかし、その道筋は永遠だ。ハバクク 3:2~6

ハバククは主の答えに霊の目が開かれました。創造主であり裁き主である主の偉大さ、自分の存在の小ささ、自分の理解の足りなさを痛感し、不法の蔓延、邪悪な敵国の台頭、エルサレムの崩壊のような暗黒時代の中にあっても、信仰によって生きるすばらしさ、主と共に歩むすばらしさを見出しました。主は困難な中でも忍耐によって成長する信仰、喜びと勝利の信仰を与えて下さいます。困難な時こそ互いに励まし合いましょう。

いちじくの木は花を咲かせず、ぶどうの木には実りがなく、・・・しかし、私は主にあって喜び踊り、わが救いの神にあって楽しもう。私の主、神は、わたしの力。私の足を雌鹿のようにし、私に高い所を歩ませる。ハバクク 3:17~19(Ⅰテモテ6:17~19)

・・・神の栄光にあずかる望みを喜んでいます。それだけでなく、苦難さえも喜んでいます。それは、苦難が忍耐を生み出し、・・・私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。 ローマ5:2~5(ヤコブ1:2~4、ピリピ4:10~19)

ナホムは、ヨシア王(ユダ王国)の治世にアッシリアの首都ニネベに対する預言者として活躍しました。アッシリアはBC722に北王国イスラエルを滅ぼしましたが、BC612にバビロンとメディアによって滅ぼされました。
ニネベはナホムの約150年前に預言者ヨナの説教によって悔い改めて救いをいただきましたが、この時にはかつての残忍なニネベに戻っていました。ナホムという名は「主の慰め」の意です。神様の恵みとあわれみを軽んじてはいけません。

1.ニネベへのさばきの警告

神様は以前、イスラエルの敵国であり、残忍な民族アッシリアのニネベの人々にあわれみを示してヨナによって救いを与えられました。しかし、彼らは主を侮り、偶像礼拝、殺人、偽り、不正、淫行、呪術に逆戻りしてしまい、主のさばきを招いてしまいました(ナホム 3:1~7)。
ニネベはかつて、エジプトの町テーベを火と虐殺で滅ぼしたと同じように主によって滅ぼされ、廃墟となる運命でした。(ナホム 3:8~13)

主はねたんで復讐する神。主は復讐し、憤る方。主はご自分に逆らう者に復讐し、敵に対して怒る方。主は怒るのに遅く、力強い方。決して罰せずにおかれることはない。ナホム 1:2,3

2.イスラエルの回復
見よ。良い知らせを伝える人の足が、平和を告げ知らせる人の足が山々の上にある。ユダよ、あなたの祭りを祝い、あなたの誓願を果たせ。ナホム 1:15(ローマ 10:15)

主がヤコブの威光を、イスラエルの威光のように回復されるからだ。ナホム 2:2

主はかつてイスラエルをさばき、懲らしめるためにアッシリアを用いましたが、今、イスラエルが解放され、回復するとの預言が語られました。イスラエルの民は大いなる希望を得ました。

3.主を侮ってはならない
『神に仕えるのは無駄だ。神の戒めを守っても、万軍の主の前で悲しんで歩いても、何の得になろう。・・・神を試みても罰を免れる』と。」マラキ 3:14,15

主はナホム書によって、ご自身の愛とあわれみと救いを示しておられます。主はいつくしみ深い方ですが、軽んじても良いというお方ではありません。主の忍耐は、救いであり、私たちを悔い改めに導くものです(Ⅱペテロ3:9,15)。

すべて他人をさばく者よ、・・・あなたは神のさばきを免れるとでも思っているのですか。それとも、神のいつくしみ深さがあなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かないつくしみと忍耐と寛容を軽んじているのですか。・・・その人の行ないに応じて報いられます。・・・神にはえこひいきがないからです。ローマ 2:1~11

