礼拝メッセージ

【5月24日 聖日礼拝プログラム】                                 
1.あいさつ、祈り                    司会者
2.聖歌総合版 493(476)「やすけさは川のごとく」    
494(477)「いざみなきたりて」   
3.祈り                       祈り担当者
4.みことばの交読   ルカ 4:16~4:30
5.聖餐式                        司会者
6.聖歌総合版 495(478)「救いをなしたもう」  ※()は聖歌番号
7.メッセージ「聖書の実現」               高石兄
8.祈り
9.お知らせ                       司会者

礼拝メッセージ「聖書の実現」

ルカの福音書は、パウロの同労者であり医者であったギリシャ人のルカが、「使徒の働き」との二部作の一部作目としてローマ人テオフィロに献呈したものです。ルカは、イエス様の生涯を通して、イエス様が全人類の救い主であり、再び来臨されるお方であることを教えています。
ルカは、医者の視点から病人・貧しい者・女性・子どもなど社会的弱者に心を向ける「人の子イエス様」を描いてます。
今日は、実現した聖書のことばについて見て行きましょう。

1.実現した救いと解放

捕われている人には開放を、目の見えない人には目の開かれることを告げ、虐げられている人を自由の身とし、主の恵みの年を告げるために。」ルカ 4:18,19

イエス様は、四十日間の悪魔の試みに勝利され、御霊に満たされてガリラヤに帰られ、会堂で教えて人々から称賛を受けられました。その後、故郷のナザレで同じように会堂でイザヤ書(主の受難のしもべの歌)からご自身が旧約聖書で約束されていたメシヤであることを証しされました。
人々はイエス様によって、病がいやされ、心の貧しい人々に福音が伝えられ、サタン・悪霊・罪に捕らわれていた人々が解放され、霊の目が見えるようになり、永遠の滅びから自由にされました。

・・・耳の聞こえない者たちが聞き、死人たちが生き返り、貧しい者たちに福音が伝えられています。だれでも、わたしにつまずかない者は幸いです。ルカ 7:22

2.実現した不信仰

これを聞くと、会堂にいた人たちはみな憤りに見たされ、立ち上がってイエスを町の外に追い出した。そして町が建っていた丘の崖の縁まで連れて行き、そこから突き落とそうとした。ルカ 4:28,29

故郷の人々は、イエス様の恵みのことばに驚いたが、自分たちの選民思想による高慢といやしの実利だけを求める不信仰によって、イエス様を拒絶して殺害しようとしました。イエス様はツァレファテのやもめ女とナアマンが異邦人でありながら、信仰によって救いを得たことを示されました。福音は選民から拒絶され、異邦人に与えられました。

3.私の身に実現したこと

だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。ヨハネ 7:38

・・・試練で試され・・・イエス・キリストを・・・愛しており、・・・信じており、・・・栄に満ちた喜びに躍っています。あなたがたが、信仰の結果であるたましいの救いを得ているからです。Ⅰペテロ 1:6~9

あなたもイエス様の救いによって、罪・死・束縛・空しい生活から解放され、試練の中でも喜び躍る信仰と人生が与えられました。あなたのうちにすばらしい聖書のことばが実現しました。
もし、イエス様に対する愛、みことばに従う喜びが小さくなっていると感じたら、信仰の姿勢を見直してみましょう。

【5月17日 聖日礼拝プログラム】
1.あいさつ、祈り                    司会者
2.聖歌総合版 489(472)「人生の海のあらしに」    
491(474)「世の波風いかにあれて」   
3.祈り                       祈り担当者
4.みことばの交読   マルコ 10:46~10:52
5.聖餐式                        司会者
6.聖歌総合版 492(475)「主イェスのみそばに」 ※()は聖歌番号
7.メッセージ「信仰があなたを救う」           高石兄
8.祈り
9.お知らせ                       司会者

【礼拝メッセージ】
そこでイエスは言われた。「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救いました。」マルコ 10:52

マルコの福音書だけがイエス様に目が見えるようにいやしていただいた物乞いの名前をバルティマイと記しています。イエス様はいやしと救いが信仰によることを、いやしとみことばによって明確に教えられました。
マルコはこの記事を通してローマ人(異邦人)に対して、イエス様こそ救い主であることを訴えています。

