今日は「イエス様の行い」を見ていきます。イエス様は、目に見えない神様を見えるかたちで示すためにこの地に現れてくださったお方です。イエス様の言動を見ると神様がどのようなお方か、どのようなことを考え、私たちにどのような思いを持っておられるのかが分かります。
イエス様は33年の生涯でどのように私たちに神様を示してくださったのでしょうか。
1.妥協しないイエス様
細縄でむちを作って、羊も牛もみな宮から追い出し、両替人の金を散らして、その台を倒し、・・・「それをここから持って行け。わたしの父の家を商売の家にしてはならない。」ヨハネ2:15,16
・・・ヘロデがあなたを殺そうとしています。」イエスは彼らに言われた。「行って、あの狐にこう言いなさい。ルカ 13:31,32
イエス様は、時には思いがけなく乱暴な行動や言葉遣いをされました。偽善や不正に対して決して妥協はしませんでした。偽善者や不正な為政者を戒め、社会的弱者や病気の者、罪を悔いる者、救いを求める者、神様を求める者、心の弱い者を助け受け入れられました。
2.慌てないイエス様
・・・波が舟の中にまで入り、舟は水でいっぱいになった。ところがイエスは、船尾で枕をして眠っておられた。マルコ 4:37,38(14:43~50)
聖書にはイエス様が慌てたり、焦ったり、恐れおののいたり、落胆したりしたようなことは一切記されていません。イエス様は父なる神様に全幅の信頼を寄せ、聖霊様に満たされて導かれていたので慌てる必要がありませんでした。父なる神様のみこころを行われる完全なる信仰者の姿です。
わたしが天から下って来たのは、自分の思いを行うためではなく、わたしを遣わされた方のみこころを行うためです。ヨハネ 6:38
3.しるしとしての奇蹟
イエスはこれを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行い、ご自分の栄光を現わされた。それで、弟子たちはイエスを信じた。ヨハネ 2:11
イエス様は、ご自身が神様の下から来た救い主であることをしるしとしての奇跡によって示されました。
4.仕えられたイエス様
キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。ピリピ 2:6~8
イエス様は徹底的にご自分を低くされ、いのちを投げうって私たちを救ってくださいました。イエス様は私たちに模範を示されました。
人の子も、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのです。マルコ 10:45