礼拝メッセージ

コロサイ人への手紙は、AD61~63に書かれた獄中書簡です。パウロは、第2回、第3回伝道旅行でこの地方を通っています。コロサイ人エパフラスが教会内に異端の教えが入り込んでいるという知らせをローマのパウロにもたらし、パウロがこの手紙を書いて託したようです。

この手紙では、異端の教えに対処するために、イエス様の神性、偽りの教えとの戦い、キリスト者の生き方について教えられています。

1.イエス様は第一の者
御子は、見えない神のかたちであり、・・・万物は御子によって造られ、御子のために造られました。・・・御子はそのからだである教会のかしらです。・・・御子によって和解させることを良しとし・・・コロサイ 1:15~1:20

イエス様は、「キリスト教の教祖、博愛主義者、宗教家、道徳家、被造物、預言者」ではありません。「絶対者、創造主、統治者、教会の頭(かしら)、贖い主、仲介者、よみがえられたお方」です。

2.惑わすもの
コロサイの異端は、ギリシャ、ユダヤ、東方諸宗教の宗教混合主義(シンクレティズム)、グノーシス主義(二元論)、神秘主義です。彼らが哲学、偽りの霊、肉的熱心によって得ようとしたものは、すべてイエス様の中にあり、イエス様が十字架と復活によって成就してくださいました。

①哲学(高等思弁、グノーシス主義) 
あのだましごとの哲学によって、だれかの捕らわれの身にならないように、注意しなさい。コロサイ 2:8

②ユダヤ主義(禁欲主義) 
キリストにあって、あなたがたは人の手によらない割礼を受けました。・・・食べ物と飲み物について、あるいは祭りや新月や安息日のことで、だれかがあなたがたを批判することがあってはなりません。・・・これらはすべて、使ったら消滅するものについての定めで、人間の戒めや教えによるものです。・・・何の価値もなく、肉を満足させるだけです。コロサイ 2:11~23

③天使礼拝 
自己卑下や御使い礼拝を喜んでいる者が、・・・彼らは自分が見た幻に拠り頼み、肉の思いによって、いたずらに思い上がって、かしらにしっかり結びつくことをしません。・・・コロサイ 2:18,19

3.信仰にとどまりなさい
キリストにあって歩みなさい。キリストのうちに根ざし、建てられ、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかりに感謝しなさい。  コロサイ 2:6,7
つなぎ合わされ、神に育てられて成長していくのです。  コロサイ 2:19

偽りの教えは、クリスチャンの信仰を気づかないうちに蝕み、正しい聖書の教えに対する不信感や不信仰を抱かせて、みことばと教会と兄弟姉妹から分離させてしまいます。そして、その分離の行為があたかも聖霊様から来た霊的で信仰的なものであるかのように思い込ませます。奇跡、不思議、癒しの体験であっても、謙遜と信仰に結び付かないと高慢になって兄弟姉妹をさばき、兄弟姉妹に仕えることをやめさせてしまいます。これらの働きは悪霊の働きです。そこに霊的成長はありません。かしらであるイエス様にしっかりと結び付いて、からだである教会(兄弟姉妹)につなぎ合わされ、仕えさせてもらい、さらに成長させていただきましょう。


もし、人がどのような境遇にあっても、心からの感謝が湧き、満ち足りた人生を送ることができたらどれだけ幸せでしょうか。パウロはピリピ人への手紙の結びにあたって「満ち足りて生きる」方法を教えています。

1.良きものに目を留める道
兄弟たちよ、そのほか、どんなことであっても、真実な事、または尊敬に値する〈誉のある〈上品な〉事、正しい事、清純な事、愛すべき〈愛される〉事、親切な〈人をひきつける〈あわれみ深い〉事、またもし何かの徳〈すぐれた事〉があるならば、また賞賛する価値のあるものがあれば、そのようなものによく思いを留めなさい〈思いはかりなさい〈考えに入れなさい〈しっかりとあなたの心をそのようなものの上に留めなさい〉。ピリピ 4:8(詳訳)

パウロは「真実、尊敬、正しい、清純、愛、親切、徳、賞賛」など価値のあるものに常に心を留めるように命じています。心に留めるとは、計画し、実行することを意味します。逆に、これらと反対のものに心が向いてしまうと、不平不満、不信仰の道へと転落していきます。

