礼拝メッセージ

「哀歌」は、神の都エルサレムがバビロン軍によって焼き払われ、神の宮が滅ぼされ、人々が捕囚となった悲しみを謳ったものです。これは、単にエルサレムの滅亡と捕囚を悲しむ以上に、神様に反逆した報いとして、どれほど恐ろしい代価を払わなければならないかを、人々に知らせるものです。作者はエレミヤと言われています。この詩は、BC587、AD70のエルサレム滅亡を覚えるために、現在でもユダヤ人の会堂で朗読されています。

1.主への逆らい
神様に愛され、世界一美しいとされたエルサレムは、神様を捨てて律法に逆らい、罪に罪を重ね、硫黄の火によって滅ぼされたソドムよりも堕落してしまいました。難攻不落とされた町は、神様の怒りの前にはひとたまりもなく、廃墟と化してしまいました。

エルサレムは罪に罪を重ねた。汚らわしいものとなった。 哀歌 1:8
主は、敵のようになって、イスラエルを呑み込まれた。  哀歌 2:5

預言者エレミヤは、エルサレムと同胞の惨状を見て涙を流しました。

ああ、私の頭が水であり、私の目が涙の泉であったなら、娘である私の民の殺される者たちのために昼も夜も、泣こうものを。  エレミヤ 9:1

2.悔い改めと赦し
私の苦しみとさすらいの思い出は、苦ヨモギと苦味だけ。・・・それゆえ、私は言う。「私は待ち望む。主の恵みを。」実に、私たちは滅び失せなかった。主のあわれみが尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。・・・主はいつくしみ深い。主に望みを置く者、主を求めるたましいに。・・・人が、若いときに、くびきを負うのは良い。・・・十分に恥辱を受けよ。主は、いつまでも見放してはおられない。 哀歌 3:19~33
自分たちの道を尋ね調べて、主のみもとに立ち返ろう。  哀歌 3:40

ユダの人々は、エルサレム陥落と異国への捕囚を経験して、ようやく神様の愛と恵みと祝福のすばらしさに気が付き、神様に対する罪を痛感して悔い改めました。私たちもかつては神様に敵対する者でした。しかし、イエス様の十字架と復活によって、神様との和解をいただきました。

敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させていただいたのなら、和解させていただいた私たちが、御子のいのちによって救われるのは、なおいっそう確かなことです。 ローマ 5:8~11(コロサイ1:21~23)

3.永遠の王座の希望
主よ。あなたはとこしえに御座に着かれ、あなたの王座は世々に続きます。・・・主よ、あなたのみもとに帰らせてください。そうすれば、私たちは帰ります。・・・私たちの日々を新しくしてください。哀歌5:19~22

エレミヤは、エルサレム崩壊の惨状の中から赦しと回復を嘆願します。エルサレムは捕囚後に再建されますが、イエス様を拒否し、その後ローマ軍によって破壊されます。エレミヤは神様の永遠の主権と御国を仰ぎ見ています。

私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの永遠の御国に入る恵みを、豊かに与えられるのです。 Ⅱペテロ 1:11

今日からクリスマス(降誕節)までの期間は、待降節(アドベント:到来の意)です。欧米ではこの期間を、クリスマスの準備とし、キリストの誕生を待ち望んで厳粛に生活する習慣があります。
今日は、イエス様が誕生される以前の中間時代、メシアの待望、私たちのイエス様を待ち望む生活について考えてみましょう。

1.旧約聖書と新約聖書の中間時代(日本は弥生時代です)
現行の西洋歴は、イエス様の誕生を紀元元年としましたが、歴史家ヨセフスによると、イエス様の誕生はBC5年末かBC4年初頭とされています。イエス様誕生前約430年間を中間時代といい、預言者の活動がない、沈黙の時代でした。
①ペルシャ時代BC430~332年 
②ギリシャ時代BC331~167年
③独立(マカベア)時代BC167~63年
④ローマ時代BC63~キリスト在世時代
神様はキリスト降誕のために時代環境を整えられました。

1)ギリシャ語が世界共通語になる アレキサンダー大王によるギリシャ語の強要、新約聖書の執筆と編纂、ギリシャ文化(精神文化の啓蒙)
2)世界の治安維持と道路網の整備 ローマ共和国による治安維持、「すべての道はローマに通ず」、旅行や思想の普及
3)ユダヤ人が世界中に離散 ユダヤ人は各地に会堂を建て、聖書を読み、メシアを待望していた。

