「イエス様のいつくしみときびしさ」(礼拝メッセージ2015/11/22)

そのとおりです。彼らは不信仰によって折られ、あなたは信仰によって立っています。高ぶらないで、かえって恐れなさい。もし神が台木の枝を惜しまれなかったとすれば、あなたをも惜しまれないでしょう。見てごらんなさい。神のいつくしみときびしさを。倒れた者の上にあるのは、きびしさです。あなたの上にあるのは、神のいつくしみです。ただし、あなたがそのいつくしみの中にとどまっていればであって、そうでなければ、あなたも切り落とされるのです。         ローマ 11:20~22

神様は愛であり、イエス様も私たちを愛して身代りとなって下さった愛のお方です。神様の愛は大きくて高くて深くて、計り知ることはできません。しかし、愛は放縦を許しません。

1)イエス様の愛といつくしみ

キリストは、今の悪の世界から私たちを救い出そうとして、私たちの罪のためにご自身をお捨てになりました。私たちの神であり父である方のみこころによったのです。ガラテヤ 1: 4

イエス様はご自身の命を含め、全身全霊、全力で私たちを救って下さいました。今現在も、私たちのために永遠の住まいを備え、執り成しをして下さっています。

2)イエス様の厳しさ

というのは、ある人々が、ひそかに忍び込んで来たからです。彼らは、このようなさばきに会うと昔から前もってしるされている人々で、不敬虔な者であり、私たちの神の恵みを放縦に変えて、私たちの唯一の支配者であり主であるイエス・キリストを否定する人たちです。 ユダ 4

イエス様は愛の方ですが、その愛を放縦に変えることに対しては戦うように言われます。(マタイ23:25、ローマ6章、Ⅰコリント6章)

3)イエス様の厳しさは愛

私たちが不信仰になったり、イエス様・みことば・教会・兄弟姉妹に対していい加減になることを戒めておられます。なぜなら、私たちが信仰の破船に遭い、大損害を被って不幸になるからです。イエス様は私たちをねたむほど愛しておられます。

ある人たちは、正しい良心を捨てて、信仰の破船に会いました。その中には、ヒメナオとアレキサンデルがいます。私は、彼らをサタンに引き渡しました。それは、神をけがしてはならないことを、彼らに学ばせるためです。Ⅰテモテ 1:19,20

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