1.救いは信仰による
彼は、ナザレのイエスがおられると聞いて、「ダビデの子のイエス様、私をあわれんでください。」と叫び始めた。マルコ 10:47
その人は上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのところに来た。マルコ 10:50

バルティマイは、イエス様が旧約聖書で約束されていたメシヤであること、自分を罪から救い、目の病をいやしてくださるお方だと信じて疑いませんでした。いくら熱心でも、どなたを信じるかが問題です。

あなたがたはみな、信仰により、キリスト・イエスにあって神の子どもです。ガラテヤ 3:26

2.信仰は行動
すると、すぐに彼は見えるようになり、道を進むイエスについて行った。マルコ 10:52

バルティマイは、イエス様に対する思いをただ心に思っていたわけでも、病気さえ治してもらえれば良かったわけでもありません。自分の信仰をすぐに行動によって表しました。それが生きた信仰です。

・・・あなたは、行いのない信仰が無益なことを知りたいのですか。・・・信仰がその行いとともに働き、信仰は行いによって完成されました。・・・信仰も行いを欠いては死んでいるのです。ヤコブ 2:20~26

3.マルコの失敗
ヨハネ(ユダヤ名)・マルコ(ラテン名)は、ペテロによって信仰を持ち、信仰者の母(使徒12:12)とペテロの同労者である従兄弟バルナバ(コロサイ4:10)のもとで若き信仰者として歩みましたが失敗もありました。

・ゲッセマネの園で裸で逃げた。(マルコ 14:51,52)
・パウロの第1次伝道旅行で中途離脱してしまい、パウロとバルナバの反目の原因となった。(使徒 13:5,13,15:37~39)

ヨハネは一行から離れて、エルサレムに帰ってしまった。使徒 13:13
しかしパウロは、パンフィリアで一行から離れて働きに同行しなかった者は、連れて行かない方がよいと考えた。こうして激しい議論になり、その結果、互いに別行動をとることになった。使徒 15:38,39

その後マルコはパウロとペテロから信頼される同労者となりました(コロ4:10、Ⅰペテロ5:13)。私たちも主イエス様に対する信仰によって救われて歩んでいますが、時折不従順・不信仰・自我により失敗することがあります。信じて疑わない信仰を行動によって表して進んで行きましょう。

まずその人たちに、自分の家の人に敬愛を示して、親の恩に報いることを学ばせなさい。それが神の御前に喜ばれることです。   Ⅰテモテ 5:4

今日は「母の日」です。
みことばは、私たちを生み、育んでくれた「親」に対して尊敬、服従、敬愛を示すように命じています。それは、私たちが平穏で幸いな生涯を送るために欠かすことができないことだからです。逆に、このみことばに従わなければ、クリスチャンであっても不幸な生涯を送ることになります。今日は、両親、信仰の親、天のお父様に感謝と敬愛を表しましょう。

1.親の恩に報いる
両親は私たちの命の源となり、私たちが自分の力で生きていけない時に、私たちの世話をして生きられるように助けて下さいました。私たちの両親の存在は、私たちの天の神様に通じるところがあります。両親の教えに感謝し、両親を喜ばせることに力を注ぎましょう。

子たちよ、父の訓戒に聞き従え。耳を傾け、悟りを得よ。 箴言 4:1
知恵のある子は父を喜ばせ、愚かな子は母の悲しみとなる。箴言 10:1
あなたの母が年老いても蔑んではならない。       箴言 23:22
あなたの父と母を喜ばせ、あなたを産んだ人を楽しませよ。箴言 23:25

2.信仰の親の恩に報いる
パウロは、コリント教会の兄弟姉妹には「私の愛する子ども」(Ⅰコリント4:14~17)、テモテには「信仰による、真のわが子テモテ」(Ⅰテモテ1:2)、「愛する子テモテ」(Ⅱテモテ1:2)、テトスには「同じ信仰による、真のわが子テトス」(テトス1:4)、オネシモには「獄中で生んだわが子オネシモ」(ピレモン10)と語りかけています。
パウロもヨハネも信仰の父親としてその生涯を歩みました。私たちは、信仰の親を喜ばせる歩みをしていきましょう。

この私が、福音により、キリスト・イエスにあって、あなたがたを生んだのです。Ⅰコリント 4:15
私にとって、自分の子どもたちが真理のうちに歩んでいることを聞くこと以上の大きな喜びはありません。Ⅲヨハネ 4

