「最後の審判(1)」

 今日のテーマは黙示録38「最後の審判(1)」です。人はだれでも、神様の恐ろしい審判を受けたいとは思いませんが、もしも審判がないとすれば神様の義と公平性が確保できません。終りの日には最終的なさばきがあらゆるものに下されます。

1.旧約聖書の記述
 しかし、主はとこしえに御座に着き さばきのために王座を堅く立てられた。主は義によって世界をさばき 公正をもって もろもろの国民をさばかれる。詩篇 9:7,8

 主は国々の間をさばき、多くの民族に判決を下す。イザヤ 2:4

 天地万物を創造され、私たち人間を創造された主権者であられるお方は、常にご自身の基準と義を打ち立てておられます。人間が人格のないロボットのような存在であれば善悪の基準も自分の行動への責任もなかったでしょう。神様はご自身の前に私たちがどのように歩んできたのかを審判されます。

2.新約聖書の記述
 なぜなら、神は日を定めて、お立てになった一人の方により、義をもってこの世界をさばこうとしておられるからです。神はこの方を死者の中からよみがえらせて、その確証をすべての人にお与えになったのです。」使徒 17:31

 ・・・主イエスが、燃える炎の中に、力ある御使いたちとともに天から現れるときに起こります。主は、神を知らない人々や、私たちの主イエスの福音に従わない人々に罰を与えられます。そのような者たちは、永遠の滅びという刑罰を受け、主の御前から、そして、その御力の栄光から退けられることになります。Ⅱテサロニケ 1:7~9(マタイ 16:27)

 イエス様は御使いと共にやって来られ、私たちがご自身の福音に従ったかどうかを問いただされます。イエス様の十字架と復活がすべての人々に明確に示されているので、だれ一人弁明できる人はいません。

3.弁護してくださる方
 神は、善であれ悪であれ、あらゆる隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからである。伝道者 12:14(へブル 4:13)
 
 もし私たちが、真理の知識を受けた後、進んで罪にとどまり続けるなら、もはや罪のきよめのためにはいけにえは残されておらず、ただ、さばきと、逆らう者たちを焼き尽くす激しい火を、恐れながら待つしかありません。へブル 10:26,27

 神様がなされる審判とは、神様の絶対的な義を示すものです。しかし、愛なるイエス様は私たちのために執り成し、私たちの犯す罪に対しても弁護してくださるお方です。さらに、私たちといつも共にいてくださる助け主なる聖霊様を与えてくださいました(ヨハネ 14:16)。

 ・・しかし、もしだれかが罪を犯したなら、私たちには、御父の前でとりなしてくださる方(弁護する方:第3版)、義なるイエス・キリストがおられます。Ⅰヨハネ2:1

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