思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、刈り取りもすることになります。・・・ ガラテヤ 6:7~10

ミカはアモス、ホセア、イザヤと同時代BC8世紀の田舎(モレシェテ)出身の預言者です。ミカは、北王国イスラエルの首都サマリアと南王国ユダの首都エルサレムの罪を厳しく非難してさばきを警告しました。しかし、彼らは悔い改めず、北王国イスラエルはBC720年にアッシリアによって崩壊しました。エルサレムはBC701年にアッシリアによって包囲されましたが、奇跡的に守られました。ミカは、さばきの預言とともに、メシヤの到来と将来の栄光と希望を預言しました。

1.イスラエルの罪と主のさばき

1)指導者たちの罪(ミカ 7:1~6)
あなたがたは善を憎んで悪を愛し、人々の皮を剥ぎ、その骨から肉をそぎ取る。ミカ 3:2

そのかしらたちは賄賂を取ってさばき、祭司たちは代金を取って教え、預言者たちは金を取って占いをする。・・・「主は私たちの中におられるではないか。わざわいは私たちの上に及ばない。」ミカ 3:11

本来、民を守り霊的に導くべき指導者が偶像礼拝に陥り、逆に民を虐げ、不正を行って私腹を肥やしていました。しかも、それらを黙認する偽預言者が大勢取り巻いており、民の間にも不正が蔓延していました。

2)主のさばき
その刻んだ像はすべて打ち砕かれ、儲けはみな火で焼かれる。・・・エルサレムの門に、主からわざわいが下ったのだ。・・・わたしは再び、侵略者をあなたのところに送る。ミカ 1:7~16

神様は以前、エリヤ、エリシャ、アモスを遣わされましたが、拒否されてしまいました。この時まさに主のさばきが訪れようとしていました。

2.メシヤ預言
ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で、あまりにも小さい。だが、あなたからわたしのためにイスラエルを治める者が出る。その出現は昔から、永遠の昔から定まっている。」ミカ5:2(マタイ 2:6、ヨハネ 7:42)

1)ベツレヘムでのメシヤの誕生を預言(旧約聖書中唯一)
2)イスラエルの回復と栄光に輝く未来(ミカ2:12,13,4:1~8,7:18~20)

3.主が求められるもの
主があなたに何を求めておられるのかを。それは、ただ公正を行ない、誠実を愛し,へりくだって,あなたの神とともに歩むことではないか。ミカ6:8

主は、表向きは高価な献げ物・うやうやしい礼拝・大きな犠牲があったとしても、主への忘恩、宗教的見せかけ、不誠実、人身御供、偶像礼拝、不平不満がその人の心の内に隠れているなら、そのような礼拝を忌み嫌われます。
主は私たちを心から愛しておられる誠実なお方ですから、互いに心を許し合って、友として共に歩むことを望んでおられます。

・・・神はあなたがたに近づいてくださいます。罪人たち、手をきよめなさい。二心の者たち、心を清めなさい。・・・ヤコブ4:1~10(マタイ 15:8,23:3)

ヨナは、BC8世紀のイスラエルの預言者です。神様から敵国アッシリアの首都ニネベに行って、悔い改めの説教をするように命じられました。しかし、ヨナは敵国異教徒の救いを望まず、命令に反して全く逆方向へ船で逃亡しようとします。その途中、海に投げ込まれ、大魚にのみ込まれて陸へと吐き出されます。ついに神様の命令に従ってニネベへ宣教に行き、人々の悔い改めと救いを見ます。彼はその結果に不機嫌となりますが、神様は一本の唐胡麻(とうごま)によって彼を諭します。

