「喜びの信仰」(礼拝メッセージ2012/10/21)

 いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
 御霊を消してはなりません。預言をないがしろにしてはいけません。すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。          Ⅰテサロニケ 5: 16~21

 私たち「いつも喜んでいなさい。祈りなさい。感謝しなさい。」ということばによって、普段の生活で、○○せねばならないという強迫観念に捕らわれて、自分はいつも喜べないダメなクリスチャンだと落ち込むことがあります。 また、「いつもいつも順調で良いことばかりではない。毎日毎日うれしいことばかりあるわけではない」と反発する思いも沸いてきます。
 しかし、みことばは、良いことやうれしいことが毎日やってくるから「喜びなさい」と言っているのでしょうか。かえって、イエス様に忠実に従おうとすれば苦しみがやってくるとあります。
 
  愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく、むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは、キリストの栄光が現われるときにも、喜びおどる者となるためです。 Ⅰペテロ 4:12,13

 わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。わたしは、平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです。  マタイ 10:34

 イエス様ご自身、あなたがクリスチャンになると、家庭に平和より争いを巻き起こすと言われます。こんな中で喜んでいられるでしょうか。ですから、みことばが言う「喜び」とは、表面的なことではなく、もっと根本的なことであることがわかります。
 イエス様の救いをいただいた喜び、イエス様と共に歩む喜び、イエス様のみことばに従う喜び、イエス様によって矯正される喜び、イエス様の苦しみに与れる喜びです。Ⅰテサロニケ5章でも「いつも喜んでいなさい」と言われている前段には、喜びとは程遠いようなことが勧められています。実はその中にこそ本当の喜び、イエス様に従う喜びがあります。(Ⅰテサロニケ 5:12~15)

 ①指導者を認める。②兄弟を戒め、励まし、助ける。寛容であり続ける。③悪に対して善を報いる。

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