2.主が共にいてくださる道
あなたがたが私から学んだ事、受けた事、見た事、聞いた事を実行しなさい。〈それをあなたがたの生き方の模範としなさい〉。そうすれば平和〈混乱のない、乱されない幸福〉の神があなたがたといっしょにいてくださいます。 ピリピ 4:9(詳訳)

パウロは真剣に生きてきたからこそ、自分から学んだ事を実行すれば平和の神様が共にいてくださると言うことができました。私たちにとって、使徒たちから学び、受けた事とは、新約聖書のことです。ただ頭で考えて心に留めるだけではなく、実行することによって主が共にいて下さいます。

3.私を強くしてくださるキリスト
・・・私は、いろいろな環境の中において、飽き足りるときも、から手で〈欠乏の中に〉あるときも、あらゆる状態に対処する秘訣を習得しました。私は、私を強くしてくださるキリストにあって、どんなことでもする力を持っています。〈私は私のうちに内的な力を注ぎこんでくださるかたを通して、どんなことでも行なう用意があり、どんなことにも耐えるのです〔すなわち、私はキリストの充足のうちにあって自足しています〕〉。 ピリピ 4:12~13(詳訳)

今まで、あなたの人生で「自分の思い通りの状況」と言えるときは何パーセントありましたか。環境や状況は自分の思い通りに変えることはできません。しかし、パウロは、「あらゆる状態に対処する秘訣を持っている。主が与えてくださる力によって、どんな事でも行う力が与えられている。キリストの満たしによって、私は満ち足りている」と告白しています。
さらにパウロは、主からの力だけでなく、兄弟姉妹の物質的な援助、援助してくれる思いに感謝し、それが彼ら自身の祝福の実となる事を教えています。ピリピ人への手紙は獄中書簡です。パウロはこの手紙を執筆した約5年後に殉教しました。

また私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富に従って、あなたがたに必要なすべてのものを惜しみなく豊かに与えてくださるのです〈いっぱいに満たしてくださいます〉。ピリピ 4:19(詳訳)〔Ⅱコリント9:8、詩篇23:1〕


今日のピリピ人への手紙のポイントは、①「十字架の死にまで従われた」(ピリピ2:8)イエス・キリストの謙遜(謙卑-キリスト教用語)。②ピリピ書に19回も登場する「喜び」です。ピリピ書は「喜びの手紙」とも呼ばれています。なぜ、パウロは獄中にあっても「喜びなさい」と兄弟姉妹に呼びかけることができたのでしょうか。

1.私たちの隣人に対する思い(ピリピ2:1~5)

パウロはピリピの教会に対して、心と思いを一つにする「一致」を願っています。一致を保つためには「謙遜」という徳が不可欠です。一人ひとりが自己中心や虚栄を捨て、肉的なプライドにしがみつくのを止め、謙遜を身に着けて隣人に関心を払い、その人の価値を再発見し、さらに、互いに尊敬し合うようにならなければ一致はありません。パウロは、十字架の死に至るまでもへりくだられた「イエス様の謙卑の姿」(ピリピ2:6~11)を示し、それを模範として、私たちに「謙遜」を勧めています(ピリピ2:4)。

2.パウロの喜びの源パウロには、悩み・苦しみ、迫害、殉教の時でもイエス様を仰ぎ見、待ち望む信仰がありました。その信仰とは、信じる者にとって、死が終わりではなく、イエス様の勝利がすでに宣言され、復活が約束されているということです。ピリピ4:4は「ただ喜びなさい」ではなく、「主にあって、喜びなさい」という命令です。悩み苦しみの中で、病気の床で、家族の死の中で喜べるはずがありません。「喜びを盗む泥棒は、環境、人々、所有物、思い煩いである。」とワイズビー(説教者)は言いました。大変な状況の中で、心から喜ぶということは難しいことです。ここに、「主にあって- in the Lord」(8回)とあります。「主にある」からこそ、個人が「しっかりと立つ」ことも、教会が「一致する」ことも可能になります。主が伴ってくださらなければ、私たちは一人で立っていくことはできません。

3.大切な信仰の友

パウロが喜ぶことができたもう一つの要因は、ピリピ教会の兄弟姉妹との親しい関係でした。『あなたがたに感謝している。本当にあなたがたは大切な友だ』と言いたくなる関係性です。パウロを支えてくれた信仰の友がいたからです。それは私たちにとって、今日、共に礼拝している教会の仲間、喜び合い、悲しみを分かち合うことのできる兄弟姉妹の存在です。

