「教会でのささげ物」(聖日礼拝メッセージ 2022/03/13)

 今日のテーマは、Ⅸ.教会生活「42.教会でのささげ物」です。教会でのささげ物は、神様のお働きである教会活動(礼拝、伝道)、教会の維持管理、宣教活動への支援などに用いられます。私たちのささげ物にはその人の心が現れます。神様へのささげ物について学びましょう。

1.旧約時代のささげ物
 旧約時代は、神様への感謝、神様との交わり、罪の贖いとして、ささげ物が律法により定められていました。ささげ物には、①全焼のささげ物 ②穀物のささげ物 ③交わりのいけにえ ④罪のきよめのささげ物 ⑤代償のささげ物などがあります(レビ記1~7章)。
 さらに、収穫の十分の一を神様への感謝とともに、祭司、レビ人、社会的弱者のためにささげる規定がありました。

 あなたは毎年、種を蒔いて畑から得るすべての収穫の十分の一を、必ず献げなければならない。申命記 14:22(箴言 3:9,10)

 ・・・十分の一と奉納物においてだ。・・・あなたがたは、わたしのものを盗んでいる。・・・十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしを試してみよ。マラキ 3:8~10

2.イエス様の教え
 イエスは献金箱の向かい側に座り、群衆がお金を献金箱へ投げ入れる様子を見ておられた。・・・そこに一人の貧しいやもめが来て、レプタ銅貨二枚を投げ入れた。・・・この人は乏しい中から、持っているすべてを、生きる手立てのすべてを投げ入れたのですから。 マルコ12:41~44

 イエス様は献金箱の近くに座って献金の様子を見ておられました。ちょっと趣味が悪い気もしますが、一人ひとりの心の様子をご覧になっていたのかもしれません。貧しいやもめが投げ入れたのは、レプタ銅貨2枚、約200円ですが、「だれよりも多く投げ入れた」とほめられました。

 イエスは言われた。「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい。」彼らはイエスのことばに驚嘆した。マルコ12:17

3.本当のささげもの
 わずかだけ蒔く者はわずかだけ刈り入れ、豊かに蒔く者は豊かに刈り入れます。一人ひとり、いやいやながらでなく、しいられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は、喜んで与える人を愛してくださるのです。Ⅱコリント 9:6,7

 私たちは、自分の生命や生活の糧を何一つ造り出し、確保し、維持することができません。すべての恵み、尊い救い、日々の守りと助けは、神様からすべてただでいただいています。
 私たちはいつも、教会の兄弟姉妹、家族や友人、職場や周囲の人々、社会に対して感謝を表します。そうであればなおのこと、神様を最優先にして最良のものを心からおささげ(お返し)しましょう。

 自分のために、天に、すり切れない財布を作り、尽きることのない宝を積みなさい。・・・あなたがたの宝のあるところ、そこにあなたがたの心もあるからです。                  ルカ 12:33,34

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