神様の遍在性(広くあちこちにゆきわたって存在すること)とは、神様は無限であり、いたるところに臨在されることを意味します。もちろん、汎神論(万物は神の現れであり、万物に神が宿っており、一切が神そのものであるとする宗教・哲学観)やニューエイジ(精神世界。宇宙や生命という大きな存在と自己とのつながりや、人間のもつ無限の潜在能力を強調し、個人の霊性・精神性を向上させることを目指す思想・実践)とは全く違います。
1.遍在の神様
私はどこへ行けるでしょう。あなたの御霊から離れて。どこへ逃れられるでしょう。あなたの御前を離れて。詩篇 139:7
神は私たち一人ひとりから遠く離れてはおられません。『私たちは神の中に生き、動き、存在している』のです。使徒 17:27,28
神様は、私たちから遠く離れて存在する無縁でかけ離れた存在ではありません。人格をお持ちになり、時空を超えてあらゆるところ、私たちの近く、私たちの内におられるお方です。
2.すべてを見ておられる
わたしは近くにいれば、神なのか。──主のことば──遠くにいれば、神ではないのか。人が隠れ場に身を隠したら、わたしはその人を見ることができないのか。──主のことば──天にも地にも、わたしは満ちているではないか。──主のことば エレミヤ 23:23,24
ですから彼らを恐れてはいけません。おおわれているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずにすむものはないからです。マタイ 10:26
当時、イスラエルの支配者は悪政を行い、宗教指導者は偽りの預言によって主に背いていました。主は自分たちの罪を見てはいないと高を括っていました。しかし、主は全地に満ちていると言われます。
3.安心して頼る
ユダヤ人を恐れて戸に鍵がかけられていた。すると、イエスが来て彼らの真ん中に立ち、こう言われた。「平安があなたがたにあるように。」 ヨハネ 20:19
弟子たちは、主と慕ってきたイエス様が捕らえられて死刑に処せられたことによって、自分たちの身に危険が及ぶことを恐れ、恐怖に震えながら身を隠していました。そこに遍在されるイエス様が現れて平安あれとおっしゃってくださいました。
さらに、最後の晩餐で「昇天後に聖霊様が下られて、信じる者に内住される」との約束が成就しました。
父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださいます。・・・わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。あなたがたのところに戻って来ます。 ヨハネ 14:16~18
あなたは、遍在される主に不服従のために怯えて生活しますか、それとも主がいつも共にいてくださることを喜び、感謝して、主を畏れつつ、安心と慰めと平安をいただいて生活しますか。