4.今日のおすすめ

1)ピリピ書を読むと、励まされ、勇気づけられるみことばが、ここかしこに散りばめられています。この機会にピリピ書全体を読んで、好きな箇所にラインマーカーでしるしをしてみましょう。

2)もし私たちが、神様の支えの中で生きていないならば、私たちの歩みはとても不安定です。自分の主張や面子にこだわると、悩みや不安でいっぱいになります。「このような場合、主イエス様はどうお考えになり、どう行動されますか?」「聖書は、私に何をしたら良いと教えていますか?」と主に聞き、神様中心に考えてみましょう。           (藤島昇兄)


エペソ人への手紙では、偶像の神々から救われた兄弟姉妹に対して、創造主なる真の神様に対する信仰、神様に選ばれた者としての歩み、御霊による一致、信仰による歩みなどについて教えられています。後半は、信仰による歩みを妨害する悪魔の策略に対しての対抗措置が記されています。

1.そもそも何の戦い?
悪魔の策略・・・私たちの格闘は・・・支配、力、この暗闇の世界の支配者たち、また天上にいるもろもろの悪霊に対するものです。ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、・・・エペソ 6:11,12

私たちは皆、目に見える世界と同時に霊の世界にも生きています。自覚のあるなしにかかわらず、日々神の武具が必要な霊の戦いに直面しています。イエス様は十字架の死と復活によって、悪魔(サタン)・悪霊・罪に対して完全なる勝利を得られましたが、悪魔の活動は続いています(エペソ5:8)。悪魔の策略とは、私たちを巧みに主イエス様と信仰から引き離し、罪に引き込むことです。格闘は一対一の戦いを意味しています。

2.神の武具
邪悪な日に際して対抗できるように、また、一切を成し遂げて堅く立つことができるように、神のすべての武具を取りなさい。エペソ 6:13

ことわざ「段取り八分仕事二分」の段取りには道具が含まれます。私たちは霊の戦いに対して、手ぶらや肉の力では戦えません。神様が用意して下さったすべての武具を用いることで、悪魔の策略に対抗できます。

1)防御  ①真理の帯:福音の真理 ②正義の胸当て:信仰による義、 正しい行い ③平和の福音(履物):救い(和解)の福音 ④信仰の大盾: 主とみことば、約束に対する信頼 ⑤救いのかぶと:救いの確信
2)防御兼攻撃 ⑥御霊の剣:みことば ⑦御霊による祈り ⑧賛美

3.心の戦い
蛇が悪巧みによってエバを欺いたように、あなたがたの思いが汚されて、キリストに対する真心と純潔から離れてしまうのではないかと、私は心配しています。Ⅱコリント 11:3(信仰の破船:Ⅰテモテ 1:19 6:21)

悪魔はいきなり私たちを殴っては来ないでしょう。私たちの心の隙間を狙って思いを汚そうとして、神様、主イエス様、みことばに対する不信感、不信仰、不従順を抱かせ、教会、兄弟姉妹への不平不満を煽って、高慢、自己中心、背信、信仰の破船へと誘います。

人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、そして、真理から耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう。Ⅱテモテ4:3,4(口語訳)

私たちの主であるイエス様は十字架の死と復活によって勝利を得られ、信じる私たちにも同様の勝利を与えてくださいました。私たちは勝利者として悪魔(サタン)に機会を与えず(エペソ4:27)、立ち向かい(ヤコブ4:7)、悪魔(サタン)・悪霊・罪を退けることができます。


明日21日は敬老の日です。日本の総人口は1億2,600万人、高齢者(65歳以上)は3,580万人、総人口に占める割合は28.4%です(総務省統計局2019.9.15)。高齢者人口の割合は世界1位です。聖書では年配者としての生き方、年配者に対する態度について教えられています。

しかしあなたは、正しい〈健全な〉教えにかなう〈ふさわしい〉事《真のキリスト者であることを示す品性と正しい生活》を教えなさい。テトス 2:1(詳訳)

1.年配の男の人
老人たちには、節制し、尊厳を保ち〈謹厳で〉、思慮深く、自制し、信仰にも愛にも、また〔キリストの〕堅実さ〈忍耐〉にも、健全さを保つように勧めなさい。テトス 2:2(詳訳)

