しかし、彼ら、すなわち私たちの先祖は、かってにふるまい、うなじをこわくし、あなたの命令に聞き従いませんでした。
彼らは聞き従うことを拒み、あなたが彼らの間で行なわれた奇しいみわざを記憶もせず、かえってうなじをこわくし、ひとりのかしらを立ててエジプトでの奴隷の身に戻ろうとしました。それにもかかわらず、あなたは赦しの神であり、情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵み豊かであられるので、彼らをお捨てになりませんでした。 ネヘミヤ 9:16,17
神様の民イスラエル人は、捕囚から帰還してみことばを聞き、心から悔い改めました。
神様がいかに彼らを愛し、忍耐をもって臨んでこられたかが証しされました。
神様は、天地の創造主・裁き主・絶対者であって、ほめたたえられ、賛美され、信じられ、崇められ、仕えられるべきお方です。間違っても、けなされたり、侮辱されたり、軽んじられたり、不信の対象になったり、反逆されたりするようなお方ではありません。
このことはすべての人が理解し、知っていることです。しかし、イスラエルの民は大きなあわれみを受けていながら、恩を仇で返すような態度を繰り返してきました。しかし、その度に悔い改めて神様の大きなあわれみを受けてきました。
彼らが自分たちのために、一つの鋳物の子牛を造り、『これがあなたをエジプトから導き上ったあなたの神だ。』と言って、ひどい侮辱を加えたときでさえ、あなたは、大きなあわれみをかけ、彼らを荒野に見捨てられませんでした。昼間は雲の柱が彼らから離れないで、道中、彼らを導き、夜には火の柱が彼らの行くべき道を照らしました。 ネヘミヤ 9:18~20
ステパノも使徒の働き7章で同じように証ししています。
私たちも自分自身の主に導かれた過程とクリスチャン生活を振り返ってみましょう。
天地の主を父なる神様として信じさせていただいて、救い主イエス様によって救っていただきました。
私たちは、いつも主を第一として、賛美と誉れと感謝をささげているだろうか。心から喜んで従っているだろうか。主に仕え、兄弟姉妹に仕え、主の働きを喜んでやっているだろうか。間違って、主を侮辱したり、主に反抗したり、不忠実になっているところはないだろうか。
主を愛する者(口先だけではない者)に祝福は与えられます。