礼拝メッセージ

あなたがたは、終りの時に〔あなたがたに〕啓示されようとしている〔あの終局の〕救いを〔完全に受け継ぐまで、あなたがたの〕信仰を通し、神の力によって、守られ〈守護され〉ているのです。Ⅰペテロ1:5 (詳訳)

私たちは神様に愛され、御子イエス様の十字架と復活によって、尊い救いをいただきました。私たちは神様から、すでにいただいたもの、将来いただくもの、現在備えられているものがあります。

1.私たちが恵みによっていただいたもの
Ⅰペテロ1:3~9によると、私たちは主から、下記に示すようなすばらしいものをいただいています。  
完 了:新生、希望、救い 
現 在:守り、喜び、試練、魂の救い 
未 来:朽ちない資産、終局の救い、賞賛

2.信仰により、神の力によって守られている
私たちは、イエス様の再臨によって完全な救いをいただきますが、それまでは地上にあって様々な試練の中で生かされています。地上で肉体にあって生きている私たちは、イエス様とみことばの約束に対する信頼により、悪しきものから神様の力によって守られる必要があります。私たちは非常に迷いやすく、弱い者だからです。(士師記2:10~15)

あなたがたを、つまずかないように守ることができ、傷のないものとして、大きな喜びとともに栄光の御前に立たせることができる方、 ユダ24

3.信仰がなければ

この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。        エペソ 2:8

私たちは、神様の恵みと信仰によって救われましたが、クリスチャン生活を信仰ではなく自力で送れると勘違いしている場合があります。そういう人は、神様に頼らず、礼拝せず、従わず、教会から離れ、イエス様の化身である兄弟姉妹と交わろうともせずに、自分中心の生き方に流れて行きます。しかし、その生き方に神様の守りはありません。

信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神がご自分を求める者には、報いて下さる方であることを、信じなければならないのです。  ヘブル 11:6

健全な良心を捨てて(使徒5:1~11)、教会や兄弟姉妹に対して不忠実な人は、信仰の破船につながり、サタンに引き渡されてしまいます。

ある人たちは、健全な良心を捨てて、信仰の破船にあいました。・・・彼らをサタンに引き渡しました。    Ⅰテモテ1:19,20

主はこの女を見て深く同情され、「泣くのをやめなさい」と言われた。そして近寄って、ひつぎにみ手をかけられたので、かついでいる者たちが立ち止まった。そこでイエスは言われた、「若者よ、私はあなたに言う、〔死から〕起き上がりなさい」。ルカ7:13,14 (詳訳)

イエス様は、ナインの町の門にさしかかった時、ある葬儀に遭遇されました。情け深くあわれみ深いイエス様は、ひとり息子を亡くした母親に対して深い同情を示され、息子を生き返らせなさいました。

1.死んだ息子とやもめ
彼女は、夫と死別してやもめになり、必死にひとり息子を育ててきました。しかし、その唯一の頼りだった息子に先立たれてしまいました。家族・親族・友人、多くの人たちがなぐさめのことばをかけましたが、彼女の悲しみは癒えることはありません。
イエス様は深い同情を示されて、喜びの奇跡を行われ、ご自身がいのちと死の支配者であることを示されました。私たちも罪によって永遠に滅んでしまっていた哀れな者でした。

2.情け深い主
イエス様は、私たちの思いをはるかに越えて、情け深くあわれみ深いお方です。このご性質は、とこしえからとこしえまで変わりません。

主は あわれみ深く 情け深い。怒るのに遅く 恵み豊かである。
主は いつまでも争ってはおられない。とこしえに 怒ってはおられない。私たちの罪にしたがって 私たちを扱うことをせず 私たちの咎にしたがって 私たちに報いをされることもない。天が地上はるかに高いように 御恵みは 主を恐れる者の上に大きい。    詩篇 103: 8~11

3.あわれみの心
私たちは神様の子供にしていただきました。私たちの主イエス様があわれみ深いように、私たちも隣人にあわれみを示しましょう。特に、兄弟姉妹に対して示すべきです。

