「主に喜んで仕える」(礼拝メッセージ2014/05/11)

あなたがすべてのものに豊かになっても、あなたの神、主に、心から喜び楽しんで仕えようとしないので、あなたは、飢えて渇き、裸となって、あらゆるものに欠乏して、主があなたに差し向ける敵に仕えることになる。主は、あなたの首に鉄のくびきを置き、ついには、あなたを根絶やしにされる。 申命記 28:47,48

主は、モーセの最後の説教を通して、主への服従と不服従の結果の大きな違いを示しています。服従は祝福(申命記28:2~14)、不服従はのろい(申命記28:15~68)をもたらします。
主は、私たちをおおいに祝福し、必要のすべてを満たして下さっています。それでも主に感謝もせず、不平不満を鳴らして「愛が足りない、祝福が足りない、もっと祝福しろ、私が満足するものをよこせ、」と言い続けてわがままを押し通そうとするならば、主があなたに差し向ける「わがまま大王」に仕えるようになります。
主は、私たちを滅ぼしたり、いじめたりするためではなく、悔い改めて立ち返らせるためにあらゆる手を尽くされます(病、懲らしめ、恐れ、問題、壁、物質的欠乏、精神的混乱など)。
私たちは、イエス様のおかげで、いつでもどんな時でも悔い改めて主に立ち返り、やり直すことができます。また、人のやり直しを受け入れて共に喜び、共に歩むことができます。
主は、私たちが心から喜び楽しんで仕えるための要素をすでに与えて下さっています。

・イエス様・聖霊様・罪の赦し・救い・永遠の命・日々の糧・みことば・教会・兄弟姉妹・家族・使命・仕事など

しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。{それは明らかです。}衣食があれば、それで満足すべきです。 Ⅰテモテ 6: 6~8

足りることを知ること(すなわち内面の満足感)を伴った敬けんは、偉大な(すばらしい)益です(ので、それは確かに非常に大きな益の源であります。)Ⅰテモテ 6: 6(詳訳聖書)

見えるところや所有物や周りの状況に左右されない、イエス様とみことばをしっかり握った人生こそ喜びの人生です。

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