今日は新約聖書の奇跡7「悪霊につかれた男のいやし」です。イエス様はガリラヤ湖の向こう岸(東岸、デカポリス地方)ゲラサ人の地に着いた時に、大勢の悪霊に憑りつかれて裸で墓場に住んでいた凶暴な男たちに迎えられました。イエス様は彼らを悪霊から解放し、それを見た人々はイエス様の救いを証ししました。
イエス様の救いの御業、周囲の人々の反応、私たちの信仰について考えてみましょう。
1.悪霊からの救い
イエスが汚れた霊に、この人から出て行くように命じられたからであった。・・・悪霊どもはその人から出て、豚に入った。・・・イエスの足もとに、悪霊の去った男が服を着て、正気に返って座っているのを見た。それで恐ろしくなった。ルカ 8:29~35
イエス様は、悪霊に憑りつかれて正常な社会生活を送れなくなっていた二人の男(マタイ 8:28)をかわいそうに思って救われました。イエス様は霊的な面を含め、すべてのことについて権威を持っておられます(マタイ 28:18)。悪霊は行き場を失い豚に乗り移りましたが滅ぼされました。
2.ノンクリスチャンの証し
見ていた人たちは、悪霊につかれていた人がどのように救われたか、人々に知らせた。 ルカ 8:36
悪霊に憑りつかれていた男たちの癒しと悪霊の滅びを見て、恐ろしくなった人たちはイエス様を受け入れず、この地方から立ち去るように願いました。一方、ほかの人たちはイエス様の救いの御業を証しし始めました。
ノンクリスチャンがクリスチャンになった人の変化を見て証ししてくれるとはなんとすばらしいことでしょうか。
自分の口でではなく、ほかの者にあなたをほめさせよ。自分の唇でではなく、よその人によって。箴言 27:2
3.誇る者は主を誇れ
「誇る者は主を誇れ」自分自身を推薦する人ではなく、主に推薦される人こそ本物です。Ⅱコリント 10:17,18
ですから、主が来られるまでは、何についても先走ってさばいてはいけません。主は、闇に隠れたことも明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのときに、神からそれぞれの人に賞賛が与えられるのです。Ⅰコリント 4:5
しかし、自分自身については、弱さ以外は誇りません。Ⅱコリント 12:5
私たちは神様から計り知れない一方的なあわれみを受けて救われました。自分が立派だから救われた訳ではありません。クリスチャンとして生かされていることも主のあわれみです。天から与えられるのでなければ何一つ良いものを受けることはできません(ヨハネ 3:27)。驕り高ぶり先走ってはいけません。へりくだって兄弟姉妹を愛することがイエス様の存在を証しすることになります(ヨハネ 13:34,35)。