あなたがたは、いと高き方の子どもになります。いと高き方は、恩知らずな者にも悪人にもあわれみ深いからです。あなたがたの父があわれみ深いように、あなたがたも、あわれみ深くなりなさい。  ルカ 6:35,36

キリストは私たちのために、ご自分のいのちを捨ててくださいました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから、私たちも兄弟のために、いのちを捨てるべきです。この世の財を持ちながら、自分の兄弟が困っているのを見ても、その人に対してあわれみの心を閉ざすような者に、どうして神の愛がとどまっているでしょうか。子どもたち。私たちは、ことばや口先だけではなく、行ないと真実をもって愛しましょう。Ⅰヨハネ 3:16~18(Ⅰペテロ3:8)

私たちの周りの多くの人々がイエス様の救いを知らずに、罪によって死んでいる状態です。私たちがイエス様からいただいた愛とあわれみと救いを伝えて行きましょう。

神様は心の砕かれた人のそばにおられ、
謙虚に罪を悔いる人を助け出されます。     詩篇 34:18 (LB訳)

神様が「立派な人、信仰深い人、高額献金者、能力のある人、人格者、神様の奉仕者」とだけいっしょにいてくださるとしたら、私たちに希望はありません。しかし、神様は「心の打ち砕かれた者」といっしょにいてくださると約束しておられます。(イザヤ57:15)

1.行いではなく、へりくだり

まことに 私が供えても あなたはいけにえを喜ばれず 全焼のささげ物を望まれません。
神へのいけにえは、砕かれた霊。 打たれた 砕かれた心。
神よ あなたはそれを蔑まれません。       詩篇 51:16,17

神様に対するささげ物や奉仕はとても大切ですし、神様に喜ばれます。しかし、信仰とへりくだりのないささげ物や奉仕は、いくら「すばらしいでしょう。こんなに一生懸命やってます。神様のための尊い働きをしています。」と自分の働きを強調してみても、神様には受け入れられません。みことばに従う基本的な歩みこそが一番大切です。(マタイ7:21~23,25:31~46)

2.主を呼び続ける
へりくだる者とは、自分の弱さと足りなさを自覚して、主を呼び続ける人のことです。主は、ご自身に全面的に信頼する人と共にいて、あらゆる災いから守り、救い出して下さいます。

主を呼び求める者すべて まことをもって主を呼び求める者すべてに
主は近くあられます。                詩篇 145:18

3.兄弟姉妹に仕える心
神様に対しては恐れて従うが、兄弟姉妹に対しては非礼で尊大に振る舞う。それは上の者に媚びる生き方です。一番低く弱いと思われる人に対しての接し方に、その人の心が現われます。

まことに 主は高くあられますが
低い者を顧みてくださいます。
しかし高ぶる者を 遠くから見抜かれます。 詩篇 138:6

心身ともに強くて立派で、信仰深く、金銭も能力もあり、奉仕する力がある人が幸いなのではありません。また、そのようなものを備えていなくて、かつ、高慢でかたくなな者も喜ばれません。
力や能力や財力がなくても、へりくだって主に頼ることはだれもができることです。そして、そのような人が一番幸いです。

主はあなたに告げられた。人よ、何が良いことなのか。
主があなたに何を求めておられるのかを。
それは、ただ公正を行ない、誠実を愛し、へりくだって、
あなたの神とともに歩むことではないか。    ミカ 6:8

あなたがたの祈り〔の生活〕に真剣でありなさい〈うむことのない《ゆるぐことのない》ものでありなさい〉。感謝をもって〔祈ることに〕油断しないで〈〔また〕心を集中させて〉いなさい。コロサイ 4:2 (詳訳)

祈りの生活とは、主イエス様に頼る生活です。自分に都合の良い結果を神様に無理矢理に求めることではありません。祈らない生活とは、主イエス様に頼らない、自分の思いのままに歩む生活です。
聖書は、油断することなく、主イエス様に真剣に祈り頼る生活をするように命じています。