3.天(霊)のお父様の恩に報いる
天のお父様は、私たちに命とすべての必要を与えて下さっています。それに加えて、何よりも素晴らしい罪の赦しと永遠の滅びからの救いを与えて下さいました。さらに天のお父様は、私たちを愛するがゆえに、叱責と訓練を与えて下さっています。私たちがそれを感謝して受け取ると、益と聖めをいただくことができます。しかし、不平不満を鳴らして拒むと、それらを失うことになります。父なる神様と復活によってすべての権威を与えられた主イエス様に感謝と敬愛を表しましょう。

わが子よ、主の懲らしめを拒むな。その叱責を嫌うな。父がいとしい子を叱るように、主は愛する者を叱る。  箴言 3:11,12
霊の父は私たちの益のために、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして訓練されるのです。へブル 12:10

マルコの福音書は、ペテロの弟子である青年マルコによってAD50年代前半に書かれました。福音書の中で最も短く、最初に書かれたとされています。ローマ人(異邦人)を対象として書かれ、教えよりもイエス様の行動が簡潔、明快、単純、躍動的に描かれています(山上の垂訓、長い説教の大部分が省略されています)。
イエス様が人々に仕え、人々を救うためにご自分のいのちを与えられた「しもべ」であることを主題としています。

1.人々に仕えられたイエス様

マルコの福音書は、マタイやルカの福音書と違いイエス様の系図や誕生の記事を省き、バプテスマのヨハネの記事から始まっており、イザヤによって預言された、荒野で叫ぶ声であるヨハネが宣べ伝えたイエス様こそメシヤであり神の子であることを示しています。
マルコは、「すると、すぐに、さっそく」などのことばを多用してイエス様の行動といやし(奇蹟)を次々に紹介していきます。マルコだけが記しているいやしの記事もあります。イエス様のいやしの奇跡は、イエス様が人々に仕えるメシヤであることを現しています。

イエスは、様々な病気にかかっている多くの人を癒された。マルコ 1:34

1)耳と口が不自由な人のいやし マルコ 7:31~37
2)ベツサイダの盲人のいやし  マルコ 8:22~26
3)ヤイロの娘の生き返り    マルコ 5:22~24,38~42

2.自分のいのちを与えられたイエス様

イエス様は、父なる神様のみこころを完全に行い、徹底的に人々に仕えるしもべとなってくださいました。徹底的とは、ご自分のいのちまでも私たちにくださったということです。私たちを罪から救うためにご自分のいのちで身代金を払ってくださいました。

人の子でさえも、仕えられるためではなくて仕えるために、また、多くの人の〈代わりになる〉ための身のしろ金として自分のいのちを与えるために来たからである。」マルコ 10:45(詳訳)

天地の主であり神様であるイエス様でさえ、人々に仕えるために来たのだから、私たちはなおさらのこと、兄弟姉妹のしもべになるように命じられています。ピリピ2章では「利己的な思いや虚栄ではなく、兄弟姉妹を顧みる」ように命じられています。今は、ソーシャルディスタンス(社会的距離)を保つように勧められていますが、主イエス様と兄弟姉妹から心が離れてしまい、仕えること、しもべとなることを忘れないようにしましょう。

・・・キリスト・イエスのうちにあるこの思いを、あなたがたの間でも抱きなさい。・・・キリストは、神の御姿であられるのに、・・・ご自分を空しくして、しもべの姿を取り、・・・自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われたのです。 ピリピ 2:1~8

マタイの福音書は、マタイが同胞ユダヤ人に「旧約聖書で預言されていた王なるメシヤ、イエス・キリストの到来」を知らせるために書かれました。そして、世界中のすべての人々に対して救い主イエス様・信仰・教会・天の御国について教え、私たちが歩むべき道を示しています。

1.メシヤ預言の成就
マタイは、最初にイエス様の系図を記すことによって「アブラハムの子孫」「ダビデ王家の子孫」であること、メシヤであり王であるイエス様が、すべての権威(罪の赦し、病気の癒し、悪霊の追い出し、死人のよみがえり、復活)を持っておられることを示しています。

