エルカナには、ふたりの妻があった。ひとりの妻の名はハンナ、もうひとりの妻の名はペニンナと言った。ペニンナには子どもがあったが、ハンナには子どもがなかった。
この人は自分の町から毎年シロに上って、万軍の主を礼拝し、いけにえをささげていた。そこにはエリのふたりの息子、主の祭司ホフニとピネハスがいた。
その日になると、エルカナはいけにえをささげ、妻のペニンナ、彼女のすべての息子、娘たちに、それぞれの受ける分を与えた。また、ハンナに、ひとりの人の受ける分を与えていた。彼はハンナを愛していたが、主が彼女の胎を閉じておられたからである。
彼女を憎むペニンナは、主がハンナの胎を閉じておられるというので、ハンナが気をもんでいるのに、彼女をひどくいらだたせるようにした。
毎年、このようにして、彼女が主の宮に上って行くたびに、ペニンナは彼女をいらだたせた。そのためハンナは泣いて、食事をしようともしなかった。Ⅰサムエル 1: 2~7
ハンナの心は痛んでいた。彼女は主に祈って、激しく泣いた。 Ⅰサムエル 1: 10
ハンナをこれほどまで苦しめ、悲しませていた最大の原因は何だったでしょうか。それは、子どもがなかったことです。
聖書には「主が彼女の胎を閉じておられた」と記されています。一見、神様がいじわるをしているようにも思えます。
しかし、神様はハンナの信仰と献身を引き出されました。ハンナはいらだつような状況でも、心を注ぎ出して神様に祈り求めました。そして、自分自身をささげるよりも大変な「わが子をささげる」献身を決意しました。神様を求め、すべてをささげきったハンナは、周りの状況や人のいやがらせも気にならなくなり、神様から来る喜びと平安に満たされました。
そして誓願を立てて言った。「万軍の主よ。もし、あなたが、はしための悩みを顧みて、私を心に留め、このはしためを忘れず、このはしために男の子を授けてくださいますなら、私はその子の一生を主におささげします。そして、その子の頭に、かみそりを当てません。」 Ⅰサムエル 1: 11
ハンナの信仰によって産まれたサムエルは、最後の士師また預言者として主の働きをしました。サウル王とダビデ王に油注ぎをしました。イスラエルの霊的な指導者として国を導きました。
私たちも、辛いことや悲しいこと、厳しい境遇や出来事に遭遇します。それは、主が私たちの信仰と献身を引き出そうとしておられる時です。境遇や状況、周囲の人々を嫌がり、不平不満を言ってなげやりになって不信仰の道に進むのではなく、イエス様のもとに走り寄りましょう。信仰を働かせる大きなチャンスの時です。