1.目をさましていなさい

・・・誘惑に陥らないように、目を覚まして祈っていなさい。・・・。 マタイ 26:36~46

主イエス様は、ゲッセマネの園で十字架刑を目前にして、苦しみもだえながら祈っておられましたが、ペテロとヤコブとヨハネは三回も眠りこけてしまいました。目を覚まして祈っているようにと命じられましたが、主イエス様の十字架は所詮他人事でしかなく、自分の力を過信した彼らは一時も祈ることができませんでした。。
怠惰で眠りこけると、正しい判断ができず、誘惑に負けてしまいます。(箴言 6:6~11)

2.失望してはいけない
イエス様は人でなしの裁判官のたとえから、温情深い神様に祈ることの正当性、大切さを教えられました。

いつも祈るべきで、失望してはいけないことを教えるために、・・・「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官がいた。・・・まして神は、昼も夜も神に叫び求めている、選ばれた者たちのために・・・。ルカ 18:1~8

3.継続する祈りの生活
聖書は、苦難の中でも忍耐してひたすら祈るように命じています。継続してひたすら祈るとは、主イエス様に頼り続けることを意味します。主イエス様に頼ることをやめてしまったら、滅びの道へ真っ直ぐに進んで行きます。

・・・。望みを抱いて喜び、苦難に耐え、ひたすら祈りなさい。・・・。 ローマ 12:9~21

主イエス様が良くしてくださったことを、何ひとつ忘れてはいけません(詩篇103:2)。主は良いことしかなさいませんので、私たちは、感謝をもって、あきらめずに祈り続けることができます。

・・・
主は あなたに恵みとあわれみの冠をかぶらせ
あなたの一生を 良いもので満ち足らせる。
・・・                  詩篇 103:1~5

孫は老人の自慢の種、父親は子供の尊敬の的です。箴言 17:6 (LB訳)

明日は「敬老の日」です。1965年「多年にわたり社会に尽くしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う日」として国民の祝日に制定されました。
聖書では一貫して、目上の人、老人に敬意を払い大切にするように命じています。それが私たち自身の祝福と平安と長寿につながります。

あなたを生んだ父の言うことを聞け。
あなたの母が年老いても蔑(さげす)んではならない。
真理を買え。それを売ってはならない。
知恵と訓戒と分別も。
正しい人の父は心躍らせ、
知恵のある子を生んだ人はその子を喜ぶ。
あなたの父と母を喜ばせよ。
あなたを産んだ人を楽しませよ。
箴言 23:22~25(30:17)

.父母への尊敬
聖書は十戒の第五戒、対人関係における最初の戒めとして「両親への尊敬」を挙げています。私たちは、両親を通して命が与えられ、自分自身で生きることができなかった時に、生きられるように世話をしていただきました。両親、祖父母は命の恩人です。

あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしているその土地で、あなたの日々が長く続くようにするためである。  出エジプト 20:12

2.目上の人、老人への尊敬
聖書は神様を恐れることと老人を敬うことを同様に大切なこととして命じています。地位や立場、能力、財力、人間性に関係なく、目上の人を尊敬しなければなりません。神様はそのような秩序を重んじています。

あなたは白髪の老人の前では起立し、老人を敬い、またあなたの神を恐れなければならない。わたしは主である。 レビ記 19:32

3.父母を喜ばせる生き方
聖書は父母を喜ばせる生き方をするように命じています。旧約聖書の律法では、父母に逆らう放蕩者は石打ちの刑に処せられました。(マタイ15:4)
父母を喜ばせる生き方、それは、父なる神様をも喜ばせる生き方につながっています。父母を大切にしないで、神様を大切にすることはできません。

ただし、どちらかを選ばなければいけない時は、イエス様を選びましょう。

わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。 マタイ 10:37

いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。ピリピ人への手紙 4:4

パウロは、自らが囚われの身となって、獄中という大変な状況にありながら、なぜそこまで自らが喜び、しつこいくらいに「喜びなさい。喜びなさい。」と命じているのでしょうか。

