礼拝メッセージ

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「最後の教え」(聖日礼拝メッセージ 2024/03/17)

 今日は新約聖書の教え17「最後の教えと祈り」です。最後の晩餐の席での出来事です。弟子たちはイエス様が王となる王国を築いて下さると思っていましたが、イエス様が去ってしまわれることを聞いて不安を覚えました。イエス様は「あなたがたを捨てて孤児にはしません。」と約束され、ご自身を愛してみことばに生きるよう教えられました。 1.弟子たちの不安  トマスはイエスに言った。「主よ、どこへ行かれるのか、私たちには分かりません。どうしたら、その道を知ることができるでしょうか。」ヨハネ 14:5  イエス様は、十字架にかかられることとよみがえられることを「栄光を受ける」と表現されました(ヨハネ 13:31,32)。また、復活後に昇天されて父なる神様のみもとに帰られ、信じる者のために場所を用意しに行くと言われました(ヨハネ 13:1,14:1~4)。しかし、弟子たちはそれらを理解できず、不安になっていま...
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「弟子たちの足を洗う」(聖日礼拝メッセージ 2024/03/10)

 今日は新約聖書の出来事16「弟子たちの足を洗う」です。最後の晩餐の席で、弟子たちは誰が高い地位に就けるのか議論していましたが、イエス様は弟子たちの足を洗い、幸いな生き方を示してくださいました。 1.弟子たちの議論  また、彼らの間で、自分たちのうちでだれが一番偉いのだろうか、という議論も起こった。・・・しかし、わたしはあなたがたの間で、給仕する者のようにしています。ルカ 22:24~27  弟子たちは、イエス様から「これから律法学者たちに捕らえられて殺され、よみがえる」と聞いても真剣に考えず、新しい国でイエス様が王になった時に高い地位に就きたいと、自分の立身出世のことしか考えていませんでした。 2.互いに足を洗いなさい  主であり、師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのであれば、あなたがたもまた、互いに足を洗い合わなければなりません。・・・あなたがたに模範を示したのです...
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「過越の食事」(聖日礼拝メッセージ 2024/03/03)

 今日は新約聖書の出来事15「最後の晩餐」です(マタイ26:17~29,マルコ14:12~25,ヨハネ13,14章)。イエス様は、十字架にかかられる前夜、用意した二階の大広間で過越の食事をされ、その中で主の晩餐(聖餐式)を行われました。最後の晩餐は、エジプトからの救出、過越の子羊なるイエス様と栄光のうちに再臨されるイエス様を表しています。 1.過越の晩餐  この日は、あなたがたにとって記念となる。あなたがたはその日を主への祭りとして祝い、代々守るべき永遠の掟として、これを祝わなけらばならない。出エジプト 12:14  出エジプト記において、モーセを通して告げられた神様のことばを信じ、子羊を屠ってその血を門柱とかもいに塗った家は、長子が殺されるという神様のさばきを免れました(出エジプト 12:1~36)。  過越の祭りはこの時に神様から命じられたもので、イスラエルにとって最も重要な祭...
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「目を覚まして祈る」(聖日礼拝メッセージ 2024/02/25)

 今日は新約聖書の教え16「終末の預言」です。イエス様は、神殿の崩壊の時期と世の終わりについて聞かれ、その前兆とそれらに臨む心構えを教えられました。ここでは、エルサレムの崩壊と再臨、世の終わりについて重複して説明されています。ただ、たとえ天地が崩れ去ろうとも、偽りに惑わされずに祈って備えれば、主が守り、助けを与えてくださいます。 1.エルサレムの崩壊  宮が美しい石や奉納物で飾られている、と何人かが話していたので、イエスは言われた。「あなたがたが見ているこれらの物ですが、どの石も崩されずに、ほかの石の上に残ることのない日が、やって来ます。」ルカ 21:5,6  エルサレムが崩壊した第一次ユダヤ戦争(AD70/4/14~9/7)は、ローマ帝国の属州であったユダヤのユダヤ人とローマ帝国の間で起こり、市街地のほか神殿も破壊された(一部が「嘆きの壁」として残っています)。この戦いでは、エルサ...
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「一番偉い者」(聖日礼拝メッセージ 2024/02/18)

 今日は新約聖書の教え15「律法学者とパリサイ人への警告」です。イエス様は、律法学者とパリサイ人の偽善的な信仰生活、生き方への非難を通して、群衆と弟子たちを正しい信仰と生き方に導こうとされました。 1.言行不一致になってはいけない  なぜ今あなたがたは、私たちの先祖たちも私たちも負いきれなかったくびきを、あの弟子たちの首に掛けて、神を試みるのですか。使徒 15:10  律法学者とパリサイ人は、律法を学び、旧約聖書に通じていたので、モーセのようにそれを説き明かして民衆を教える立場にありました。しかし、彼らは聖書にないたくさんの規則を作り出し、人々に教えはするが、自分たちは守らず、人々に重荷を負わせるだけで助けはしませんでした。  イエス様は群衆と弟子たちに、彼らが教えている聖書(みことば)には従い、言行不一致な彼らの偽善的な行いを真似ないように注意しました。 2.表向きだけの信仰を...
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「一番大切なもの」(聖日礼拝メッセージ 2024/02/11)