2.メシアを待望
中間時代、イスラエルは強国からの支配を受けていました。中でも、BC168年のアンティオコス・エビファネス王の恐怖政治はユダヤ人を激しく迫害しました。神殿冒涜、礼拝・割礼の禁止、聖書写本の焚書、写本所有者の処刑、ユダヤ人の奴隷売買、棄教の強要など。そして、ついにマカベヤの反乱が起こり、一時的に独立を果たしました。その後、帝政ローマに支配される中、イスラエルに勝利と平和と栄光の政治的独立をもたらす偉大な王を待望していました。しかし、メシアであるイエス様は、赤ん坊として誕生し、柔和でロバに乗って入城され、十字架の死と復活によってイスラエルに慰めをもたらされました。
私たちは、自分のメシアを探し求めて彷徨っていましたが、神様が私たちを捉え、イエス様のもとに導いて下さいました。

イエスは言われた。・・・『父が与えてくださらないかぎり、だれもわたしのもとに来ることはできない。』ヨハネ 6:65

3.日々待ち望む
イエスは彼らに言われた。「わたしの食べ物とは、わたしを遣わされた方のみこころを行い、そのわざを成し遂げることです。   ヨハネ 4:34

イエス様は、毎日ひとりで静かなところへ行って、父なる神様とお祈りによって交わりの時を持っておられました(マルコ1:35)。なぜなら、イエス様の生きる目的は、父なる神様のみこころを行うことだったからです。
私たちは、毎日何を待ち望んでいるでしょうか。自分の利益や満足や賞賛ではなく、神様のみこころが成ることを一番に待ち望めたら何と幸いでしょうか。
イエス様が神でありながら、へりくだって人となって来て下さり、私たちの救い主となって下さったことを隣人にお知らせしましょう。

御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。 マタイ 6:10

エレミヤは、イザヤの約100年後、アナトテで祭司の子として生まれ、BC627年に預言者として召命を受けました。同時代には、ハバクク、ゼパニヤ、ダニエル、エゼキエルなどの預言者がいました。彼は40年にわたり、来たるべき患難を警告し、神様に立ち返るように訴えました。彼は、預言のゆえにしばしば命の危険にさらされましたが、同胞の悲惨な運命を嘆き(涙の預言者)、神様のメッセージをストレートに伝えました。彼の預言には、「バビロン王に仕えて生きよ」とのメッセージ、捕囚からの帰還と喜び、回復と繁栄の約束もありました。彼の「生き方と行いを改めなさい」というメッセージは、今日の私たちにも語られています。

1.エレミヤの時代
神様はイスラエルをご自分の民として選び、愛し、守り育ててきました。しかし、彼らは神様と契約を捨て、異教と偶像の神々、悪行を慕っていました。エレミヤは、神様の厳しさと愛を伝え続けました。

わたしの民は二つの悪を行った。いのちの水の泉であるわたしを捨て、多くの水溜を自分たちのために掘ったのだ。エレミヤ 2:13
純種の良いぶどうを植えたのに、どうしてあなたは、わたしにとって、質の悪い雑種のぶどうに変わってしまったのか。エレミヤ 2:21

2.生き方と行いを改めよ

さあ今、あなたがたの生き方と行ないを改め、あなたがたの神、主の御声に聞き従いなさい。エレミヤ 26:13

「生き方(道)」とは、自分が核心としている信仰、自分が拠って立っているものです。「行い」とは、自分の信仰が外に表れたものです。「改めよ」とは、神様との契約に立ち返って、履行することを意味します。そうすれば、神様が共に住んでくださるとの約束です。
「思考は言葉になり、言葉は行動になり、行動は習慣になり、習慣は人格になり、人格は運命になる。」〔英国のマーガレット・サッチャー元首相の言葉(諸説あり)〕みことばを第一とし、主に服従する信仰は思考を変えます。

3.心を新たにすることによって

この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。ローマ 12:2

みことばは、この世と調子を合わせ、この世の価値観を自分の生き方の中心に据えないように命じています。私たちは自分で自分を変えることはできませんが、イエス様にゆだねて従うという決心をすることができます。神様はその決心を、私たちを刷新するきっかけとして、私たちの内側で新創造の働きを開始してくださいます。そのための要素は次の3つ、「悔い改め」「新しい人を着る」「イエス様の恵み」です。

1)悔い改め                     詩篇 51:10
2)古い人を脱ぎ捨てて新しい人を着る エペソ4:22~24 コロサイ3:10
3)キリストの恵みと聖霊の刷新             テトス 3:5

