礼拝メッセージ

Ⅰ.ヨエル書
預言者ヨエルについて、父の名前以外の情報はほとんど記されておらず、活動の年代もBC8~4世紀と考えられています。

1.いなごの災害
噛みいなごが残した物は、いなごが食い、いなごが残した物は、バッタが食い、バッタが残した物は、その若虫が食った。ヨエル 1:4~6

イスラエルでは今日でもいなごによる災害が発生しています。農作物、青草、木立などすべてを短期間に食い尽くしてしまいます。それは侵略してくる外国の軍隊を現しています。イスラエルの不信仰と偶像礼拝に対する神様のさばきと懲らしめを警告しています。

2.悔い改めと赦し
「・・・心のすべてをもって、断食と涙と嘆きをもって、わたしのもとに帰れ。」・・・主は情け深く、あわれみ深い。怒るのに遅く、恵み豊かで、わざわいを思い直してくださる。ヨエル2:12~14

神様はヨエルを通して、イスラエルの民に悔い改めを勧めています。神様は私たちをねたむほどに愛しておられます。(ヤコブ 4:5)

3.聖霊付与と回復
その後、わたしはすべての人にわたしの霊を注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、老人は夢を見、青年は幻を見る。ヨエル 2:28

悔い改めて神様を呼び求める人は救いと聖霊様をいただきます。この預言は、ペンテコステの時に成就しました(使徒 2:17~21)。神様は私たちと共におられ、豊かな祝福を注いでくださいます。(ヨエル 3:16~18)

Ⅱ.アモス書
アモスは南王国ユダ出身の羊飼いですが、北王国イスラエル、ヤロブアムⅡ世(BC793~753)の治世に、金の子牛崇拝の街ベテルに預言者として遣わされ、信仰的社会的堕落に対して、来たるべき神様のさばきを警告しました。しかし、人々はその警告を受け入れず、ヤロブアムの死後30年にアッシリアによって捕囚となり国は滅亡しました。

1.諸国とイスラエルへのさばき
アモスはイスラエルの偶像礼拝、道徳的社会的衰退、神殿での不品行、預言者への迫害などの罪を告発し、さばきを予告しました。そして、主を求めて生きるように再三忠告しました(アモス 4,5章)。
主はこう言われる。「イスラエルの三つの背き、四つの背きのゆえに、わたしは彼らを顧みない。 アモス 2:1~16

2.みことばを聞くことの飢饉
主のことば、主に従うことを拒否し続けると与えられなくなります。

実に、主のことばを聞くことの飢饉である。アモス 8:11

3.回復の希望
神様は少数ではあっても忠実な者を回復させてくださいます。

その日、わたしは倒れているダビデの仮庵を起こす。 アモス 9:11

ホセアはBC8世紀の北王国イスラエルに遣わされた預言者で、ヤロブアムⅡ世の末期からBC722年のアッシリアによるサマリヤ陥落までの40年間にわたって預言しました。同時代の預言者にアモス、イザヤ、ミカがいます。北王国イスラエルは、ユダヤ10氏族がダビデ王を離れて独立した国で、金の子牛を神とたため、預言者エリヤ、エリシャ、アモスの忠告にもかかわらず、ますます偶像礼拝へとのめり込んで行きました。
1~ 3章 ホセアの家庭、イスラエルの不真実と神様の愛
4~13章 神様のさばきの宣告と悔い改めの促し
14章   イスラエルの回復と繁栄の預言

1.ホセアの預言者的象徴行為
ホセアは、神様から命じられて不品行の女ゴメルを妻とします。しかし、ゴメルは彼のもとから逃げてさらに不品行に走ります。それでもホセアはゴメルを愛して連れ戻します。この不幸とも思える預言者ホセアの家庭生活を通して、神様はイスラエルを愛し続け、国を再建し、恵みを施すことを約束されました。

主はホセアに言われた。「行って、姦淫の女と姦淫の子らを引き取れ。この国は主に背を向け、淫行にふけっているからだ。」 ホセア 1:2

主は私に言われた。「再び行って、夫に愛されていながら姦通している女を愛しなさい。ちょうど、ほかの神々の方を向いて干しぶどうの菓子を愛しているイスラエルの子らを主が愛しているように。」ホセア 3:1

