神に近づく者(2010/11/28礼拝メッセージ)

 豚を飼っていた者たちは逃げ出して、町や村々でこの事を告げ知らせた。人々は何事が起こったのかと見にやって来た。
 そして、イエスのところに来て、悪霊につかれていた人、すなわちレギオンを宿していた人が、着物を着て、正気に返ってすわっているのを見て、恐ろしくなった。
 見ていた人たちが、悪霊につかれていた人に起こったことや、豚のことを、つぶさに彼らに話して聞かせた。
 すると、彼らはイエスに、この地方から離れてくださるよう願った。                            
                                     マルコ 5:14~17

 イエス様は、多くの人々の近くにいて下さいました。イエス様のほうから近づいて来て下さったのです。人々はイエス様のすばらしさに感動し、惹きつけられていつも付いて歩いていました。しかし、ゲラサの人々のように自分の都合(経済的理由)によってイエス様を自分のもとから追い出してしまいました。
 ゲラサの人々は悪霊に憑かれた人を何とか社会復帰させようと努力しましたが叶いませんでした。家族も親戚も地域の人々もとうとうあきらめてしまい、自傷行為をする彼を避け、恐れながら暮らしていました。
 その彼がイエス様によって悪霊から開放されて正気に戻った(社会生活が可能となった)のに、そのことよりも2千頭の豚の損失のほうが重大事件だったのです。
 私たちもイエス様のすばらしさを知り、イエス様からかけがえのない救いと永遠の命をいただきました。しかし、自分の都合(経済的理由、自己中心、自己実現、自分の計画、プライド保持)によってイエス様を心の中から、生活の中心から追い出していないでしょうか。
 
 私たちはこのキリストにあり、キリストを信じる信仰によって大胆に確信をもって神に近づくことができるのです。ですから、私があなたがたのために受けている苦難のゆえに落胆することのないようお願いします。私の受けている苦しみは、そのまま、あなたがたの光栄なのです。                     エペソ 3:12,13

 私たちは、信仰によりイエス様の仲介によって神様に近づくことができます。それは、喜びにあふれたすばらしい経験であり、生き方です。しかし、そこには苦難が伴い、落胆することも多々あります。
 忍耐して主の働きを信じて待ちましょう。主は今も変わらずに働いておられます。
 主はご自身に近づく者によってご自身の栄光を現して下さいます。なんという光栄でしょうか。イエス様は私たちに伴って下さって、私たちを通してご自身のすばらしさを現してくださるのです。畏れ多いことです。それほどイエス様は私たちを愛し信頼していてくださっています。私たちの義ではなく、信仰のゆえに受け入れてくださるのです。

 主が仰せになったことは、こういうことだ。『わたしに近づく者によって、わたしは自分の聖を現わし、すべての民の前でわたしは自分の栄光を現わす。』  レビ記 10: 3


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