聖書個所:ヤコブの手紙 1章16~27節

今は入れ歯ではなくインプラント(体内に埋め込む医療機器や材料の総称)の時代です。臓器も他人のものを移植するのではなく、iPS細胞によって自分の細胞を培養する時代です。

1.真実の言葉によって生まれる
Iペテロ1:23によると、キリストの福音を信じ受け入れたとき、私たちの第二の誕生であるキリストにおける新しい創造が「真実のことばによって」起こったと言っています。

あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく朽ちない種からであり、生きた、いつまでも残る。神のことばによるのです。Iペテロ 1:23

(1)言葉によるインプラント
私たちは霊的に死んでいた者であり、神のことばを受け入れる場所がありませんでした。私たちは聖書も知らず、新生を望んでもいませんでした。しかし、不思議な神は私たちに哀れみを注いでくださいました。神が新生を実現する方法は、福音である神のことばによるものです。聖霊はそのことばを私たちの死んだ心に運び込み、私たちが今まで経験したことのないようなキリストの真理を見るようにします。そして、私たちは真実のことば、つまり神のことばである福音を通して命が与えられています。

(2)福音による力
インプラントされた言葉は「たましいを救うことができる」(ヤコブ 1:21)。
私たちは、神のことばによって新たに生まれました。聖霊は私たちの内に宿り、そのことばは私たちの中に植え付けられます。この内在する聖霊は、私たちを守り、天国に連れて行く神の方法であり、埋め込まれたことばは、最後に私たちの魂を保存し、救う神の方法です。

2.素直に受け取る
「素直」とは、神のことばに「教えられる」または「服従する用意ができている」ことを意味します。その反対は、疑いを持つことです。なぜなら、そのことばのすべてが自分にとって真実であるのか、良いことなのかと疑うからです。「受け取る」とは、歓迎するという意味です。

3.毎日、福音(GOOD NEWS)が必要
ヤコブ1:21「心に植えつけられたみことばを受け入れる」とは、福音が私たちが毎日受け取ることばの中心であり続けるということです。福音とは良い訪れであり、利益をもたらす中心的なメッセージです。それは、単なる布ではなく、刻み込まれたデザインのようです。聖書を読み、黙想することで、みことばが生きたものに変えられます。ことばを受け取ることで、新しく始まる人生に力が与えられ、その人生が維持されます。
(藤島昇兄)

イザヤは紀元前8世紀に、南ユダ王国において約50年にわたり活躍した預言者です。彼は幻を通して不思議な方法で預言者としての召命を与えられ(イザヤ 6:1~13)、5人の王(ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤ、マナセ)の時代に、罪の告発、ユダ王国の滅亡、捕囚からの解放、メシヤ預言(誕生と受難)、新天新地などの預言をしました。

1.罪の告発
イザヤの時代に、ユダ王国は見せかけの繁栄に酔いしれ神様を拒絶し、道徳的退廃、社会的不正、宗教的偽善が蔓延していました。神様は彼らの態度に失望していますが、愛によって悔い改めと赦しの道を提供されます。

わざわいだ。罪深き国、咎重き民、悪を行う者どもの子孫、堕落した子ら。彼らは主を捨て、イスラエルの聖なる方を侮り、背を向けて離れ去った。・・・あなたがたの手は血まみれだ。洗え。身を清めよ。・・・あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。イザヤ 1:2~31

2.主に拠り頼め
ヒゼキヤ王はアッシリアの王センナケリブに攻め込まれた時に、イザヤを頼って祈りを要請しました。主はヒゼキヤ王の信仰に応えられ、イザヤを通して「エジプトに頼らず主にのみ頼るように」と励まし、主が勝利を与えてくださると約束されました。果たして預言の通りに主ご自身が戦ってくださり、ユダ王国に勝利をもたらされました。

・・・私たちの神、主よ。今、私たちを彼の手から救ってください。・・・主の使いが出て行き、アッシリアの陣営で十八万五千人を打ち殺した。イザヤ37:14~36

3.メシヤ預言
イザヤは救い主イエス様の誕生の約750年前に、ダビデの子孫として誕生されるイエス様の誕生と受難の様子、私たちの救いを克明に預言しました。

1)ダビデの根
わたしイエスは御使いを遣わし、・・・証しした。わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である。黙示 22:16(使徒13:22,23、ローマ15:12)
2)メシヤの誕生
主は自ら、あなたがたに1つのしるしを与えられる。見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。イザヤ 7:14(イザヤ 9:6,7)
3)メシヤの死と救い
・・・まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。それなのに、私たちは思った。神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。・・・彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒された。・・・ イザヤ 53:1~12