2.主を知るとは
多くの国々が来て言う。「さあ、主の山、ヤコブの神の家に上ろう。主はご自分の道を私たちに教えて下さる。私たちはその道筋を進もう。」それは、シオンからみおしえが、・・・主のことばが出るからだ。ミカ 4:2

主は、ホセアの預言者的象徴行為を通して、イスラエルの現状がいかに神様の心から離れているか、神様のイスラエルに対する思いと約束(さばきと祝福)はどのようなものであるかを示されました。そして、主を知ることを切に追い求めて、悔い改めるように促しています。主(神様)を知るとは、①神様のご性質、②神様の約束、③神様の道を知ることです。

教会はキリストのからだであり、すべてのものをすべてのもので満たす方が満ちておられるところです。エペソ 1:23

・・・、それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためです。私たちはみな、神の御子に対する信仰と知識において一つとなり、・・・キリストの満ち満ちた身丈にまで達するのです。エペソ 4:11~13

3.主を知ることを切に追い求めよう
主は今、私の現状をどう見ておられ、何を望んでおられるのでしょうか。自分の現状を変えるつもりがない者には主のみこころは示されません。主とみこころを知ることを切に追い求める者に、主のみこころは示されます。

私はあなたのみこころを行うことを喜びとします。詩篇40:8(詩篇104:34,143:10、箴言 21:1)

貴族の子弟で少年だったダニエルは、BC605年頃にネブカドネツァル王によってバビロンへ捕囚となりました。彼は3人の友人と共に、官吏となるための教育を受け、王の侍従として仕えました。彼らは異教の中で迫害(燃える炉、獅子の穴)を受けながらも主に対する信仰を固く持ち続けました。 ダニエルは、バビロン帝国のネブカドネツァル王からペルシャ帝国のキュロス王にまで仕えました。彼には夢を解き明かす賜物が与えられており、夢や幻、神様の手による文字の解き明かし、四大帝国の興亡、イスラエルの回復、メシヤ預言、終末預言が与えられました。

1.神様はご自身を現される
最初に神様はネブカドネツァル王の夢によってご自身の存在、主権、力、救い、不思議さとご自身を証しするしもべの存在を示されました。

1)王の見た夢 2章:四大帝国(金:バビロニア、銀:メド・ペルシャ、青銅:ギリシャ、粘土と鉄:ローマ)とキリストの王国(7章)
2)理性を失った王 4章:高慢なネブカドネツァル王を懲らしめる
3)神様の指による文字 5章:ベルシャツァル王の終りを告げる

2.金の像を拝みません
ダニエルと3人の友人の信仰は、神様のみこころを行うことを最優先にし、殉教しなければならないとしても神様への忠誠を尽くすものでした。

1)偶像による汚れた食物を拒否  ダニエル 1章
2)偶像(金の像)礼拝を拒否   ダニエル 3章
3)神様への礼拝禁止を拒否                 ダニエル 6章

私たちが仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ、あなたの手からでも救い出します。しかし、たとえそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々には仕えず、あなたが建てた金の像を拝むこともしません。  ダニエル 3:17,18

3.私たちは神様の使節です
ダニエルたちは、いろいろな事情があって異教の国バビロンへ捕囚となりました。神様はその地で忠実なダニエルたちを用いて、イスラエルの民にもバビロンの民にもご自身の存在、主権者・救い主であることを現されました。また、異国にあってダニエルたちの存在は、真の神様がいらっしゃることを現し、本当の信仰のあり方、信仰者の歩み方、人としての生き方の模範となりました。
私たちは、神様によって今ここで生かされています。これは偶然ではなく、神様のご計画です。神様は様々な事情や状況により、私たちを通して、ご自分の存在、主権、愛と恵みとあわれみ、救いをこの世に、すべての人に現そうとしておられます。私たちにはイエス様の救いを紹介するすばらしい働きが委ねられています。その働きを全うさせていただきましょう。