1.ヨナの信仰と不満
私は、海と陸を造られた天の神、主を恐れる者です。ヨナ 1:9

1)ヨナの信仰
①神様はあわれみの神様(ヨナ 4:2) ②創造主を恐れる(ヨナ 1:9) ③神様の救いを信じる(ヨナ1:12,17)
④神様への降参と悔い改め(ヨナ2章) ⑤神様への服従(ヨナ3:3)
2)ヨナの行動
①残虐な敵を助けたくないため主に従わない(愛国心)。⇒逃亡
②敵が悔い改めて赦されたのが気にくわない。(ヨナ 4:1~4)
③唐胡麻(とうごま)が枯れたのが気にくわない。(ヨナ 4:6~9)

2.ヨナとイエス様
イエスは答えられた。「悪い、姦淫の時代はしるしを求めますが、しるしは与えられません。ただし預言者ヨナのしるしは別です。ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、地の中にいるからです。ニネベの人々が、さばきのときにこの時代の人々とともに立って、この時代の人々を罪ありとします。ニネベの人々はヨナの説教で悔い改めたからです。しかし見なさい。ここにヨナにまさるものがあります。」マタイ 12:39~41(ルカ 11:29~32)

イエス様のヨナについての言及。
1)奇蹟はすでに与えられている。ヨナの奇蹟を信じなさい。
2)ヨナの奇蹟にイエス様の十字架の死と葬りと復活を関連づけられた。
3)ヨナより偉大なイエス様の説教によって悔い改めを勧めた。

3.主の御思い

1)船乗りたちの救い。 (ヨナ 1:14~16)
2)ニネベの人々の救い。(ヨナ 3:9,10,4:11)
3)ヨナへの思いやり。 (ヨナ 1:17,2:10,4:6,9 ~11)

主は、あわれみ豊かなお方です。だれひとり滅ぶことを望まず、すべての人の救いを願っておられます。純粋で短気で怒りっぽく反抗的なヨナをやさしく導き、彼の強くて純粋な信仰と大魚の奇蹟を用いられました。
私たちもヨナのように、主の助けをいただき、主の御思いを教えていただいて、主と同じ思いを持ち、イエス様の救いを伝えていきましょう。

・・・あなたがたは自分の敵を愛しなさい。・・・そうすれば、あなたがたの受ける報いは多く、あなたがたは、いと高き方の子どもになります。いと高き方は、恩知らずの者にもあわれみ深いからです。 ルカ 6:27~36

オバデヤ書は、エドムの滅亡とイスラエルの回復についての預言です。 エドム人はヤコブ(イスラエル)の兄エサウの子孫で、死海の南東の山岳地帯を占領していました。イスラエルと血縁関係にありながら、BC587バビロンのエルサレム進攻の際に、援軍を出さないどころか、バビロンに味方してエルサレムの略奪に加わりました。神様は、エドムの裏切りと傲慢をさばき、最終的には歴史から完全に滅ぼされました。
対照的に、イスラエル(ユダ)は回復し、領土を広げ、主が王として支配することが預言されています。主のあわれみと赦しがあります。

1.エドム滅亡の預言
おまえの兄弟、ヤコブへの暴虐のために、恥がおまえをおおい、おまえは永遠に断たれる。オバデヤ 10

エドムは、山岳峡谷の絶壁に囲まれた難攻不落の首都である要塞都市セラ(ペトラ)・財力・同盟・英知を誇り、神様に対して高慢になり、神の民イスラエルに敵対していました。しかし、神様は、エドムの高慢を打ち砕き、永遠に断たれると宣告されました。

2.主の報い
おまえは、イスラエルの家のゆずりの地が荒れ果てたことを喜んだが、わたしはおまえに同じようにする。・・・おまえは荒れ果て、エドム全体もそうなる。・・・わたしが主であることを知る。 エゼキエル35:15

神様はエドムの裏切りと暴虐(①ユダの苦難に対する喜び、②財宝の略奪、③避難者への妨害)に対して報いを与えられました。
イエス様も自分の量り方で自分が量り返されると教えられました。