最近、高齢者男性の常軌を逸した事件が多発しています。聖書では、神様のことば、聖書が信用を失わないように、年配のクリスチャン男性には、救い主イエス様を主と告白している者として、自制して堅実で健全な生活を送るように勧めています。

2.年配の女の人
また年老いた女たちにも、同様に、神聖な奉仕をする者にふさわしく、行動において敬けんで〈うやうやしく〉あり、人をそしらず、酒の奴隷とならないように勧めなさい。彼女たちは良い助言を与えるべき者〈何が正しいもの《尊いもの》であるかを教える者〉であるべきです。それは彼女たちが若い女たちを知恵を用いて訓練して、若い女たちが、穏健な、慎み深い考え方をする人〈穏やかな、しつけの良い人〉となるように、また〔彼女たちの〕夫と〔彼女たちの〕子どもたちを愛し、自分を制し、純潔で、家を整え、善い性質で〈情け深く〉、自分を夫に順応させる〈従わせる〉人となるためです。・・・ テトス 2:3~5(詳訳)

高齢の女性クリスチャンに対しては、若い姉妹方や、信仰歴の浅い姉妹たちの模範となり、助言し、教え、訓練するように勧められています。それは、若い姉妹たちが、家庭では夫と子供を愛し、夫に従い、家庭を治めるようになるためです。

3.神のことばが悪くいわれないように
・・・それは、神のみことばが非難にさらされない〈けがされない、信用を失わない〉ためです。テトス 2:5(詳訳)

これらはすべて、神様の栄光のためです。私たちが、「神様はすばらしい。イエス様はすばらしい救い主。」と口先で言っても、聖書の教え、自分の信仰告白にふさわしく生活していないのであれば、神様のことば聖書が非難を受けることになります。クリスチャンにふさわしく、父母を敬い、神様の秩序を尊重しましょう。父母を侮ることは、神様とイエス様を侮ることです。

自分の父をののしり、自分の母をたたえない世代。自分をきよいと見るが、汚物を洗い落とさない世代。なんとも、その目が高ぶり、まぶたが上がっている世代。箴言 30:11~13
自分の父を嘲り、母への従順を蔑む目は、谷の烏にえぐり取られ、鷲の子に食われる。箴言 30:17

エペソ人への手紙は、パウロが西トルコ地域の諸教会宛てにローマの獄中(軟禁状態)から送ったものです。エペソ市は、ローマ・アジア州の政治、文化、商業、宗教の中心的な大都市であり、大女神アルテミス(ディアナ、ダイアナ)の神殿がありました(世界七不思議のひとつ)。
エペソではパウロの数年間の開拓伝道により、教会が立てられました。使徒の働き19章には、パウロの説教によってアルテミス像で商売をする銀細工人たちが暴動を起こしたことが記されています。パウロはエペソの兄弟姉妹に、人が作った偶像ではなく、創造主の愛と計画、救い主イエス様の十字架の死と復活、行いではなく信仰によって救われたこと、更に、救われた者の一致とそれぞれの生き方について教えています。
エペソの教会については、御霊からメッセージが与えられた7つの教会の1つとして黙示録2: 1~7にも登場します。

1.選ばれた者

すなわち神は、世界の基が据えられる前から、この方にあって私たちを選び、御前に聖なる、傷のない者にしようとされたのです。エペソ 1:4

エペソの兄弟姉妹は、宗教都市エペソの命なき神話の神々(偶像)ではなく、天地を造られた真の神様、救い主イエス様の十字架の死と復活、主の選びとあわれみとご計画によって救われました。

2.教会とは

教会はキリストのからだであり、すべてのものをすべてのもので満たす方が満ちておられるところです。エペソ 1:23

このキリストにあって、建物の全体が組み合わされて成長し、主にある聖なる宮となります。あなたがたも、このキリストにあって、ともに築き上げられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。エペソ 2:21,22

教会は建物でも人の寄り集まりでもありません。栄光のイエス様がおられるところであり、イエス様ご自身そのものです。更に、聖霊様に導かれて共に仕え合い、助け合って信仰を深め、聖化されていくところです。御霊の一致は、聖霊様の恵みですが、何もしなくて自動的になるものではありません。熱心に真剣に努力するように命じられています。