過去も現在も未来も、私たちのメシヤ・救い主イエス様に拠り頼みましょう。

わたしが造る新しい天と新しい地が、わたしの前にいつまでも続くのと同じように、・・・イザヤ 66:22

雅歌は、男女(ソロモン王と花嫁)の愛を謳った叙事詩です。この書には神様の名前も信仰的な内容もありません。人間の愛の美しさや激しさ、肉体的魅力の歓喜が率直に謳われています。
雅歌の内容は、イスラエルに対する神様の愛、花嫁である教会に対するイエス様の愛の比喩とも考えられています。

1.人間の愛の美しさ
雅歌には、神様が人を男女に創造された目的にかなった様子が描かれており、男女が互いに尊重し、惹かれ合い、愛し合う姿があります。

わが愛する者が娘たちの間にいるのは、茨の中のゆりの花のようだ。
私の愛する方が若者たちの間におられるのは、林の木々の中のりんごの木のようだ。雅歌 2:2,3

私の愛する方を見つけたら、あの方に言ってください。私は愛に病んでいる、と 雅歌 5:8

2.命を懸けた愛

封印のように、私をあなたの胸に、封印のように、あなたの腕に押印してください。雅歌8:6

花嫁は、自分を花婿の胸と腕から決して離れないように、決して消えないように刻み付けて下さい、と願います。命を懸け、死を覚悟した愛がそこにあります。それはまさに、イエス様の私たちに対する愛そのものです。

わたしは良い牧者です。良い牧者は羊たちのためにいのちを捨てます。 ヨハネ 10:11

わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは永遠に、決して滅びることがなく、また、だれも彼らをわたしの手から奪い去りはしません。ヨハネ 10:28

3.ねたむ愛
この二人の愛の炎はすさまじく、愛のねたみは地獄(墓)のように残忍だ、と言っています。それほどの強く激しい愛です。
聖書では神様もご自分のことを「ねたみの神」と言われ、私たちはねたまれるほど愛されていますし、手に刻まれるほど離れ難い者とされています。私たちはイエス様以外のものに心を奪われ、イエス様を第一としない二心、浮気心にならないように注意しましょう。

女が自分の乳飲み子を忘れるだろうか。・・・見よ、わたしは手のひらにあなたを刻んだ。イザヤ 49:15,16

あなたは自分のために偶像を造ってはならない。・・・それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたみの神。 申命記 5:8,9(Ⅰコリント10:22)

私はこう確信しています。死も、いのちも、・・・私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。ローマ 8:38,39

伝道者の書は、「知恵文学」の1つで、著者はソロモンと言われています。その主題は「空の空。すべては空」、究極的なものを見失うとすべては空しいとしています。「創造主なる神様、救い、永遠のいのち」を認めなければ、地上のどんな繁栄、事業、知恵・知識、快楽、名声も空しいものです。しかし、神様に心を向ける時、真の幸いを見出すことができます。ソロモンは自分の人生を振り返り、最善の生き方を示します。

1.神様を無視する心
日の下でどんなに労苦しても、それが人に何の益になるだろうか。伝道者 1:2
神は人を真っ直ぐな者に造られたが、人は多くの理屈を探し求めたということだ。伝道者 7:29

伝道者の書は、日本人が共感する書のひとつと言われます。無神論者を標榜し、神様を無視して生きているため、社会が豊かになり、物質的に繁栄し、学問や医療が進んでも人生に空虚さを覚えることは、至極当然と言えます。私たちは、罪と理屈によって創造主から迷い出てしまい、本来の存在意義を見いだせなくなってしまった一匹の羊のようです。(マタイ18:12)
それは、クリスチャンになってからでも同様です。神様や救い主イエス様を知っていながら、信頼せずに自分中心で行動し、あたかもいないかのように振る舞うことは、感謝と喜びのない、空しい生き方です。

・・・「食べたり飲んだりしようではないか。どうせ、明日は死ぬのだから」・・・ Ⅱコリント 15:32~34

2.順境の日には
人生は、私たちが認めようが認めまいが、すべて神様の最善のご計画によっています。だれにでもあらゆることが降りかかってきます。順境の日には、主に感謝して素直に喜び楽しみましょう。