・・・神は、キリストによって私たちをご自分と和解させ、また、和解の務めを私たちに与えてくださいました。・・・私たちはキリストに代る使節なのです。私たちはキリストに代って願います。神と和解させていただきなさい。・・・Ⅱコリント5:18~21(6:1~10)

ほむべきかな 主。
日々 私たちの重荷を担われる方。
この神こそ 私たちの救い。詩篇 68:19

人々のニーズ
①心豊かに ②認められる ③自分を高める ④愛される
⑤健康 ⑥自分らしく ⑦楽しみ ⑧楽な ⑨心ときめく
⑩快適 ⑪仲良く ⑫心温まる

前述の人々のニーズは、古今東西、老若男女、万国共通と言えます。人間関係、社会生活、家庭生活、ビジネスもこれらの要素を備えることが、ポイントと言えるでしょう。
しかし、これらを処世術として捉えてなんとなくことがうまく進んで、表面的に心の満足が得られるようになったとしても、根本的な充実した人生にはなりません。

1.愛される

例えば「愛される」ということを考えたときに、人は幼児期から両親の無償の愛をたっぷりと受けて生活しなければ、人格形成に大きな影響を受けてしまいます。人は愛されていなければ生きていくことができません。
しかし、親の愛、人の愛には限界があります。人は永遠には生存できませんし、それぞれ皆が自己中心の罪を持ってるからです。

2.神様(創造主)の愛

人はたまたま偶然に自然発生したのではなく、神様によって愛と目的をもって創られた存在です。人は自分の存在の本当の意義を知って、初めて自分らしさや愛されること、心豊かになること、正しく生きることの意味を知ります。
創造主である神様が私たちに命を与えてくださった愛、今も変わらずに支えてくださっている愛、イエス様が御生涯で示して下さった愛、十字架上での身代りの愛、これらの本当の愛を知ることによって、自分の大切さを知ります。

胎内にいたときから担がれ、
生まれる前から運ばれた者よ。
あなたがたが年をとっても、
わたしは同じようにする。
あなたがたが白髪になっても、
わたしは背負う。
わたしはそうしてきたのだ。
わたしは運ぶ。
背負って救い出す。イザヤ 46:3,4

神様は、私たちの命、存在そのものに愛と関心と責任を持ってくださっています。私たちが老年になっても、死んだ後の世界に関しても担ってくださいます。

3.受けるより与える方が幸いである

聖書には「受けるよりも与える方が幸いである」とのみことばがあります。私たちがまず神様からの愛、イエス様の十字架の愛をいただき、その愛を受取り感謝して生活します。そして、その愛をもって隣人に仕えていくなら、それが私たちにとって最も幸いな生き方になります。
自分が、揺るぎない、変わらない、絶対的な愛によって愛されているという安心感の上に自分自身を築くことができるからです。
この新しい一年、神様に仕え、隣人に仕えさせていただきましょう。

すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。 マタイ 11:28,29

エゼキエルは、BC597年に南王国ユダのエホヤキン王たちと共に(1万人以上)バビロンへ捕虜として強制連行されました。その時彼は20代半ばでしたが5年後、神様によって預言者として召命を受けました。彼の預言には人間世界の五感を超えた威光と尊厳に満ちた全知全能なる神様の現われ、不思議な幻、たとえ話などがあります。その預言を通してユダの罪に対する懲らしめとしての捕囚、イスラエル回復、真の礼拝の確立の希望が告げられています。この預言は「黙示文学」と呼ばれ、エレミヤ書、ダニエル書、ヨハネの黙示録とも深く関連しています。

1.わたしが主であることを知る
エゼキエル書で象徴的なことば「彼らは、わたしが主であることを知る」は62回登場しています。神様は、ご自身の超自然的な力を用いて、ご自身の存在およびさばきと救いのメッセージを示されました。

1)預言(エルサレム崩壊、近隣諸国へのさばき、イスラエル回復)
2)神様の幻(天使的な生き物ケルビム、枯れた骨、神殿の幻など)
神である主はこれらの骨にこう言う。見よ。わたしがおまえたちに息を吹き入れるので、おまえたちは生き返る。 エゼキエル 37:5(37:1~14)