み霊〔がつくり出してくださった、み霊〕の調和〈一致〉を守る〈保つ〉ことに、熱心になり〈真剣に努力し〉なさい。エペソ 4:3(詳訳)

3.信仰による神様の計り知れない力
信仰によって、あなたがたの心のうちにキリストを住まわせてくださいますように。・・・人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように。・・・私たちが願うところ、思うところのすべてをはるかに超えて行うことのできる方に、・・・栄光が、世々限りなく、とこしえまでもありますように。アーメン。エペソ 3:17~21

私たちは、「信仰」という喜びと感謝に満ち溢れた不思議な歩みの中にあります。全き信頼をもってイエス様の支配を受け入れ、みことばの約束を疑わずに心から信じるならば、イエス様が心の主導権を握ってくださいます。主は、私たちの理解能力を超えたご自身の愛を理解させ、私たちの願望をはるかに超えた祝福を与えてくださいます。(ピリピ 4:6,7)


兄弟たちよ、もしだれかが何かのあやまち<罪>に陥ったならば、〈聖〉霊の人〈聖霊に応答し聖霊に支配されている人々〉であるあなたがたは、自分もまた誘惑されることのないように自分自身に注意深く目を留めることをやめないで、少しの優越感も持たないで〈柔和の限りを尽くして〉、その人を正しくする〈引き戻す〈元どおりにする〉ことをしなければなりません。ガラテヤ 6:1(詳訳)

ガラテヤ地方諸教会の兄弟姉妹たちは、ユダヤ主義者の偽りの教えによって、信仰ではなく律法遵守と自助努力による義を追及してしまいました。パウロは、その信仰姿勢の根本的な間違いを指摘し、律法・肉・罪の奴隷になるのではなく、キリストにある自由・信仰による義・信仰による律法の成就を教えました。

1.信仰による律法の成就
お互いの重荷〈煩わしい道徳上の失敗〉を負い合い〈耐え合い、にない合って〉、そのようにしてキリスト〈メシヤ〉の律法を成就しなさい〈完全に実行しなさい〉〈〔キリストの律法に対するあなたがたの服従において〕欠けているところを完全にしなさい〉。ガラテヤ 6:2(詳訳)

律法主義は、傲慢と軽蔑、自己満足と自己卑下しかもたらしません。律法を重んじているようで、実のところ律法に反し、律法の要求から遠ざかっています。相手の失敗を自分がへりくだって被ることが、律法を成就することです。

2.うわべだけの謙遜に潜む高慢
もしだれかが〔自分でそう思っているだけで、実は何も人にすぐれたところのない〕取るに足らない人間でありながら、自分をひとかどの人物〔として、自分は重要な人物であるから他人の重荷に手を貸すほどに低くなることはできない〕と思っているならば、その人は自分自身を欺いて〈だまして〈ごまかして〉いるのです。ガラテヤ 6:3(詳訳)

「私は人を助けるほど力のある者ではない、なぜ私があの人の重荷を担わなければならないのか」と、私たちは、人を生かし、人のために自分が損をすることを暗に嫌がるものです。しかし、それは神でありながら人となられて十字架の死にまで従われたイエス様のへりくだりとは真逆の態度です。

3.特に信仰の家族に
それですから、私たちは機会〈好機〉が与えられるときはいつでも、あらゆる人に対して〈道徳的に〉善い事をしましょう〔彼らに対して、ただ単に役にたつ、利益となる、だけでなく、その人々の魂のために良い事また益になる事を行いましょう〕。特に信仰の家の人々〈あなたがたといっしょに神の家族に属している人々、信者たち〉のために〔祝福となるように心がけなさい〕。ガラテヤ 6:10(詳訳)

思いやりの心と行為は、自分と相手の心身を健康にします。神様は、私たちと兄弟姉妹と隣人が健康で幸いであるように願っておられます。

あなたの手に善を行う力があるとき、受けるべき者にそれを控えてはならない。箴言 3:27



ガラテヤ人への手紙は、パウロおよび一緒にいる兄弟たちから、ガラテヤ地方(現在のトルコの中央部)の諸教会に宛てて、AD47年頃に書かれた手紙です。新約聖書の手紙の中で最初に書かれた手紙です。
これらの諸教会はパウロの開拓伝道によって立てられましたが、後に入り込んで来たユダヤ人教師たちの偽りの教えによって、危機的状況にありました。パウロはその信仰の危機を指摘し、自らの使徒職弁明、信仰義認の論証、キリストにある自由、御霊の実、キリストの律法について書き送りました。