・・・また、人がみな食べたり飲んだりして、すべての労苦の中に幸せを見出すことも、神の賜物であることを。伝道者 3:10~14
すべての営みには時と裁きがある。人に降りかかるわざわいは多い。何が起こるかを知っている者はいない。いつ起こるかを、だれも告げることはできない。伝道者 8:6,7

3.逆境の日には
すべての人に逆境もまたやってきます。それも神様の最善の御業です。一人で立ち向かうものではありません。神様は耐えられない試練は与えられませんし(Ⅰコリント10:13)、イエス様も聖霊様も共におられ、支え、励まし、より良い道に導いて下さいます。(詩篇119:67、Ⅰテモテ1:19,20)
逆境は、自分の今の信仰姿勢を見直す時であり、信仰を建て直してさらに神様に近く歩み、新たに信仰を深めるチャンスです。伝道者は、権力とあり余る財力であらゆる経験をし、社会の不条理を見て来ました。そこで、みことばに従う道こそが、最善の道であると結論づけています。

神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。神は、・・・すべてのわざをさばかれるからだ。伝道者12:13,14

箴言は大部分がソロモンによって書かれ、充実した人生を送るための実際的教訓集です。神様を敬う知恵のある信仰者の生き方、信者と不信者の違い、知恵のある者と愚かな者の違い、行為とことば、子供の訓育、社会正義、行儀作法、賢い妻などについて記されています。
箴言での「知恵」とは、処世術ではなく、神様を敬いみことばに従うこと、すなわち「信仰」を意味します。
「あなたの心を見守れ」とは、何からどのように守ることでしょうか。

1.守られていない心
あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれから湧く。箴言 4:23

みことばは、自分自身の心を見守らなければ、心がカラカラにひからびてしまうと言っています。心をひからびさせるものとは何でしょうか。それは、サタンの攻撃でも、試練でも、失敗でも、病気でもありません。

1)汚された心
蛇が悪巧みによってエバを欺いたように、あなたがたの思いが汚されて、キリストに対する真心と純潔から離れてしまうのではないかと、私は心配しています。Ⅱコリント 11:3

私たちの思いが汚されると、イエス様に対する純真な思いが薄れてしまい、イエス様を礼拝すること、みことばに従って信仰によって生きること、兄弟姉妹に仕えようとすることもなくなってしまいます。

2)人からの賞賛を求める心
心が、神様からの栄誉や賞賛よりも人からの賞賛や自分自身の満足と楽しみに向き、心が霊的なことより肉的なことに傾いていきます

彼らは、神からの栄誉よりも、人からの栄誉を愛したのである。ヨハネ 12:43

・・・彼らはすでに自分の報いを受けているのです。・・・あなたがたの父が報いて下さいます。マタイ 6:1~18

2.守られている心
守られている心とは、イエス様の愛と赦しの中にすべてを委ねきって憩うこと、いのちの泉で潤されている心のことです。

わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」ヨハネ 4:14

イエスは・・・言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。」ヨハネ  7:37,38

3.心を見守ること
箴言4章では、父の教え、知恵、悟り、訓戒、ことばを捨てずに、曲がったことを言わず、真っ直ぐ前を見て前進するように命じられています。心を見守るとは、みことばから心が離れていないかどうかをチェックし、主に頼って祈り求めることです。

・・・だれが 自分の過ちを悟ることができるでしょう。どうか 隠れた罪から私を解き放ってください。・・・  詩篇 19:1~14

詩篇は信仰の告白です。ダビデは「主は、私の光、救い、いのちの砦」と告白しました。どんなに敵や恐怖が強大であっても、主は自分を守り、勝利を与えて下さると信じ切って祈っています。
私たちは何を恐れているのでしょうか。主に信頼する、恐れて退いてしまうことのない信仰生活とはどのようなものでしょうか。

1.私たちが恐れるもの
私たちが恐れるものにはどんなものがあるでしょうか。
・病気や災害 ・事故や怪我 ・霊的な敵 ・死や老い ・経済的危機 ・仕事関係や人間関係の失敗 ・本当の自分を知られること
・プライドが傷つけられること
しかし、私たちが本当に恐れなければならないのは、すべてを支配なさっているお方、主なる神様です。

彼らを恐れてはいけません。・・・からだを殺しても、たましいを殺せない者たちを恐れてはいけません。むしろ、たましいもからだもゲヘナで滅ぼすことができる方を恐れなさい。・・・恐れてはいけません。あなたがたは多くの雀よりも価値があるのです。マタイ 10:26~10:31