1.「喜び」の根拠
私たちには主イエス様の十字架と復活による救いが与えられています。主イエス様の十字架を信じないで、地上のことだけを考えて自分の欲望に従う人は、永遠に滅ぼされてしまいます。

1)私たちの国籍は天にある。           ピリピ 3:20
2)主は近い。〈主はすぐにおいでになります。詳訳〉ピリピ 4: 5
3)神様の平安がある。              ピリピ 4: 7

2.主にあって
パウロが命じているのは、あくまでも「主にあって」ということが前提です。主のみことばと約束、主に対する服従抜きの、自分中心の歩みでは
到底喜ぶことはできません。「主にある」とは次の生き方です。

1)主のみことばと約束を信じる
2)主の弟子に倣う生き方                     ピリピ 3:17 
3)主に頼る           ピリピ 4: 6

3.第2のパウロに
人は、自分の思い通りに生きられれば、いつも喜んで生きられると思いがちです。しかしそこには、不平不満と相手のせいにする悪意しか生まれません。
パウロは「私に倣いなさい」と言いました。パウロに倣うとパウロのように、逆境の中でもイエス様を仰ぎ見て喜ぶ人になることができます。そして、そのような人は、逆境の中で意気消沈している人に、「私に倣ってください」と励ますことができます。
逆境の真っただ中でも、主のみことばと約束を信じて喜ぶことは、信仰の歩みにおいてとても安全な道です。そこには、不平不満、不信仰、みことばに従わない自分勝手な歩みなどの入り込む隙がないからです。

私の兄弟たち、主にあって喜びなさい。私は、また同じことをいくつか書きますが、これは私にとって面倒なことではなく、あなたがたの安全のためにもなります。  ピリピ 3:1

主を自らの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。 詩篇 37:4

どうか、キリストが、あなたがたの信仰を通して、あなたがたの心のうちに〔現実に〕住んで〈定住して、滞在して、そこをご自身の恒久的な家として〉くださいますように。どうか、あなたがたが、愛の中に深く根をおろした者となりますように〈愛の上に基礎を堅く据えられた者となりますように〉。    エペソ 3:17(詳訳)

パウロは、私たちのうちにキリストが一時的な仮住まいではなく、永住してくださるようにと、とりなしの祈りをしています。全てのクリスチャンは、イエス様の救いを信じた時に聖霊様の内住をいただきました。聖霊様=神様の霊=キリストの霊(ローマ8:9)ですから、イエス様が内住してくださっているということができます。

1.信じる者に内住される聖霊様
イエス様が救いを成し遂げられ、復活し、昇天された後、聖霊様が降臨されました。聖霊様は信じる者に内住し、イエス様の栄光を現しておられます。主は、慰め・励まし・助け・みことばの解き明かし・導きを与えてくださいます。

イエスは、ご自分を信じる者が受けることになる御霊について、こう言われたのである。 ヨハネ 7:39

2.私たちが仮住まいとなる場合
内住の聖霊様(イエス様)が本来の働きをすることができなくなる場合について、注意が促されています。

神の聖霊を悲しませてはいけません。  エペソ 4:30
御霊を消してはいけません。 Ⅰテサロニケ 5:19

3.イエス様に定住していただくには
1)信仰
不信仰、不平不満、不従順はイエス様の内住と働きを阻害します。満たしとは支配していただくということですから、イエス様に対する全き信頼のみが満たしを実現します。たとえ罪や失敗があったとしても、心からの悔い改めによって、罪の赦し(Ⅰヨハネ1:9)と満たしが与えられます。

信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神がご自分に求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。 ヘブル 11:6

もし、肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬことになります。しかし、もし御霊によってからだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きます。 ローマ8:13

2)愛
イエス様が与えてくださった犠牲的な愛と、その愛を受けてイエス様と兄弟姉妹を愛する愛を信仰の基礎として堅く据えましょう。それが漸進的な聖化の道、イエス様に満たされ、導き続けていただく道となります。
その結果、イエス様と同じ人格が現れるようになり(エペソ3:19,ガラテヤ5:22,23)、さらに、恵みとしてイエス様と同じ苦しみを賜る者になります(ピリピ1:29)。

