「真実な愛」(礼拝メッセージ2016/12/11)

人間は「良くなるために叱られることより、ダメになってもほめられる方を選ぶ」者だそうです。それだけ自我が強く、自分や自分の考えが認められることだけに関心があります。みことばからはずれ、主のみこころに沿っていなくても、横車を押してでも自分の思いが通ればそれで良いと思うのです。
イエス様は、表面上の愛やみことばからはずれたやさしいことばより、真実な厳しいことばを受け入れるように言われます。

あからさまに責めるのは、ひそかに愛するのにまさる。憎む者が口づけしてもてなすよりは、愛する者が傷つけるほうが真実である。箴言 27: 5,6

1)イエス様の経験
イエス様は親愛を示す口づけでイスカリオテのユダに裏切られました。

彼はすぐにイエスに近づき、「先生。お元気で。」と言って、口づけした。マタイ 26:49

2)私たちに真実な愛を嫌がる心はないでしょうか。

正しい者が愛情をもって私を打ち、私を責めますように。それは頭にそそがれる油です。私の頭がそれを拒まないようにしてください。  詩篇 141: 5

あざける者を責めるな。おそらく、彼はあなたを憎むだろう。知恵のある者を責めよ。そうすれば、彼はあなたを愛するだろう。 箴言 9: 8

3)真実な愛を示す者は恵みを得る。

兄弟たちよ。もしだれかがあやまちに陥ったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正してあげなさい。また、自分自身も誘惑に陥らないように気をつけなさい。 ガラテヤ 6: 1(箴言 28:23)

イエス様はみことば、祈り、聖霊様、兄弟姉妹を通して、私たちの行うべきこと、進むべき道を示して下さいます。自分にとって耳障りの良いことばが受け入れやすいと思っても、厳しいことばが受け入れ難いと思っても、真実な愛に裏打ちされた言葉を受け入れましょう。
金持ちの青年はイエス様から指摘されたものを捨てきれず、イエス様に従いませんでした。あなたが捨てられないものは何ですか。(マタイ19:16~22)

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