「求めるべきものは?肉or霊」(礼拝メッセージ2012/10/07)

 ああ。助けを求めてエジプトに下る者たち。彼らは馬にたより、多数の戦車と、非常に強い騎兵隊とに拠り頼み、イスラエルの聖なる方に目を向けず、主を求めない。  しかし主は、知恵ある方、わざわいをもたらし、みことばを取り消さない。主は、悪を行なう者の家と、不法を行なう者を助ける者とを攻めたてられる。  エジプト人は人間であって神ではなく、彼らの馬も、肉であって霊ではない。主が御手を伸ばすと、助ける者はつまずき、助けられる者は倒れて、みな共に滅び果てる。 イザヤ 31:1~3  

 人は目に見える力についつい頼ってしまい、イスラエルのように神様の指示を仰がず、神様を信頼もせずにエジプト軍と同盟を結んでしまいます。神様は、イスラエルに対しても、エジプトに対しても徹底的に戦うと言われます。 旧約聖書を見ると、あらゆる戦いが軍事力ではなく、霊的な戦いであることがわかります(イザヤ 2:22,37:36,Ⅰサムエル 17:47)。新約聖書においても然りです。   

 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。   エペソ6:12

 私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。  なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。ガラテヤ 5:16,17  

 イエス様は、私たちの生活上の必要を全てご存知です(マタイ6:32)。その上で、人が求めるべきものを教えて下さっています。人は、人を拠り所とするのではなく、全てを与えて喜ばせて下さるイエス様ご自身を求めるべきです。肉的なことより霊的なことを大切にして求め続けましょう。テレビを見ることより主の集会に集いましょう。物質主義、合理主義、快楽主義のこの世の価値観に惑わされないように。天に宝を積むことを心がけましょう。  

 こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右に座を占めておられます。 コロサイ 3: 1

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