エゼキエルは、BC597年に南王国ユダのエホヤキン王たちと共に(1万人以上)バビロンへ捕虜として強制連行されました。その時彼は20代半ばでしたが5年後、神様によって預言者として召命を受けました。彼の預言には人間世界の五感を超えた威光と尊厳に満ちた全知全能なる神様の現われ、不思議な幻、たとえ話などがあります。その預言を通してユダの罪に対する懲らしめとしての捕囚、イスラエル回復、真の礼拝の確立の希望が告げられています。この預言は「黙示文学」と呼ばれ、エレミヤ書、ダニエル書、ヨハネの黙示録とも深く関連しています。
1.わたしが主であることを知る
エゼキエル書で象徴的なことば「彼らは、わたしが主であることを知る」は62回登場しています。神様は、ご自身の超自然的な力を用いて、ご自身の存在およびさばきと救いのメッセージを示されました。
1)預言(エルサレム崩壊、近隣諸国へのさばき、イスラエル回復)
2)神様の幻(天使的な生き物ケルビム、枯れた骨、神殿の幻など)
神である主はこれらの骨にこう言う。見よ。わたしがおまえたちに息を吹き入れるので、おまえたちは生き返る。 エゼキエル 37:5(37:1~14)
3)たとえ話(ぶどうの木、大鷲、オホラとオホリバ、煮えたぎる釜)
2.幻に拠り頼むな
私たちは神様を知り尽くすことはできません。神様は現在も不思議な方法で私たちに臨んで下さるかもしれません。しかし、不思議な霊的体験は吟味する必要があります(Ⅰヨハネ4:1)。不思議な霊的体験と信仰深さとは関係がなく、体験した者はなお一層へりくだる必要があります。
彼らはむなしい幻を見、まやかしの占いをして、「主のことば」などと言っている。主が彼らを遣わしたのではないのに。 エゼキエル 13:6
自己卑下や御使い礼拝を喜んでいる者が、あなたがたを断罪することがあってはなりません。彼らは自分が見た幻に拠り頼み、肉の思いによっていたずらに思い上がって、かしらにしっかり結びつくことをしません。 コロサイ 2:18,19(,1:18)
3.悔い改めによる回復
神様はあわれみによって、悔い改めたイスラエルを回復させて下さいました。神様はひとりも滅ぶことを望まず、愛を持ってイエス様による救いを自ら完成させ、すべての人にみことば(福音)と伝える者を与え、すべての人が救われることを願っておられます(Ⅰテモテ 2:4)。
クリスチャンもみことばに従わずに不信仰になって、霊的に不健全になってはいけません。主の望みは以下のことです。
①すべての人が福音を信じて救われる。(悔い改めと信仰と感謝)
②クリスチャンが感謝と喜びで生きる。(信仰によって生きる)
③クリスチャンが見張りとしての使命を果たす。(愛による福音伝道)
・・・わたしは決して悪しき者の死を喜ばない。悪しき者がその道から立ち返り、生きることを喜ぶ。立ち返れ。悪の道から立ち返れ。イスラエルの家よ。なぜ、あなたがたは死のうとするのか。エゼキエル 33:11