私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。 Ⅱコリント 4:18
私たちは、自然現象に関する自然法則、人間行動に関する道徳法則などの中で生きています。しかし、神様も人間も霊的な存在ですから、霊の法則がより大きな領域を占めていると言えます。目に見えないために軽んじられがちですが、目に見えないもの、霊的真理こそより重要です。
1.人に仕える者は幸い
食卓に着く人と給仕する者と、どちらが偉いでしょう。むろん、食卓に着く人でしょう。しかしわたしは、あなたがたのうちにあって給仕する者のようにしています。 ルカ 22:27
この世の肉に属する価値観は、自分の満足が中心です。自分が苦労せず、利益を得ることが幸いだと信じて、そのように行動します。しかし、霊の世界はその真逆だと教えています。
自分が信じ込んでいる肉の価値観を転換する必要があります。
2.イエス様のための苦しみは喜び
むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは、キリストの栄光が現われるときにも、喜びおどる者となるためです。もしキリストの名のために非難を受けるなら、あなたがたは幸いです。なぜなら、栄光の御霊、すなわち神の御霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。 Ⅰペテロ 4:13,14
最終的にはみことばだけが滅びずに残り、イエス様がすべてを正しく裁かれます。最後に喜び踊る者となるためには、みことばを信じて従い続けることです。
3.信仰によって歩む者は幸い
確かに、私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます。 Ⅱコリント 5: 7
そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。ローマ8:23
主は真実なお方であり、すべてのすべてです。目に見えるところに一喜一憂するのではなく、このお方を信じ、忍耐を持って熱心に待ち(ローマ8:25)、みことばに根ざし、確信を持って歩む者が幸いです。