ですから、あなたがたはこう祈りなさい。『天にいますわたしたちの父よ。    マタイ 6:9

私たちは、栄光に満ちた天地の主、創造主、主権者であられる神様を、親しく「お父様」とお呼びすることができる恵みをいただきました。
イエス様は、ご自分のお父様を独占せずに、ご自身が長子となられ、私たちを弟妹として下さいました。イエス様の天の父は、私たちにとってもすばらしいお父様です。

神は、あらかじめ知っている人たちを、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたのです。それは、多くの兄弟たちの中で御子が長子となるためです。ローマ 8:29

1.平等なお父様
天のお父様は、全ての人に対して分け隔てのない平等なお方です。

父はご自分の太陽を悪人にも善人にも昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからです。 マタイ 5:45

2.良いものを与えてくださるお父様
天のお父様は、最も大切なご自分の愛する御子を私たちに与えるほどに、私たちを愛しておられます。それ以下の良いものを与えることは、たやすいことです。

ですから、あなたがたは悪い者であっても、自分の子どもたちには良いものを与えることを知っています。それならなおのこと、天の父はご自分に求める者たちに聖霊を与えてくださいます。 ルカ 11:13

私たちすべてのために、ご自分の御子さえも惜しむことなく死に渡された神が、どうして、御子とともにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがあるでしょうか。 ローマ 8:32

3.訓練され(懲らしめ)るお父様(「懲らしめる」第3版)
愛するとは、聖め整えてイエス様に似た者、ふさわしい者とすることです。溺愛して自己中心的な者にすることではありません。

さらに、私たちには肉の父がいて、私たちを訓練し(懲らしめ)ましたが、私たちはその父たちを尊敬していました。それなら、なおのこと、私たちは霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。肉の父はわずかの間、自分が良いと思うことにしたがって私たちを訓練し(懲らしめ)ましたが、霊の父は私たちの益のために、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして訓練され(懲らしめ)るのです。 ヘブル 12: 9,10

天のお父様は、イエス様の救いによって私たちを子として下さいました(ガラテヤ4:5,6)。神様との関係は、親子としての親しい関係です。
神様は、私たちの天のお父様として、私たちのことを全てご存じなので、私たちは、恐れることなく何でも打ち明けることができます。天のお父様は、肉の父親以上に私たちのことを心配して、最善の道を示し助けて下さいます。
それは、私たちを神様のかたちに再創造する働きです。

トマスはイエスに答えた。「私の主、私の神よ。」
イエスは彼に言われた。「あなたは私を見たから信じたのですか。見ないで信じる人たちは幸いです。」  ヨハネ20,28,29

「見たから信じた」とは、「見ていないから信じない」ということです。イエス様は、見ないで信じる者こそが幸いだとおっしゃいました。

1.大切なものがすべて見えるとは限らない
人間に見えているのは、電磁波の内のごく一部の可視光線だけです。ましてや、生活圏外、霊の世界、過去・未来、ほとんどが見えていません。「見えるものしか信じない」ということは、不合理で非現実的です。
聖書は、見えないものこそ大切なものだと教えます。それは、救いであり、永遠の命です。見えないからといって信じることをやめて不信仰に陥ってしまえば、最も大切なものを失ってしまいます。

私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。Ⅱコリント4:18

私たちは、この望みとともに救われたのです。目に見える望みは望みではありません。目で見ているものを、だれが望むでしょうか。
私たちはまだ見ていないものを望んでいるのですから、忍耐して待ち望みます。ローマ 8:24,25

2.私たちを生かすもの。それは信仰。
間違ったもの、不確かなものをいくら熱心に信じても、真実なものに変化したりはしません。真実な神様、ひとり子をお与えになったほどの愛、歴史的事実の十字架の贖いと復活、これら確かなものを信じる信仰こそが、私たちを罪から救い出し、新しい生き方、永遠の命へと導くものです。

イエスは彼に言われた。「あなたは私を見て信じましたね。でも、見ないで信じるのが信仰です。信じる人は幸いです。」ヨハネ20:29(現代訳)