 今日は新約聖書の教え15「一番大切な戒め」です。この聖書個所は、聖書中で一番大切な戒めは何ですか?という問いの答えです。それは「神様を愛し、隣人を愛する」ということばに集約されます。 序:聖書の背景  主イエス様は日曜日にエルサレムに入城され、民衆は「ホサナ!祝福あれ!」と歓喜にあふれて歓迎しました。 当時のユダヤ人は神様から与えられた戒めや律法を守ることで救われると考え、その戒めが614もあったと言われています。一人の律法学者がイエス様に旧約聖書の中で一番大切な教えは何かと尋ねました。イエス様は次のように答えられました。  第一の戒め「聞け、イスラエルよ。・・・」マルコ12:29(申命記6:4,5)  第二の戒め「隣人を自分自身のように・・・」マルコ12:31(レビ19:18) 1.あなたの隣人とは?  主イエス様は「あなたの隣人は誰か?」を説明するために、「善きサマリヤ...
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「王子の婚宴のたとえ」(聖日礼拝メッセージ 2024/02/04)

 今日は新約聖書のたとえ5「王子の婚宴のたとえ」です。イエス様は、前段の「ぶどう園の兄弟のたとえ」(マタイ21:28~32)、「ぶどう園の悪い農夫のたとえ」(マタイ21:33~46)に続けて今回の「王子の婚宴のたとえ」を話されました。神様の招きを拒絶した律法学者・パリサイ人(イスラエル民族)と新たに招かれた異邦人にたとえられています。 1.神様の招きを拒否  祭司長たちとパリサイ人たちは、イエスのこれらのたとえを聞いたとき、自分たちについて話しておられることに気づいた。マタイ 21:45  天の御国が王子の婚宴にたとえられています。王が王子の披露宴にお客さんを招待したところ、招待客は来ようともせず、遣わされたしもべたちを虐殺してしまいました。これは、神様が根気強く預言者たちを送ってイスラエルの民を罪から救おうとされたのに、預言者たちは殺され、神様のひとり子救い主イエス様も拒絶されたこ...
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「ミナのたとえ」(聖日礼拝メッセージ 2024/01/28)

 今日は新約聖書のたとえ4「ミナのたとえ」です。「タラントのたとえ」(マタイ25:14~30)と類似していますが、相違点も多くあります。イエス様は、神の国の到来(イエス様の再臨)を、身分の高い人が王位を授かるために遠国に旅立ち、十人のしもべに一ミナ(約百万円)ずつ与えて商売をさせたことにたとえました。先週は、人の身分や行いではなく、神様の恩寵と寛容さによって等しく救いが与えられるお話でしたが、今日は、主のみこころを忠実に行ったかどうかが問われるお話です。 1.神様に対する責任  さて、彼は王位を授かって帰って来ると、お金を与えておいたしもべたちを呼び出すように命じた。彼らがどんな商売をしたかを知ろうと思ったのである。ルカ 19:15  身分の高い人は、十人のしもべを集め、彼らが与えられた一ミナ(約百万円)をどのように活用したかを確認しようとしました。それぞれ商売の結果を報告したが、主...
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「後の者が先になる」(聖日礼拝メッセージ 2024/01/21)

 今日は新約聖書のたとえ3「ぶどう園の労働者のたとえ」です。イエス様は、天の御国をぶどう園の主人にたとえました。ぶどう園の主人は、朝早くから一日働いた労働者と終業時間間近に雇われて一時間しか働かなかった労働者に同じ報酬を支払いました。天の御国(神様)の恩寵と寛容さを示しています。 1.ぶどう園の労働者  彼らはそれを受け取ると、主人に不満を漏らした。『最後に来たこの者たちが働いたのは、一時間だけです。それなのにあなたは、一日の労苦と焼けるような暑さを辛抱した私たちと、同じように扱いました。』マタイ 20:11,12  ぶどう園は、雨期を目前にして猫の手も借りたいほど忙しい収穫期でした。ぶどう園の主人は早朝から何度も市場に出かけて行って労働者を搔き集めました。主人は彼らに契約通りの賃金1デナリを払いました。それに対して、一日中働いた労働者は不平を言いましたが、主人は「不当なことはしてい...
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「幼子の祝福」(聖日礼拝メッセージ 2024/01/14)

 今日は新約聖書の出来事13「幼子の祝福」です。イエス様に祝福してもらおうと子どもたちが連れて来られましたが、弟子たちは叱って追い返そうとしました。それを見てイエス様は憤って邪魔をしてはいけないと言われました。イエス様に近づく者を妨げることは大きな罪です。私たちも神様の前に価値なき者でしたが、イエス様は受け入れてくださいました。 1.弟子たちの価値観  さて、イエスに触れていただこうと、人々は幼子たちまで連れて来た。ところが、弟子たちはそれを見て叱った。ルカ 18:15  わざわいだ、偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは人々の前で天の御国を閉ざしている。おまえたち自身も入らず、入ろうとしている人々も入らせない。マタイ 23:13  弟子たちはイエス様と一緒に生活していましたが、イエス様の気持ちが分からず、自分たちの価値観で行動していました。幼い子どもたちはイエス様に近づいたり、...
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