「貧乏人ラザロ」(聖日礼拝メッセージ 2023/02/26)

 今日の新約聖書の人物は「貧乏人ラザロ」です。イエス様は弟子たちやパリサイ人たちに、神様に対する悔い改めと救いを受けることの大切さを教えるために、放蕩息子などの話をする流れでこの「貧乏人ラザロと金持ち」の話をしました。イエス様は私たちの人生においてとても大切なことを教えてくださいました。人間的評価と神的評価の大きな違いです。

1.金持ちと貧乏人ラザロ
 ある金持ちがいたが、〈いつも〉紫の着物と細糸の亜麻布を着て、毎日はでにどんちゃん騒ぎをして〈宴会〉を催して〈楽しく暮らして〉いた。ところが、彼の門の所に、ラザロという、〈こじきになり果てて、ただれた〉できものでおおわれた、どん底の生活困窮者が、〈だれにも相手にされずに〉放り出されていた〈放置されていた〉。彼は金持の食卓から落ちる物で空腹を満たしたいと〔しきりに〕願っていた。そのうえ、犬までも来て、彼のできものをなめていた。ルカ 16:19~21(詳訳)

 私たちは外見だけで人を判断しやすいので、毎日楽しく贅沢に暮らしている金持ちは人生の成功者に見えて憧れ、片や、病気で物乞いをするラザロは嫌悪して「自業自得だ。いい加減な生活をしてきたからだ。」と軽蔑します。当の金持ちも何も自分の人生に疑問を持たなかったことでしょう。

2.アブラハムの懐と炎熱の苦しみ
 このこじき〈になり果てた人〉は死んで、み使いたちによってアブラハムのふところに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。彼〔金持ち〕はハデス〔死者の世界〕で苦しみながら、目を上げると、はるか向こうにアブラハムとそのふところにいるラザロが見えた。ルカ 16:22,23(詳訳)

 金持ちも貧乏人ラザロも同じく死を迎え、その後大逆転劇がありました。二人の行き着いたところは全く対照的でした。金持ちが悪で、貧乏人が善というわけではありません。ラザロは神様に対する信仰を持っており、救いを信じていました。

3.聖書に従う大切さ
 アブラハムは言った。『・・・しかし今、彼は〔ここで〕慰められ、あなたはもだえ苦しんでいる。・・・私たちとあなたがたとの間には、・・・大きなふちが定め置かれている』。・・・『もし彼らがモーセと預言者とに聞かない〈耳を傾けない〉なら、たとい死人の中からよみがえる者があっても、彼らは・・・〈信じない〉・・・』ルカ16:25~31(詳訳)

 人々の間でほめそやされる〈尊ばれる〉ものは、神の前ではきらわれる〈忌みきらわれる〈憎みきらわれる〉。ルカ16:15(詳訳)

 イエス様は、信仰によって救いを受けた者が入る神の国と信じないで苦しむよみの大きな違いとその間の渡ることのできない大きな淵の存在、みことばを信じて聞き従うことの大切さを教えてくださいました。
 私たちが目指すべきものは神的評価(信仰、謙遜、感謝、悔い改め、服従)と天の故郷です。

 彼らが憧れていたのは、もっと良い故郷、すなわち天の故郷でした。・・・神が彼らのために都を用意されたのです。へブル 11:16

タイトルとURLをコピーしました