1.パウロの弁明
人は律法を行うことによってではなく、ただイエス・キリストを信じることによって義と認められると知って、私たちもキリスト・イエスを信じました。律法を行うことによってではなく、キリストを信じることによって義と認められるためです。 ガラテヤ 2:16

入り込んで来たユダヤ人教師たちは、パウロが宣べ伝えた信仰による救いではなく、異邦人もかつてのユダヤ人のように割礼を受けて律法を守らなければ救われないと教えていました。パウロはそのような偽の福音を伝える者は呪われると厳しく戒めました(ガラテヤ 1:8,9)。さらに、かつて自分自身が律法に厳格なユダヤ主義者として教会を迫害するほどであったが、復活のイエス様にお会いして、行いではない信仰による本当の救いを受けたこと、使徒とされたことを証ししました(ガラテヤ 1:11~24)。

2.人はなぜ律法が好きなのか
人はなぜ一見厳しくて窮屈そうな律法主義に陥りやすいのでしょうか。
3つの理由が考えられます。

1)安易な道だから:外見的、形式的に守っていれば人からとやかく言われず、人目に良く見える。
2)人を裁きたいから:自分が外見上守っていれば優越感を持って人を見下すことができる。
3)神様に服従したくないから:心から神様に従っていなくても、従っているように見え、自分が律法を守っているというプライドを持って自己中心で生きられる。

3.肉によっては完成しない
あなたがたはそんなにもばかな〈分別のない〈愚かな〉のですか。〈聖〉霊によって〔新しい生活を霊的に〕始めたのに、今、肉に〔より頼んで〕完全に到達しようとするのですか。ガラテヤ 3:3 (詳訳)

パウロはガラテヤの兄弟姉妹に対して「愚かなガラテヤ人」(ガラテヤ3:1)と呼びかけます。あんなにはっきりと十字架上のイエス様を教え、自分たちもはっきりと救い主イエス様を霊の目で捉えて救いを確信したのに、なぜ、あっさりとイエス様を捨ててしまったのか、なぜ、聖霊様によって始まった信仰の歩みを自分の努力・肉の力で完成させようとしているのか。パウロは、救いとクリスチャン生活の基本中の基本である「信仰義認」を改めて教えています。

律法を行うことによっては神の前に義と認められないからです。律法を通して生じるのは罪の意識です。ローマ 3:20


あなたはどんな人に、どんなクリスチャンになりたいですか。その理想像に近づくために、何をしたら良いのでしょうか。そのヒントが今日の中心聖句Ⅱコリント13:5に秘められています。

1.変わらない聖書の教え
パウロが2度目の手紙を送った後も、コリント教会の深刻な問題は解決されずに残っていました。パウロは悔い改めなかった信者に対して、厳しい口調で警告し、訓戒を与えました(Ⅱコリント13:2,3)。聖書の教えは、当時も今も私たちに訴える神様の言葉です。たとえ2000年前のコリント教会の信者が抱えていた問題であっても、時間と民族を超え、すべての信者に訴える神様の言葉として私たちの生活に適用されます。

2.自分を吟味する
「信仰に生きているかどうか」―自分の現在の信仰を見直しましょう。あなたは自分の内に主イエス様がおられることを、自分で認めていますか。
聖霊様が私たちの内に住んでおられることにより、以前は感じなかった罪(悪い言葉や感情)に気づかせ、心に痛みをもたらします。これらのことに気づいて生きるなら、信仰に立っていると言えるでしょう。自分の感情に支配されたり、自分の考えを聖書の教えより優先したり、内住される聖霊様を忘れたり、無視したりして、信仰を持つ以前の生活に戻らないようにすることです。


1)他の信者と比較するのではなく、自分を調べる。(試し,吟味:現在形)
2)理想は高く、日々コツコツと・・・・。
3)弱そうでも強い自分になれる。

3.自分の弱さを認める
最も重要なことは、自分の人生は完璧ではなく、聖書の教えと自分の行動には開きがあることを素直に認めましょう。確かにそういう自分を見るとクリスチャンとして情けなくなって、がっかりしますが、私たちが主のもとに行くときまで、工事中の「頭を下げている人」の看板と同じです。 主が地上に「キリスト教会」を置いてくださったのは、キリストを頭として集うところに、励ましと慰めと助け合いがあるからです。ここにキリスト教会の素晴らしさがあります。次の2点が究極のテストです。


1)あなたは、失敗したりつまづいた時にイエス様に目を向けますか? 
2)あなたにとって、イエス様の死と復活は唯一の希望ですか?