・ダビデの王座    詩篇110:1 ⇒ マタイ22:44
・三日目のよみがえり 詩篇16:10,11 ⇒ マタイ16:21,20:19

2.当時の人々の信仰
1)神殿と会堂:神殿では祭司と神殿仕え人により、旧約時代から伝わっ た犠牲の儀式と礼拝が続けられていました。
2)律法学者とパリサイ人:律法学者は、律法に対する熱心さのあまり、 多くの伝承を生み出しました。パリサイ人は、宗教的潔癖家、冷酷な律 法主義者でした。両者とも偽善と高慢により律法の基本的精神を忘れて しまったため、たびたび安息日などについてイエス様と衝突しました。

偽善の律法学者、パリサイ人・・・まむしの子孫よ。 マタイ23:1~36

3)政治的解放:ローマからの独立を求める熱狂的愛国者である熱心党が 活動し、人々は勝利と平和と栄光をもたらす王的なメシヤを求めました。
4)隠れた立派な信仰:イエス様はカナン人の女の信仰を褒めました。(マタイ15:21~28)

3.現代日本人の信仰
1)統計 国際比較調査「宗教」日本(2019)「信仰している宗教は?」
仏教31%、神道3%、キリスト教1%、その他1%、宗教なし62%
信仰心、神仏を拝む頻度、伝統的価値観の低下がみられる。
2)無宗教と無関心(個人の価値観の尊重、周りとの協調性による安心)
3)全ての人の内には、真の神様・真理・救い・真実な信仰を求める心がある。

4.あなたの神、主を愛しなさい
マタイはユダヤ人だけではなく私たちに対して、神様である主イエス様を愛するように命じています。私たちの主は、遠くかけ離れた縁の薄い存在ではなく、愛と命とあわれみによって救って下さったお方です。

神の命令を守ること、それが、神を愛することです。Ⅰヨハネ 5:3

1)主を愛しなさい
心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。マタイ 22:37

2)隣人を愛しなさい
あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。マタイ 22:39

3)イエス様の救いを伝える福音宣教
あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。  マタイ 28:19,20

新約聖書の最初は「マタイの福音書」です。この福音書のテーマは「王なるメシヤとしてのイエス」「旧約聖書で預言され、約束されていた救い主イエスの到来」です。この福音書では、「天国」という言葉を多用し、「山上の垂訓、再臨と終末の教え」の全体が収録されています。

1.取税人マタイ

「マタイ」という名は「主の贈り物」という意味で、「アルパヨの子レビ」とも呼ばれています。マタイは自分の名前の前に「取税人」と記しています。当時、ローマの支配下にあったイスラエルでは、取税人は敵国ローマの手先、権力をかさに着て不正な搾取を行う輩、人々の侮蔑の対象でした。そんなマタイはイエス様の招きに即座に従いました。

イエスはそこから進んで行き、マタイという人が収税所に座っているのを見て、「わたしについて来なさい」と言われた。すると、彼は立ち上がってイエスに従った。・・・「・・・わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです。」マタイ9:9~13

2.あなたは世の光

あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです。マタイ5:16

イエス様の招きに従ったマタイは、イエス様と弟子たち、取税人たちや罪人たちを招いて食事会を開きました。イエス様に対する感謝、友人知人への証し伝道の食事会でした。彼の救われた喜びがそうさせました。
ペンテコステ後、マタイはエルサレムで15年間伝道したあとシリア、ペルシアなどで伝道し、エチオピアで火刑により殉教したと言われています。
マタイは、自分が栄誉や利益を受け、自分が満足するためにイエス様に従ったのではありません。かつて自分が取税人だったことを忘れず、父なる神様、主イエス様があがめられることを第一に思って主に従いました。
過去その人が取税人であったかどうか、どのような生活をしてどのような人生を歩んで来たかは関係がありません。罪人がイエス様によって罪赦されて、新しくされたことが大切です。
主イエス様は「あなたは世の光です。」と宣言してくださっています。自分はそうではないなぁと思っても、主イエス様のほうが真実です。

私たちの主イエス・キリストの父である神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせ、生ける望みを持たせてくださいました。 Ⅰペテロ 1:3

みことばによく通じた者、主に信頼する人は幸いです。単なる聖書の知識ではなく、みことばを単純に心から信じて主に頼る人が幸せを手にできます。新型コロナウイルス感染で大変なときこそ、主とみことばから離れず、兄弟姉妹のために執り成しのお祈りを欠かさないようにしましょう。

みことばによく通じた者は幸いを見出す。
主により頼む者は幸いである。         箴言 16:20