3)たとえ話(ぶどうの木、大鷲、オホラとオホリバ、煮えたぎる釜)

2.幻に拠り頼むな
私たちは神様を知り尽くすことはできません。神様は現在も不思議な方法で私たちに臨んで下さるかもしれません。しかし、不思議な霊的体験は吟味する必要があります(Ⅰヨハネ4:1)。不思議な霊的体験と信仰深さとは関係がなく、体験した者はなお一層へりくだる必要があります。

彼らはむなしい幻を見、まやかしの占いをして、「主のことば」などと言っている。主が彼らを遣わしたのではないのに。   エゼキエル 13:6

自己卑下や御使い礼拝を喜んでいる者が、あなたがたを断罪することがあってはなりません。彼らは自分が見た幻に拠り頼み、肉の思いによっていたずらに思い上がって、かしらにしっかり結びつくことをしません。 コロサイ 2:18,19(,1:18)

3.悔い改めによる回復
神様はあわれみによって、悔い改めたイスラエルを回復させて下さいました。神様はひとりも滅ぶことを望まず、愛を持ってイエス様による救いを自ら完成させ、すべての人にみことば(福音)と伝える者を与え、すべての人が救われることを願っておられます(Ⅰテモテ 2:4)。
クリスチャンもみことばに従わずに不信仰になって、霊的に不健全になってはいけません。主の望みは以下のことです。

①すべての人が福音を信じて救われる。(悔い改めと信仰と感謝)
②クリスチャンが感謝と喜びで生きる。(信仰によって生きる) 
③クリスチャンが見張りとしての使命を果たす。(愛による福音伝道)

・・・わたしは決して悪しき者の死を喜ばない。悪しき者がその道から立ち返り、生きることを喜ぶ。立ち返れ。悪の道から立ち返れ。イスラエルの家よ。なぜ、あなたがたは死のうとするのか。エゼキエル 33:11

イエス様の降誕記事はマタイとルカにあります。マタイは、東方の博士たち、ルカは羊飼いに焦点を合わせています。

1.当時の羊飼いたち
当時の羊飼いは、社会において差別され、うとまれていた人々であったと言われています。少なくとも政治的、経済的に豊かな高官や指導者たちとは違い、「野宿しながら、羊の群れの番」をしていたので、人々が寝静まった夜中に一生懸命働かなければなりませんでした。

2.羊飼いたちへの知らせ
羊飼いたちは日々忙しく羊の群れの世話をしていたので、神様のことを深く考えることもなかったでしょう。しかし、彼らは神様に選ばれて、御使いから御子の誕生を知らされました。私たちも神様から語りかけられたら「恐れ」を覚えるでしょう。彼らの恐れの心に大きな変化が生じました。

・驚き、戸惑い、迷惑 ⇒ 大きな喜び
・見届けて来よう   ⇒ 神をあがめ、賛美しながら帰って行った。
・あなたがたのために ⇒ この民全体のため

ただ、羊飼いたちは、東方の博士たちが高価な贈り物を持参したようには、持っていけるものが何もありませんでした。しかし神様は、そんな貧しい人たちにイエス様に会える特権を与えて下さいました。彼らは御使いに告げられたことが本当かどうかを確認したかったのです。そして、全部御使いの話した通りだったので、彼らは大変驚き、神様をあがめ、賛美しながら帰って行きました。これが礼拝です。
神様は、羊飼いたちを指して「あなたがたのために」と言われ、彼らのように社会的に疎外されていた貧しい人たちのために、救い主がお生まれになりました。その証拠として「あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます」と言われました。
まず、御使いが羊飼いたちのところに現れて御子の誕生の様子を知らせ、彼らは見聞きしたことが本当だと体験し、素晴らしいニュースを受け取り、それが全世界への祝福となりました。
神様があなたの人生に介入される時、羊飼いたちの経験が私たちにも起こります。