あなたがたは、はたして信仰があるかどうか、自分を反省し、自分を吟味するがよい。それとも、イエス・キリストがあなたがたのうちにおられることを、悟らないのか。もし悟らなければ、あなたがたは、にせものとして見捨てられる。(Ⅱコリント 13:5 口語訳)

あなたがたは、信仰に立っているかどうか、自分自身をためし、また吟味しなさい。それとも、あなたがたのうちにはイエス・キリストがおられることを、自分で認めないのですか。ーあなたがたがそれに不適格であれば別です。ー(Ⅱコリント 13:5 新改訳第二版)

Examine yourselves to see whether you are in the faith; test yourselves.  Do you not realize that Christ Jesus is in you-unless, of course, you fail the test?  (ⅡCorinthians 13:5  NIV) (藤島昇兄)



パウロはコリント教会を最も心配してテモテを派遣し、第一の手紙と「悲しみの手紙」を送り、その後自身も訪問し、テトスをも派遣しました。
コリント人への手紙第二は、派遣されていたテトスがもたらした「問題一部解決」の報を受けて書き送ったものです。コリント教会の最悪の事態は避けられましたが、パウロは、偽教師によるパウロの使徒職と権限の否定に対する弁明、さらに、キリストにある苦しみと復活の希望についての教えを伝える必要がありました。

1.パウロの使徒職
私たちは自分自身を宣べ伝えているのではなく、主なるイエス・キリストを宣べ伝えています。私たち自身は、イエスのためにあなたがたに仕えるしもべなのです。Ⅱコリント 4:5

偽教師たちは兄弟姉妹を惑わして、パウロの使徒職やコリント教会に対する権限を否定し、自分たちの偽りの教えを持ち込んでいました。パウロはコリント教会を立て上げて仕えてきましたが、兄弟姉妹から否定されたため弁明します(Ⅱコリント12:15)。コリント教会は信仰と霊の指導者、神様の立てた秩序を否定し、混乱と不信仰に陥ってしまいました。

2.キリストにある苦難と復活の希望
主イエスをよみがえらせた方が、私たちをもイエスとともによみがえらせ、あなたがたと一緒に御前に立たせてくださることを知っているからです。・・・私たちの一時の軽い苦難は、それとは比べものにならないほど重い永遠の栄光を、私たちにもたらすのです。 Ⅱコリント 4:14~17

パウロは「一時の軽い苦難」と言っていますが、一連の伝道旅行では命の危険に何度も遭遇し、偽兄弟からの苦しみも受けました(Ⅱコリント11:23~28)。彼には主の慰め(Ⅱコリント1:5)と復活の希望と使命がありました。

「キリストのために喜んで苦難を受けようとの思いが、私たちのキリストに対する愛の純正さを証しするのである。」『日毎の聖書』ジョン・ストット著 P665

1)人々に感謝があふれ、神の栄光が現れるように。(Ⅱコリント4:15)
2)イエス様のために生きる。(Ⅱコリント 5:15)
3)和解のことばを委ねられた。(Ⅱコリント 5:19)

3.聖さを求める
愛する者たちよ、こういうわけでこの〔大きな〕約束が私たちのものなのですから、私たちは体と霊とをよごす〈汚す〉あらゆるものから自分自身をきよめて神をおそれて〈かしこんで〉〔私たちの〕聖別を完全なものとしようではありませんか。Ⅱコリント 7:1(詳訳)

パウロは、道徳的な面からではなく、神様からの大きな約束である「イエス様による罪からの救い、神様が父となり、私たちは息子、娘となった。」ことを前提として、汚れと決別して聖められる道を追求するように命じています。クリスチャンとこの世とは価値観は全然違いますが、私たちは、この世から孤立して禁欲・律法主義になるのではなく、汚れに染まらずに優しさと思いやりを持ち、福音を伝えるために相手の立場に立ち、尊敬して仕えることです。