今日は新約聖書の出来事12「イエスの招き」です。イエス様は元気な人、自信満々な人、知識人、悟りを開いた人ではなく、自分の弱さに失望し、失敗を重ね、負いきれない重荷に押しつぶされそうになって、疲れ果てている人を招いて休ませてくださいます。
1.重荷を負っている人
苦労しまた重荷を負っている〈重すぎる荷を背負っている〉者はみな、私のところに来なさい。そうしたら私はあなたたちを休ませる。〈あなたたちの魂を安らかにする《助け出す《元気づける》〉マタイ11:28(詳訳)
すべての人は重荷を負っています。重荷を負っていない人はいないでしょう。イエス様は重すぎる荷を負っている人を招いておられます。それは同情するためではなく、その重荷から解放するためです。重すぎる荷を負うとは次のようなケースがあります。
①本当は重荷ではないが、自分が重荷にしてしまっている場合:取り越し苦労やどうすることもできないことで悩む。
②本当はそこまで重くはないが、弱っていて耐力がない場合:気力、体力、精神的に弱り果てていて小さくて軽いことも重く感じる。
③解決があるのに偽りのことばを信じてしまって失望している場合:否定的なことば(価値がない、愛されていない、もっとがんばらないと受け入れられない、解決がないなど)を受け入れている。
④罪に悩まされている場合:神様や人に対する罪に苦しむ。
2.私から学びなさい
あなたたちは私のくびきを負って、私から学びなさい。私は優しく〈柔和で〉心のへりくだった〈自分を低くする〉者だからである。そうすれば、あなたたちは魂に安息〈助け、安らぎと更新と休養と祝福された静けさ〉を見出すのである。マタイ 11:29(詳訳)
イエス様は、私たちがいっしょにくびきを負うことによって、①ご自身の生き方、②ご自身が与える救い、③ご自身が与える教えをしっかり学んで、助けと平安と休養、救いを得るように勧めておられます。
3.イエス様の軽いくびき
なぜなら、私のくびきは益となる〈役に立つ、有用な〉ものであり〈粗らい、堅い、とがった、または締めつけるようなものでなく、快適で、ゆるやかで、気持ちのよいものであり〉、私の荷は軽い〈負いやすい〉からである」。マタイ 11:30(詳訳)
イエス様はご自分のくびきは快適で、荷は軽いとおっしゃいますが、私たちは大変ではないだろうかと心配します。私たちの心が自分自身や罪を優先するのではなく、父なる神様のみこころを第一にしようとイエス様と全く同じ心になるのであれば、イエス様とのくびきは軽く、苦しく大変であっても快適なものとなります。
「彼のうちにとどまっている」と言う者は、〈個人的な義務として〉彼が歩まれた〈みずからふるまわれた〉同じ道を歩む〈同じしかたでふるまう〉べきです。Ⅰヨハネ 2:6(詳訳)