さて、信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。 ヘブル11:1

3.永遠の天を目指す生活

目に見えるものだけを求める生き方とは、自分が納得し、自分が利益を得て満足する、自分中心の生き方であり、御利益信仰です。イエス様が幸いだと言われたのは、神様は創造主であり主権者なので、被造物である私たちは、見なくても、見えなくても信仰によってみことばに従うことです。

私たちは見えるものによらず、信仰によって歩んでいます。Ⅱコリント5:7

これらの人たちはみな、信仰の人として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるか遠くにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり、寄留者であることを告白していました。ヘブル11:13

イエス様と同時代に生きてイエス様と触れ合い、奇蹟を目撃し、直接教えを聞いた人たちは幸いでしょう。しかし、イエス様は、見ないで信じている現代の私たちの方が幸福だとおっしゃいました。

そこで、私がまず第一に勧める〈強く訴える〉事は、願いと祈りととりなしと感謝とが、すべての人々のためにささげられ、王たちと権威〈重い責任〉の地位にあるすべての人々とのために〔ささげられる〕ことです。それは、私たちが、あらゆる面において全く信仰深く〈敬けんに〉、また謹厳さをもって、〔外的に〕静かな〈落ち着いた〉、そして、〔内的に〕平和な生活を送るためです。このような〔祈り〕は善い事〈正しい事〉であり、私たちの救い主である神に喜ばれる〈受入れられる〉事です。この〔神は〕、すべての人々が、救われて〔神の〕真理をますます明確に〈正しく〉悟る〈認める〈見分ける〈知る〉ことを、望んでおられるのです。〔その真理とは〕神は〔唯〕一であるということ、そして、神と人との仲立ち人も〔唯〕一、すなわち人間キリスト・イエスである、ということです。この〔キリスト〕はご自身をすべての〔人々の〕ために身のしろ金としてお与えになりました。〔それは〕適切な〔ちょうど良い〕時に証明された〔事実なのです〕。 Ⅰテモテ 2:1~6(詳訳)

現在、世界58箇所(アフリカ、アジア、中南米)で戦争、紛争、内戦、内乱が起こっており、過去一年間に1万人以上が死亡した紛争は4件です。 日本は戦後73年間、平和が続いていますが、未だに領土の不法占拠、領海侵犯、拉致被害、核・ミサイル攻撃の脅威などが続いています。
神様は、国や地方の指導者のためのとりなしの祈りを喜ばれます。

1.すべての人、高い地位にある人々に
パウロはすべての人、特に国民のためひいては世界平和のための重責を担っている国の指導者のために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるように強く訴えています。

人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられているからです。・・・・恐れるべき人を恐れ、敬うべき人を敬いなさい。ローマ 13:1~7

2.とりなしの祈りの目的
神様は、愛する私たちが平安で平穏な生活を送る事を願っておられます。隣人と国や地方の指導者へのとりなしの祈りと感謝の心が、敬虔な信仰生活へとつながります。どんな国でも家庭でも内輪もめしていては立ち行きません。クリスチャンは争いを引き起こす者ではなく、平和を作る者です。
1)信仰深い生活 2)平和な生活 3)神様に喜ばれる事

イエスは彼らの思いを知って言われた。「どんな国でも分裂して争えば荒れすたれ、どんな町でも家でも分裂して争えば立ち行きません。 マタイ 12:25

人が立てたすべての制度に、主のゆえに従いなさい。それが主権者である王であっても、・・・・すべての人を敬い、兄弟たちを愛し、神を恐れ、王を敬いなさい。Ⅰペテロ 2:12~17

3.神様が望まれていること

神様が望まれていることは、国の指導者も含めてすべての人がイエス様によって救われて真理(唯一の神様、唯一の救い主イエス様、イエス様の贖い)を知ることです。そのためには、国の指導者にも、イエス様の福音が伝えられる必要があります。祈り、とりなし、感謝をささげましょう。

神は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます。   Ⅰテモテ2:4