さて信仰とは〔私たちが〕望んでいる事柄を確信すること〈その確認、証書〉であり、〔私たちが〕見ていないものの証拠〈それらが事実であることの確信〉なのです《信仰は感覚に示されないものを真の事実として認めるのです》。 ヘブル 11:1(詳訳)
みことばが示す「信仰」とは、主観的・個人的・宗教的な信念、観念、妄信、気休めではありません。創造者・絶対者・救い主である真実な神様とそのお方のみことば(約束)を心から信じて従い、そのように生きることです。
1)信仰とは確信(ヘブル11:1)
信仰とは、霊的・永続的なものと、まだ実体として現われていない(見ていない)ものを実体として確信することです。旧約の信仰者たちは、神様の約束のことばを不十分なものとは考えずに、必ず実現するものとして捉え、それに沿って生涯を全うしました(ヘブル11:4~32)。
2)信仰によって世界の始まりを知る(ヘブル11:3)
人はすべての物事について、いくら努力をしても憶測・仮説・仮定・願望を述べることしか出来ません。宇宙の起源、人類の起源、人間の存在意義、人間の将来、世界の将来など、すべては信仰によらなければ知ることはできません。
3)私たちの信仰は、神様の喜び
信仰がなければ、彼に喜ばれること〈満足していただくこと〉はできません。なぜなら、神に近づこうと願う者はだれでも、神のいますことと、神ご自身を熱心に〈つとめて〉求め〔見いだす〕者には報いを与える方であられることとを、〈どうしても〉信じなければならないからです。ヘブル11:6(詳訳)
神様に近づこうと願う者とは、イエス様によって救いを受けた私たちのことです(ヘブル10:22)。私たちは、①イエス様は天のまことの聖所におられること(ヘブル9:24)。②再臨時の完全な御国の相続者になる特権の期待(ヘブル11:16)という信仰を持つことによって、神様は私たちを喜ばれます。
信仰とは、霊の目で捕らえる実体そのものであり、私たちの人生・命・存在そのものです。
揺らぐことのないみことば(神様・イエス様の教えと約束、使徒たちの教え)と聖霊様が私たちを教え導いて下さいます。独りよがりの私的解釈に陥らず、素直にみことばに聞いて従って行きましょう。(Ⅱペテロ1:20、Ⅱテモテ4:2~4)