礼拝メッセージ

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「恵みによる救い」(聖日礼拝メッセージ 2021/08/01)

 私たち人間は、自分の義と行いによって神様の要求に応えて基準をクリアできるので、神様は私たちを受け入れる義務があると考えます。しかし、それは自分たちの理屈でしかありません。私たちは、いくら努力をしても根本的に神様の義と聖の基準に達することはできません。 1.人間の傲慢  民はみな口をそろえて答えた。「私たちは主の言われたことをすべて行います。」それでモーセは民のことばを携えて主のもとに帰った。      出エジプト 19:8,24:3  私たち人間は、実に傲慢なものです。モーセに率いられ、多くの奇跡と神様の臨在を体験し、モーセを通して与えられた主の戒めと命令をすべて行いますと大見得を切っていても、あっさりと神様を捨てて偶像を自分たちの神々として祝い戯れました。人の行いはあてになりません。  「われわれに先立って行く神々を、われわれのために造ってほしい。」・・・それを鋳物の子牛に...
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「夜の訪問者ニコデモ」(聖日礼拝メッセージ 2021/07/25)

 クリスチャンはボーンアゲイン(born again)新生した者と言われます。今日のニコデモの経験は、私たちにも当てはまる経験です。ニコデモは、ユダヤ教のパリサイ派に属していました。パリサイ派は、神の戒め(トーラー)を一生涯守り抜くと神に誓約を立てた、ユダヤ教の中でも最も厳格な派です。いわば宗教的なエリート、ユダヤ人の指導者であり、学識・教養・地位・名声・権威を持っていた人たちです。また、彼は老年期に達していて、人生経験が豊かで、経済的にも豊か(クリスチャンになった後の姿:ヨハネ19:39)でした。 1.ニコデモは、なぜ「夜」に訪問したのか?  「夜」と書かれているのには理由があります。おそらく周りの人の目を恐れていたのでしょう。しかし、イエス様を旧約聖書の真理を教えてくれる教師として認めた上で、教えを請いにやってきました。彼はとても謙遜な人で、熱心な求道心を持っていました。  ...
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「私の救い主」(聖日礼拝メッセージ 2021/07/18)

 愛の大きさは、犠牲の大きさによって知ることができます。イエス様は私たちにご自身のいのちを与えるためにこの世界に来てくださいました。  私たちを「十把一絡げ(じっぱひとからげ)」に取り扱うのではなく、ひとり一人の名前を呼んで一対一で向き合い、罪と永遠の滅びから救い出してくださいました。 1.愛するがゆえの赦し  イエスはこう言われた。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」 ルカ 23:34  イエス様は私たちのために、ゲッセマネの園で祈り、十字架上で執り成しの祈りをしてくださいました。罪にまみれ、反抗的で、今まさに自分を殺そうとしている者に対して「彼らを赦してあげてください」と願い求めてくださいました。  人の子も、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのです。マルコ...
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「さばきからの救い」(聖日礼拝メッセージ 2021/07/11)

 聖書には「すべての人が罪の下にある」「全世界が神のさばきに服する」(ローマ 3:9~20)とあります。クリスチャンである私たちも本来自分自身の罪ゆえに、神様のさばきを受けるべき者でした。  聖く、正しく、真実な神様のさばきからの救いについて見てみましょう。 1.罪に対するさばき  ゲヘナ(地獄)では、彼らを食らううじ虫が尽きることがなく、火も消えることがありません。マルコ 9:48  当時の世界は水におおわれて滅びました。しかし、今ある天と地は、同じみことばによって、火で焼かれるために取っておかれ、不敬虔な者たちのさばきと滅びの日まで保たれているのです。Ⅱペテロ 3:6,7  神様は、私たちを神様と同じように人格、知性、感情、自由意志を持つ特別な存在として創造されましたので、私たちの人生(生き方)が神様の基準に達していたかどうかを判断されます。罪とは律法に逆らうことですから、律...
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「罪の始まり」(聖日礼拝メッセージ 2021/07/04)

罪はどのようにこの世に入り込み、私たちにどのような影響を与えたのでしょうか。救い主イエス様による罪からの救いと私たちが取るべき罪への対処方法を考えましょう。 1.罪の始まり  そこで、女が見ると、その木は食べるのに良さそうで、目に慕わしく、またその木は賢くしてくれそうで好ましかった、それで、女はその実を取って食べ、ともにいた夫にも与えたので、夫も食べた。   創世記 3:6    罪の始まりは、アダムとエバが神様に従うか、悪魔に従うか、試されることからでした。自由意志が与えられている二人は、神様のご命令より悪魔の唆しに乗り、神様の所有物を盗み、悪魔のウソの方を信じて従いました。エバは、自分の欲に引かれて罪を犯し、アダムを共犯者として取り込みました。アダムはエバを諫めるどころか自分も共犯者になることに同意しました。第一の戒めである「神を愛せよ」を破ったことになります。  こういうわ...
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「人間の創造の目的」(聖日礼拝メッセージ 2021/06/27)

