「バルクよ。イスラエルの神、主は、あなたについてこう仰せられる。
あなたは言った。『ああ、哀れなこの私。主は私の痛みに悲しみを加えられた。私は嘆きで疲れ果て、いこいもない。』
あなたが主にこう言うので、主はこう仰せられる。『見よ。わたしは自分が建てた物を自分でこわし、わたしが植えた物を自分で引き抜く。この全土をそうする。
あなたは、自分のために大きなことを求めるのか。求めるな。見よ。わたしがすべての肉なる者に、わざわいを下すからだ。―主の御告げ。―しかし、わたしは、あなたの行くどんな所ででも、あなたのいのちを分捕り物としてあなたに与える。』」 エレミヤ 45: 2~5
人は、がんばっているのに、思い通りに事が運ばないと落胆し、不平不満が出てきます。そして自己憐憫の心になり、神様に対して不信仰に陥ります。《自己憐憫(じこれんびん):自分で自分をかわいそうだと思うこと。自分に対して憐憫の情を抱く事。》
書記バルクは、背教吹き荒れるユダの国で、神様を信じ、神様のためにエレミヤと共に預言の言葉を命がけで伝えました。しかし、王をはじめ民の指導者たちは、預言の巻物を燃やしてしまい、あからさまに主に逆らいました。(エレミヤ36:5~26)
バルクの言うことも分かります。神様の命令に忠実に従って必死で働いたのに、その通りにはならず、返って、反感を買い命の危険にさらされたからです。
バルクの主に対する熱心さは、あっと言う間に、主に対する不信仰へと変わって行きました。「こんなにがんばっているのに、神様はさらに苦しみを増し加えられた。なぜ思い通りに神様は働かないのだろう。真面目で忠実に働いて来た自分が本当にみじめでかわいそうだ・・・・。」
そんなバルクに、神様は
①私は主権者である。
②私は計画通り事を行う。
③あなたは自分の領域を超えてはならない。
④私はあなたを必ず守る。 と言われました。
自己憐憫に陥らないよう、忍耐して主イエス様とみことばに信頼しましょう。
善を行なうのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。ですから、私たちは、機会のあるたびに、すべての人に対して、特に信仰の家族の人たちに善を行ないましょう。 ガラテヤ 6: 9,10