3.私たちの礼拝
ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。ローマ12:1

「霊的な礼拝」の「霊的」とは、「理に適った」という意味があります。そして、「礼拝」という言葉は、原語のギリシャ語では「ラトリューオ」という言葉の名詞形です。「ラトリューオ」とは、「誉れを与える」とか「敬意を表す」「奉仕する」という意味の言葉です。
私たちは、大きな恵みを与えて下さった神様の栄光をほめたたえ、神様を敬い、賛美と感謝を献げていきましょう。そして、ご自身の御子を与えるほどに私たちを愛して下さった神様を信頼し、人生をゆだねて歩んでいきましょう。それこそ私たちにとって、理に適った礼拝の姿です。(藤島昇兄)

その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。それから家に入り、母マリアとともにいる幼子を見、ひれ伏して礼拝した。そして宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。 マタイ 2:10,11

クリスマスには、み使いからイエス様の誕生を知らされて駆け付けた羊飼いたちと共に、星に導かれた東の国の3人の博士が、イエス様に贈り物をしたことが知られています。しかし、聖書を見ると誤解も多いようです。

1.東の国の博士たち
①博士たちが礼拝したイエス様は、飼葉おけで寝ていた赤ちゃんではな く、8日目の割礼も32日後の献児式も終り(ルカ2:21~38)、2歳までの 間だと考えられる。
②博士たちは、バビロンかさらに東方の国からやって来た学者階級に属 し、聖書の預言に深い見識のあった人たちと考えられる。ダニエルの70 週のメシヤ預言も知っていた可能性がある(ダニエル9:22~27)。
③博士たちは3人ではなく、何十人から何百人の随行者を伴った一団で、 王に謁見できる地位の高い人たちだったと考えられる。博士たちの来訪 はエルサレムで重大な出来事であった。

2.残忍な王ヘロデ
ヘロデは、ベツレヘムとその周辺一帯の二歳以下の男の子をみな殺させた。マタイ 2:16

ヘロデ王は博士たちとは対照的に、自分の王位が脅かされることを恐れ、イエス様を抹殺しようと、罪のない2歳以下の男の子を皆殺しにしました。彼は、ローマ政府の下でユダヤの支配権を獲得し、王位を守るために妻や2人の子供を殺した人物です。(彼の子孫によって、バプテスマのヨハネ、使徒ヤコブが殺されました。)

3.約束のメシヤ
ベツレヘム・エフラテよ。・・・イスラエルを治める者が出る。その出現は昔から、永遠の昔から定まっている。ミカ 5:2
イスラエルが幼いころ、わたしは彼を愛し、エジプトからわたしの子を呼び出した。ホセア 11:1
「ラマで声が聞こえる。嘆きとむせび泣きが、ラケルが泣いている。その子らのゆえに。・・・」エレミヤ 31:15

イエス様は、旧約の聖徒たちが待ち望んでいた救い主です。

結び.イエス様を礼拝しましょう

私たちも東の国の博士たちのようにイエス様を礼拝しましょう。

①神様の救いを待ち望んでいました。
②みことばは必ず成ると信じていました。
③イエス様との出会いを喜びました。
④イエス様の前にひれ伏しました。
⑤大切なもの(宝物)を献げました。
・黄金:王に ・乳香:神に ・没薬:死者に

「哀歌」は、神の都エルサレムがバビロン軍によって焼き払われ、神の宮が滅ぼされ、人々が捕囚となった悲しみを謳ったものです。これは、単にエルサレムの滅亡と捕囚を悲しむ以上に、神様に反逆した報いとして、どれほど恐ろしい代価を払わなければならないかを、人々に知らせるものです。作者はエレミヤと言われています。この詩は、BC587、AD70のエルサレム滅亡を覚えるために、現在でもユダヤ人の会堂で朗読されています。

1.主への逆らい
神様に愛され、世界一美しいとされたエルサレムは、神様を捨てて律法に逆らい、罪に罪を重ね、硫黄の火によって滅ぼされたソドムよりも堕落してしまいました。難攻不落とされた町は、神様の怒りの前にはひとたまりもなく、廃墟と化してしまいました。

