しかし、キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。
したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。
また、このようにきよく、悪も汚れもなく、罪人から離れ、また、天よりも高くされた大祭司こそ、私たちにとってまさに必要な方です。 ヘブル 7:24~26
ユダヤ人クリスチャンには、慣れ親しんだユダヤ教に戻ろうとする誘惑がありました。ユダヤ人は、神殿をとても重要なものと考え、そこで行われる宗教儀式、動物の犠牲、代々受け継がれてきた神殿に仕える大祭司職などを重んじていました。
彼らは、救い主イエス様ご自身や犠牲となって下さったイエス様に対する信仰よりも、儀式を守ることが大切になっていました。そのため、信仰年数の割には初歩の教えに留まり続け(5:11~6:2)、肉的な歩みになって恵みから落ちそうな、危なかしいクリスチャン生活でした(3:12~4:2,4:11,6:4~8)。
著者はイエス様の優位性を大祭司と比較して説明します。
・人間の大祭司
①自分の罪のためのささげ物必要。5:3
②死によって代々受け継がれる。 7:23
③毎日のいけにえ必要。 7:27
・イエス様
①すべての人々を救うことができる。5:9,7:25
②永遠に存在される。 7:24
③十字架による完全な救い。 7:27,28
人はみことばから離れ、信仰的なことや霊的なことを軽んじるようになると、宗教的・律法的・自己満足信仰に陥り、心が頑なになってみことばの真理を悟れなくなってしまいます(5:11)。みことばとみことばの約束をしっかり持ち続けましょう。
そこで、私たちは、あなたがたひとりひとりが、同じ熱心さを示して、最後まで、私たちの希望について十分な確信を持ち続けてくれるように切望します。 ヘブル 6:11