 先週は、神様が私たち人間を創造されたことを見ましたが、今日のテーマは、「10.人間の創造の目的」です。どのような目的で私たちは創造されたのでしょうか。それが明らかになれば、私たちの正しい生き方、目指すべき目的・目標が見えてきます。 1.神様の栄光のため  神様は、私たち人間をご自身に似た、知性と感情と意志を持つ非常に良いもの(創世記 1:26~31)、愛するもの(イザヤ 43:4、Ⅰヨハネ1:3)、ご自身の栄光を現すものとして造られました。  わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造した。これを形造り、また、これを造った。 イザヤ 43:7  2.イエス様の生き方  イエス様は、天地の創造主でありながら私たちと同じ人間になってくださいました。それは、目に見えない神様を現すこと、神様に従う完全な人生の模範を示すためでした。  イエス様は、人の評...
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「創造された人間」(聖日礼拝メッセージ 2021/06/20)

 今日から「Ⅲ.罪について」に入り、初回は「9.人間の創造の方法」を見ていきます。私たち人間とは、どのように創造され、どのような存在なのでしょうか。どこに尊厳や価値があるのでしょうか。  神様は、聖書を通して私たちの本当の姿、真価を教えて下さっています。 1.人間の創造  私たち人間は、神様によって地のちりから造られ、いのちの息(霊)を吹き入れられて生きるものになりました。神様が創造された人間は非常に良いものでした。  神は仰せられた。「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。・・・神は人をご自身のかたちとして創造された。・・・神はご自分が造ったすべてのものを見られた。見よ、それは非常に良かった。創世記 1:26~31  神である主は、その大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた、それで人は生きるものとなった。創世記 2:7  土のちりは元あっ...
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「悪魔の誘惑」(聖日礼拝メッセージ 2021/06/13)

 悪魔は、堕落した御使いが起源とされています。神様に敵対し、悪事を働き、狡猾に私たちを誘惑して堕落させようとします。しかし、イエス様は十字架の死と復活によって、サタンに勝利してくださり、信じる私たちにも同様の勝利を与えてくださっています。 1.悪魔の起源と目的  明けの明星、暁の子よ。どうしてお前は天から落ちたのか。・・・『私は天に上ろう。・・・いと高き方のようになろう。』だが、おまえはよみに落とされ、穴の底に落とされる。イザヤ14:12~15 (エゼキエル28:15~17、マタイ25:41、黙示録 12:7~9)  悪魔は、元々きよい御使いとして神様が造られましたが、高慢によって天から追放され、最初にエバとアダムを惑わして原罪をもたらしました。  悪魔は、サタン、龍、蛇、試みる者、この世の君と呼ばれています。  悪魔の目的は、神様と人間との良い関係を破壊し、人間が自分たちのよう...
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「仕える霊 御使い」(聖日礼拝メッセージ 2021/06/06)

 聖書には、御使いが様々な場面に登場して役割を果たしていることを見ることができます。御使いは通常私たちには見ることはできず、めとることも嫁ぐことも死もない(ルカ 20:34~36)霊的な存在で、人間よりも広い知識と力を持っています。彼らは神様の御業のために奉仕する存在です。 1.御使いの働き  御使いは、創世記から黙示録までの全体を通して、神様をたたえ、神様のメッセージを伝え、聖徒を助け、悪を滅ぼし、神様のすばらしい働きをしています。目に見えない存在ですが、見える形で現れる場合もあります。 ①創造を喜ぶ  わたしが地の基を定めたとき、・・・神の子たちがみな喜び叫んだときに。ヨブ 38:4~7 ②聖徒の救出  私の神が御使いを送り、獅子の口をふさいでくださったので、獅子は私に何の危害も加えませんでした。ダニエル 6:22 ③イエス様の誕生、悪魔の試み、ゲッセマネの祈り、復活、再...
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「三位一体の神様」(聖日礼拝メッセージ2021/05/30)

主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがたすべてとともにありますように。Ⅱコリント 13:13  このみことばは、「三位一体の神様」を表し、祝祷に用いられます。「三位一体の神様」ということばは、聖書にはありませんが聖書が示す大切な真理です。この教理を捨てた者は異端となっていきました。それでは、この教えは、私たちの信仰生活とどのように関係しているのでしょうか。 1.三位一体とは  聖書は、創造主なる神様は多神(教)ではなく、神様の唯一性と統一性(神様の本質は分けることができない)を強調しています。それと同時に神様は三位一体であると教えています。  「三位一体」とは、「父なる神・子なるキリスト・聖霊の三位格は一である」と言う意味です。アタナシウス信条では「われらは唯一の神を三位において、三位を一体において礼拝する。しかも位格を混同することなく、本質を分離するこ...
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