エルサレムは罪に罪を重ねた。汚らわしいものとなった。 哀歌 1:8
主は、敵のようになって、イスラエルを呑み込まれた。  哀歌 2:5

預言者エレミヤは、エルサレムと同胞の惨状を見て涙を流しました。

ああ、私の頭が水であり、私の目が涙の泉であったなら、娘である私の民の殺される者たちのために昼も夜も、泣こうものを。  エレミヤ 9:1

2.悔い改めと赦し
私の苦しみとさすらいの思い出は、苦ヨモギと苦味だけ。・・・それゆえ、私は言う。「私は待ち望む。主の恵みを。」実に、私たちは滅び失せなかった。主のあわれみが尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。・・・主はいつくしみ深い。主に望みを置く者、主を求めるたましいに。・・・人が、若いときに、くびきを負うのは良い。・・・十分に恥辱を受けよ。主は、いつまでも見放してはおられない。 哀歌 3:19~33
自分たちの道を尋ね調べて、主のみもとに立ち返ろう。  哀歌 3:40

ユダの人々は、エルサレム陥落と異国への捕囚を経験して、ようやく神様の愛と恵みと祝福のすばらしさに気が付き、神様に対する罪を痛感して悔い改めました。私たちもかつては神様に敵対する者でした。しかし、イエス様の十字架と復活によって、神様との和解をいただきました。

敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させていただいたのなら、和解させていただいた私たちが、御子のいのちによって救われるのは、なおいっそう確かなことです。 ローマ 5:8~11(コロサイ1:21~23)

3.永遠の王座の希望
主よ。あなたはとこしえに御座に着かれ、あなたの王座は世々に続きます。・・・主よ、あなたのみもとに帰らせてください。そうすれば、私たちは帰ります。・・・私たちの日々を新しくしてください。哀歌5:19~22

エレミヤは、エルサレム崩壊の惨状の中から赦しと回復を嘆願します。エルサレムは捕囚後に再建されますが、イエス様を拒否し、その後ローマ軍によって破壊されます。エレミヤは神様の永遠の主権と御国を仰ぎ見ています。

私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの永遠の御国に入る恵みを、豊かに与えられるのです。 Ⅱペテロ 1:11

今日からクリスマス(降誕節)までの期間は、待降節(アドベント:到来の意)です。欧米ではこの期間を、クリスマスの準備とし、キリストの誕生を待ち望んで厳粛に生活する習慣があります。
今日は、イエス様が誕生される以前の中間時代、メシアの待望、私たちのイエス様を待ち望む生活について考えてみましょう。

1.旧約聖書と新約聖書の中間時代(日本は弥生時代です)
現行の西洋歴は、イエス様の誕生を紀元元年としましたが、歴史家ヨセフスによると、イエス様の誕生はBC5年末かBC4年初頭とされています。イエス様誕生前約430年間を中間時代といい、預言者の活動がない、沈黙の時代でした。
①ペルシャ時代BC430~332年 
②ギリシャ時代BC331~167年
③独立(マカベア)時代BC167~63年
④ローマ時代BC63~キリスト在世時代
神様はキリスト降誕のために時代環境を整えられました。

1)ギリシャ語が世界共通語になる アレキサンダー大王によるギリシャ語の強要、新約聖書の執筆と編纂、ギリシャ文化(精神文化の啓蒙)
2)世界の治安維持と道路網の整備 ローマ共和国による治安維持、「すべての道はローマに通ず」、旅行や思想の普及
3)ユダヤ人が世界中に離散 ユダヤ人は各地に会堂を建て、聖書を読み、メシアを待望していた。

2.メシアを待望
中間時代、イスラエルは強国からの支配を受けていました。中でも、BC168年のアンティオコス・エビファネス王の恐怖政治はユダヤ人を激しく迫害しました。神殿冒涜、礼拝・割礼の禁止、聖書写本の焚書、写本所有者の処刑、ユダヤ人の奴隷売買、棄教の強要など。そして、ついにマカベヤの反乱が起こり、一時的に独立を果たしました。その後、帝政ローマに支配される中、イスラエルに勝利と平和と栄光の政治的独立をもたらす偉大な王を待望していました。しかし、メシアであるイエス様は、赤ん坊として誕生し、柔和でロバに乗って入城され、十字架の死と復活によってイスラエルに慰めをもたらされました。
私たちは、自分のメシアを探し求めて彷徨っていましたが、神様が私たちを捉え、イエス様のもとに導いて下さいました。

