馬や騾馬のようであってはならない(礼拝メッセージ2012/07/08)

 あなたがたは、悟りのない馬や騾馬のようであってはならない。それらは、くつわや手綱の馬具で押えなければ、あなたに近づかない。               詩篇 32: 9

 主イエス様は言われます。「悟りのない者であってはならない」と。力ずくで導かなければならない者ではいけません。しかし、私たちは自分が思っているよりも強情で頑固な者です。なかなか自分の考えや主張を変えたがらない者です。

 人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれが、それを知ることができよう。      エレミヤ 17: 9

 正しい者が愛情をもって私を打ち、私を責めますように。それは頭にそそがれる油です。私の頭がそれを拒まないようにしてください。彼らが悪行を重ねても、なおも私は祈ります。      詩篇 141: 5

 隣人が、愛を持って正しいことを助言してくれる場合があります。その時はそれを素直に受け入れて正す必要があります。クリスチャンだからといって無理に自分を正当化することは正しいことではありません。まして、主イエス様からみことばを通して矯正されればなおさらのことです。

 主よ。私の口に見張りを置き、私のくちびるの戸を守ってください。私の心を悪いことに向けさせず、不法を行なう者どもとともに、悪い行ないに携わらないようにしてください。私が彼らのうまい物を食べないようにしてください。詩篇141:3~4           (詩篇 119:71、詩篇 23: 4)

 しかし、私たちがさばかれるのは、主によって懲らしめられるのであって、それは、私たちが、この世とともに罪に定められることのないためです。   Ⅰコリント 11:32

 上記のみことばは、聖餐式の大切さを述べています。聖餐にあずかることは、イエス様の祝福にあずかることです。しかし、これを軽んじることは神様のさばきを招くことです。
 主は、みことばによって私たちに訓戒を与えています。私たちがみことばを真実・現実のものとして信じるように。

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