主イエス様がどれほど私たちひとりひとりに、良くして下さったか、良くして下さっているか、本当に忘れがちです。特に、現状が自分の思い通りに行っていないと思っている時は、主の憐れみと恵みの中にありながら不平不満のゆえに、たくさんの良いものを見失っています。
①どこから救われたのか
私たちも以前は、愚かな者であり、不従順で、迷った者であり、いろいろな欲情と快楽の奴隷になり、悪意とねたみの中に生活し、憎まれ者であり、互いに憎み合う者でした。しかし、私たちの救い主なる神のいつくしみと人への愛とが現われたとき、神は、私たちが行なった義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。 テトス 3:3~5
②不従順の時にも
主は情け深く、正しい。まことに、私たちの神はあわれみ深い。主はわきまえのない者を守られる。私がおとしめられたとき、私をお救いになった。私のたましいよ。おまえの全きいこいに戻れ。主はおまえに、良くしてくださったからだ。 詩篇 116: 5~7(ネへミヤ 9:17)
③自分の悟りに頼っている時にも
自分の心にたよる者は愚かな者、知恵をもって歩む者は救われる。 箴言 28:26,3:5(エレミヤ9:23,24)
主イエス様は、常に私たちに心を留めておられ、常に最善をなして下さっています。その事実・現実を信じて、主に拠り頼み、感謝して歩むなら、義と平安が約束されています。
あなたがたのうち、だれが主を恐れ、そのしもべの声に聞き従うのか。暗やみの中を歩き、光を持たない者は、主の御名に信頼し、自分の神に拠り頼め。イザヤ 50:10
それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。』 使徒 26:18