・・アドニ・ベゼクが逃げたので、・・・その両手両足の親指を切り落とした。・・・私がしたとおりに、神は私に報いを返された。士師1:6,7

与えなさい。そうすれば、あなたがたも与えられます。・・あなたがたが量るその秤で、あなたがたも量り返してもらえるからです。ルカ6:37,38

3.主の赦し
神様が私たちの言動に対して、それ相当の報いを与えられるとしたらどうなるでしょうか。きっと私たちは一時も立っていることはできないでしょう。私たちは、隣人(家族、教会の兄弟姉妹、友人・知人等)と神様のあわれみのおかげで生かされています。イエス様の十字架上の姿こそが、神様の私たちに対する愛とあわれみとやさしさの現れです。

・・・神は忍耐をもって、これまで犯されてきた罪を見逃してこられたのです。ローマ 3:23~26(使徒 17:29~31)
・・・キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。・・・その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒された。Ⅰペテロ 2:18~25
(イザヤ 53:1~12、エペソ 2:1~6)

最後の日、主の日に完全なる救いと主の支配が訪れます。

救う者たちは、エサウの山をさばくため、シオンの山に上る。こうして、王国は主のものとなる。オバデヤ 2

へブル書11章は、神様に対する信仰の意味と重要性について記されている有名な箇所です。旧約聖書の人物たち(アベル、エノク・・・)が、「信仰によって」ということばで次々と紹介されています。彼らの行動、生き方そのものが、神様に対する信仰として示されています。
創世記から申命記まではモーセ五書と言われ、モーセが書いたとされています。今日のみことば(ヘブル11:24~29)に記されているモーセの箇所は、旧約聖書:出エジプト記にあります。彼はイエス・キリスト誕生の1,400年前の人物です。(関連聖書記事:使徒7:17~、ヨハネ5:46,47)

序.モーセの両親の信仰
モーセの両親については、「信仰によって・・・両親によって隠され」(23節)とあるように、彼らが信仰によって、エジプト王を恐れなかったことが称賛されています。さらに、モーセに対し「かわいい(no ordinary child)」と表現されています。これは、両親が神様から何かの特別なサインをいただいていたようにも思われます。

1.モーセは、キリストについて何を知っていたのか?
モーセの知識の中には、口伝(くでん)により何世代にもわたって祖先から受け継がれたものがありました。さらに、神様の特別な啓示を通して知らされたこともありました。モーセは、はっきりとキリスト(救い主)に言及しています。
「聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です」IIテモテ3:16

2.キリストの受ける辱めとはどういう意味か?
「辱め」のギリシャ語の意味は、「そしり、非難、侮辱、虐待、恥辱、恥」です。モーセが「キリストのゆえに」忍耐した屈辱ではなく、キリストご自身が受けた侮辱と虐待を強調しています。救い主イエス様が自分のために受けて下さったそしり、屈辱、苦しみを理解していたようです。

3.なぜモーセはこの辱めを受けることを選んだのか?
「はかない罪の楽しみではなく、神の民と共に苦しむことを選んだ」(25節) モーセは快適で悠々自適な最高の生活を送れたにもかかわらず、キリストの屈辱とともに生きる道を選びました。優雅な生活を捨てたとは書かれておらず、自分の意志を持って選択したとあります。将来を見据えて、その報いがこの世の他の何とも比較できないほどの価値があると見たのです。

まとめ:二人の人物の生き方
・旧約聖書のロトの妻は「彼の妻は、振り返ったので、塩の柱になった」 (創世記19:26)
過去を振り返ることで、将来を台無しにしてしまうことがあります。信仰を失ってしまうこともあります。
・モーセは「エジプトを立ち去り(27節)、与えられた報いから目を離さず(26節)」歩んだ人生でした。
クリスチャンにとって、99%の未信者の中での生活は苦しいものがあるのは事実です。今の世だけでなく、死んだ後の人生もあることを覚え、すべてを支配しておられる主から目を離さずに生きていきましょう。(藤島昇兄)