生活を総点検して、どんな悪をも、すっかり取り除いてしまいなさい。そして、すばらしい神様のことばを受け入れて、謙虚に喜びなさい。このことばには、私たちの心をしっかりとらえ、たましいを救う力があるからです。また、聞くだけでなく、神様の教えに従うことも、忘れてはなりません。聞くだけは聞いて、その実、良心を偽った行動をとることなどありませんように。ヤコブ 1:21,22(LB訳)
今日は「実行する大切さ」がテーマです。聖書をたくさん読み、メッセージをたくさん聞き、心からみことばを信じ、強い信仰を持っていても、実行しなければ意味がありません。聖書は、行いによる義ではなく、行いによって自分が信じていることを現す大切さを述べています。
1.イエス様の勧め
三人の中でだれが、強盗に襲われた人の隣人になったと思いますか。」彼は言った。「その人にあわれみ深い行いをした人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って、同じようにしなさい。」 ルカ10:36,37
ただ、そばにいるから隣人なのではありません。相手のことを考え、相手と関わりを持って、相手を自分自身のように愛することで初めて隣人になります。イエス様は、自分の正しさを示そうとした律法の専門家に「あなたも行って、同じようにしなさい。」と命じられました。
2.行いのない信仰は無益
ああ、あなたは、なんと愚かであわれな人でしょう。神様の命令を実行しなければ、「信じる」ことなど、全くむだであることを、いったいいつになったら悟るのですか。良い行いをしてはじめて、信仰は本物と言えるのです。ヤコブ 2:20(LB訳)
みことばを聞いても実行しない人は、①自分の良心を偽った行動をとり、②自分が救いを受けたことや自分自身の現状を忘れ、③トゲのあることばを発するため、空しい信仰になってしまいます。さらに、愛すべき主にある兄弟姉妹に対しての行いのない口先だけの信仰は、何の役にも立たず、無益なものになっており、死んだ信仰と呼ばれます。
3.行う人は祝福される
罪から私たちを解放する神の御言葉を一心に見詰めて離れない人は、御言葉を聞いて忘れてしまう人ではなく、それに従い、それに生きる人である。そういう人は、その従順な生活によって、神に祝福される。ヤコブ 1:25(現代訳)
みことばを聞いて行う人は、①罪から解放する完全な律法から離れず、②困っている人の世話(必要なものを分け与え)をし、③この世の悪に染まらず、神様から祝福を受けます。完全な律法とは、神様が人の心の中に書き記してくださるものなので、強制や束縛を感じることがなく、神様への服従に真の自由があることを悟ることができます。(エレミヤ31:33,34、へブル10:16)
人が神に受け入れられるのは、具体的な行動によって示される信仰による・・・具体的な行動の無い信仰も、また死んだ信仰である。ヤコブ 2:24~26(現代訳)