2.主は言われる「恐れるな」
強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。・・・主があなたと共におられるのだから。ヨシュア 1:9

それは 主が 苦しみの日に私を隠れ場に隠し その幕屋のひそかな所に私をかくまい 岩の上に私を上げてくださるからだ。詩篇 27:5

本来恐れなければならないお方を恐れずに、恐れなくても良いものを恐れてしまうような、みことばに従わない、私たちの信仰姿勢に問題があります。
すべての問題は、主イエス様の十字架の贖いによる救いと、主イエス様が共にいて下さることによって解決しています。今、罪がすべて赦された私たちにとって、恐れを抱く要素はまったくありません。

3.私は恐れない
主よ だれが あなたの幕屋に宿るでしょうか。全き者として歩み 義を行ない 心の中の真実を語る人。・・・友人に悪を行わず・・・このように行う人は 決して揺るがされない。 詩篇 15:1~5

ダビデは、主を恐れ、主の前に誠実に歩む者は、何をも恐れずに平安の内に主と共に生活することができると言っています。
私たちは、何をも恐れず、みことばの約束を信じて、主の家に住まわせていただきましょう。嫌いな人の家に行きたくないものです。

愛する者たち、あなたがたがいつも従順であったように、私がともにいるときだけでなく、私がいない今はなおさら従順になり、恐れおののいて自分の救いを達成するように努めなさい。ピリピ 2:12

「神のすべてのしもべたちよ。神を恐れる者たちよ、小さい者も大きい者も 私たちの神を賛美せよ。」黙示録 19:5

詩篇は、人の心の奥底から湧き上がる思いが信仰によって詩として表現されており、歌うことを前提としたものです。内容は、神様のご性質と御業の賛美、国家的な嘆き、王の生涯の出来事、個人的な哀歌、個人的な感謝、メシヤ預言などです。全部で150篇、ダビデによるものが75篇あります。
詩には、敵の存在、自分自身の罪、山積する問題による疑い、怒り、不安、悔い改めなどの心の叫び、神様の偉大さ、赦し、哀れみ、勝利、慰め、深い愛に対する感謝、喜び、賛美など、正直な思いが溢れ出ています。

1.神様に対する絶対的な信頼
ああ主よ、この祈りを聞いてください。王である神様、私の嘆きに耳を傾けてください。私は神様以外のだれにも、決して祈ったりしません。朝ごとに、天におられる神様を見上げ、御前に願い事を申し上げ、ひたすら祈ります。詩篇 5:1~3(LB訳)

あなたはどうしようもなくなって、主に心から叫んだことがありますか。主への心からの叫びとは、自分の願望を達成させるための訴えではなく、どんなことをしてでも主に従いたい、主を礼拝したいとの訴えです。

2.神様に対する正しい認識
神様は、これっぽっちの悪も喜んだりなさらず、どんなささいな罪でも大目に見たりはなさいません。・・・うそはあばかれ、彼らは滅ぼされます。神様は、殺人と欺きをどんなにお嫌いになることでしょう。詩篇 5:4~6(LB訳)

神様は信心深い者を祝福なさいます。ああ主よ、あなたは愛の盾で囲んでくださいます。詩篇 5:12(LB訳)

作者は、主がどのような性質のお方であるかを良く知っていました。主は正義で罪を絶対に是認されないお方、信じて従う者を愛によって守ってくださるお方であると信じていました。私たちもみことばから神様のことを正しく教えていただきましょう。

3.神様の義による導き
しかし私は あなたの豊かな恵みによってあなたの家に行き あなたを恐れつつ あなたの聖なる宮に向かってひれ伏します。・・・あなたの義によって私を導いてください。私の前に あなたの道をまっすぐにしてください。  詩篇 5:7,8

作者は、主を礼拝させていただけること自体が主の豊かな恵みによることだと告白します。そして「主の義によって導いてください」と祈っています。自分自身の義ではなく、信仰によって与えられる主の赦しによる、主の義です。主イエス様の十字架の贖いによる赦しです。
私たちも作者のように「主のみこころによる、主の道を与えて下さい」と祈りましょう。その祈りには「主のお住まいにいつもいっしょにいたい。主のみこころの道に歩みたい」とのへりくだった信仰と服従があります。 霊的なことを軽んじないように、聖められることを求めましょう。

聖さを追い求めなさい。聖さがなければ、だれも主を見ることができません。だれも神の恵みから落ちないように、・・・ ヘブル 12:14~17