「主を信じ切った者ハンナの祈り」(礼拝メッセージ2014/11/30)

ハンナは言った。「おお、祭司さま。あなたは生きておられます。祭司さま。私はかつて、ここのあなたのそばに立って、主に祈った女でございます。この子のために、私は祈ったのです。主は私がお願いしたとおり、私の願いをかなえてくださいました。それで私もまた、この子を主にお渡しいたします。この子は一生涯、主に渡されたものです。」こうして彼らはそこで主を礼拝した。                  Ⅰサムエル 1:26~28

ハンナは、主から男の子サムエルを授かり、サムエルが乳離れした時、主へのささげものを携えて主を礼拝するために主の宮に行きました。そして、誓願の通りに息子サムエルの生涯を主にお渡ししました。(母ハンナの辛さ・・・。)

ハンナは祈って言った。「私の心は主を誇り、私の角は主によって高く上がります。私の口は敵に向かって大きく開きます。私はあなたの救いを喜ぶからです。主のように聖なる方はありません。あなたに並ぶ者はないからです。私たちの神のような岩はありません。高ぶって、多くを語ってはなりません。横柄なことばを口から出してはなりません。まことに主は、すべてを知る神。そのみわざは確かです。  Ⅰサムエル 2: 1~3

ハンナは、苦しい辛い経験から主に対する信仰と主ご自身の素晴らしさを知り、心から主をほめたたえて感謝しています。

①主は、小さき者の祈りを聞いて、応えて下さった。
②主は、聖なる唯一絶対者。
③主は、高ぶる者を低くし、ハンナの運命を変えて下さった。
④主は、天地の主。主権を持っておられる。
⑤主は、聖徒たち、王、王国をも同様に祝福して下さる。

マリヤもルカの福音書1:46~55において、同様な祈りをささげています。主は、みこころのままに、苦しみの中から信仰を引き出して下さいます。「主によって語られたことは必ず実現すると信じ切った人は、幸いです(ルカ1:45)」。
しかし、同じ苦しみの中で、主に不信を抱き、みことばを投げ捨て、自分の思いに従った者は、「高ぶって、横柄なことばを口にする者」と同じです。主から幸いをいただくことはできません。かえって、災いを刈り取ることになります。

(ヤコブ4:1~10、1:2~8、Ⅰペテロ5:5)

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