イエスは言われた。・・・『父が与えてくださらないかぎり、だれもわたしのもとに来ることはできない。』ヨハネ 6:65

3.日々待ち望む
イエスは彼らに言われた。「わたしの食べ物とは、わたしを遣わされた方のみこころを行い、そのわざを成し遂げることです。   ヨハネ 4:34

イエス様は、毎日ひとりで静かなところへ行って、父なる神様とお祈りによって交わりの時を持っておられました(マルコ1:35)。なぜなら、イエス様の生きる目的は、父なる神様のみこころを行うことだったからです。
私たちは、毎日何を待ち望んでいるでしょうか。自分の利益や満足や賞賛ではなく、神様のみこころが成ることを一番に待ち望めたら何と幸いでしょうか。
イエス様が神でありながら、へりくだって人となって来て下さり、私たちの救い主となって下さったことを隣人にお知らせしましょう。

御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。 マタイ 6:10

エレミヤは、イザヤの約100年後、アナトテで祭司の子として生まれ、BC627年に預言者として召命を受けました。同時代には、ハバクク、ゼパニヤ、ダニエル、エゼキエルなどの預言者がいました。彼は40年にわたり、来たるべき患難を警告し、神様に立ち返るように訴えました。彼は、預言のゆえにしばしば命の危険にさらされましたが、同胞の悲惨な運命を嘆き(涙の預言者)、神様のメッセージをストレートに伝えました。彼の預言には、「バビロン王に仕えて生きよ」とのメッセージ、捕囚からの帰還と喜び、回復と繁栄の約束もありました。彼の「生き方と行いを改めなさい」というメッセージは、今日の私たちにも語られています。

1.エレミヤの時代
神様はイスラエルをご自分の民として選び、愛し、守り育ててきました。しかし、彼らは神様と契約を捨て、異教と偶像の神々、悪行を慕っていました。エレミヤは、神様の厳しさと愛を伝え続けました。

わたしの民は二つの悪を行った。いのちの水の泉であるわたしを捨て、多くの水溜を自分たちのために掘ったのだ。エレミヤ 2:13
純種の良いぶどうを植えたのに、どうしてあなたは、わたしにとって、質の悪い雑種のぶどうに変わってしまったのか。エレミヤ 2:21

2.生き方と行いを改めよ

さあ今、あなたがたの生き方と行ないを改め、あなたがたの神、主の御声に聞き従いなさい。エレミヤ 26:13

「生き方(道)」とは、自分が核心としている信仰、自分が拠って立っているものです。「行い」とは、自分の信仰が外に表れたものです。「改めよ」とは、神様との契約に立ち返って、履行することを意味します。そうすれば、神様が共に住んでくださるとの約束です。
「思考は言葉になり、言葉は行動になり、行動は習慣になり、習慣は人格になり、人格は運命になる。」〔英国のマーガレット・サッチャー元首相の言葉(諸説あり)〕みことばを第一とし、主に服従する信仰は思考を変えます。

3.心を新たにすることによって

この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。ローマ 12:2

みことばは、この世と調子を合わせ、この世の価値観を自分の生き方の中心に据えないように命じています。私たちは自分で自分を変えることはできませんが、イエス様にゆだねて従うという決心をすることができます。神様はその決心を、私たちを刷新するきっかけとして、私たちの内側で新創造の働きを開始してくださいます。そのための要素は次の3つ、「悔い改め」「新しい人を着る」「イエス様の恵み」です。

1)悔い改め                     詩篇 51:10
2)古い人を脱ぎ捨てて新しい人を着る エペソ4:22~24 コロサイ3:10
3)キリストの恵みと聖霊の刷新             テトス 3:5