今日は新約聖書の出来事17「ゲッセマネの祈り」です。今週は受難週で、棕梠の主日から復活日の前日の土曜日までを指します。
受難週の出来事〔日曜日〕棕梠の主日、エルサレム入城、〔月曜日〕宮きよめ、〔火曜日〕宮での説教、〔水曜日〕べタニアでの香油、〔木曜日〕最後の晩餐、洗足、ゲッセマネの祈り、ユダの裏切り、捕縛、〔金曜日〕受難日、裁判、十字架刑、埋葬、〔土曜日〕安息日、墓の封印、警備、〔日曜日〕復活(イースター)
イエス様は、ゲッセマネの園へ行かれ苦しみもだえながら祈られました。
1.ゲッセマネの園へ
それからイエスは出て行き、いつものようにオリーブ山に行かれた。弟子たちもイエスに従った。いつもの場所に来ると、イエスは彼らに、「誘惑に陥らないように祈っていなさい」と言われた。ルカ 22:39,40
イエス様と弟子たちは、いつもオリーブ山のゲッセマネの園を祈りの場所としていたようです。イエス様を裏切ったイスカリオテのユダは、イエス様を律法学者たちに引き渡すために彼らのところに向かっていました。残った11人の弟子たちもイエス様を見捨て、ペテロは三度もイエス様を否むと告げられていました。それでも一行は祈りのために出かけました。
2.ゲッセマネの祈り
「父よ、みこころなら、この杯をわたしから取り去ってください。しかし、わたしの願いではなく、みこころがなりますように。」〔すると、御使いが天から現れて、イエスを力づけた。イエスは苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。〕ルカ 22:42~44
イエス様は、人々の罪を背負い父なる神様から見捨てられる十字架の苦しみを、神としての力によって軽減し回避する方法を取らず、人としての弱さがある苦難のしもべとして真正面から受ける道を選ばれました。自分が痛まず、苦しまず、楽する道を放棄し、ただ、父なる神様のみこころである私たちの救いが成就する道を求められました。
キリストは御子であられるのに、お受けになった様々な苦しみによって従順を学び、完全な者とされ、ご自分に従うすべての人にとって永遠の救いの源となり、へブル 5:8,9(へブル 2:17,18、4:15)
3.見捨てた弟子たち
このすべてのことが起こったのは、預言者たちの書が成就するためです。」そのとき、弟子たちはみなイエスを見捨てて逃げてしまった。マタイ 26:56
11人の弟子たちは全員、死んでもイエス様に従い通すと宣言しましたが、いざイエス様が捕らえられるとあっさりと全員イエス様を見捨てて逃げてしまいました。イエス様が引用されたゼカリヤ書13:7の通りでした(詩篇88:8,18)。
弟子たちの熱心は信仰と祈りによるのではなく、人間的な熱心でした。イエス様は「誘惑(試練)に陥らないように祈りなさい」と言われました。自分の弱さを自覚し、祈りによって主の助けをいただき、自分の利益ではなく、苦難がわかっていても主のみこころが成るように祈りましょう。主は弱さのうちに働かれます。(Ⅱコリント 12:9,10、13:4)