「復活(1)」(聖日礼拝メッセージ 2026/01/25)

 今日のテーマは黙示録35「復活(1)」です。終わりの時には、最後のラッパが鳴り響き、イエス様を信じる私たちは新しい栄光のからだに変えられてよみがえることが約束されています。

1.イエス様の復活
 だれも、わたしからいのちを取りません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。わたしには、それを捨てる権威があり、再び得る権威があります。わたしはこの命令を、わたしの父から受けたのです。ヨハネ 10:18

 イエス様は、律法学者らのねたみを買って捕らえられて十字架刑に処せられました。しかし、一方でイエス様は、明確にご自身の命を私たちに与えるために来たと(マルコ 10:45)おっしゃいました。父なる神様は、御子イエス様の罪なき生涯、完全な贖いをご覧になって満足され、よみがえさせられました。

 それで、後のことを予見し、キリストの復活について、『彼はよみに捨て置かれず、そのからだは朽ちて滅びることがない』と語ったのです。このイエスを、神はよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。使徒 2:31,32(詩篇 16:10)

2.私たちの復活
 〔そしてそれは〕最後のラッパの音〈が鳴り響くと〉ともに、たちまち、一瞬間に〔起こります〕。すなわち、ラッパが鳴り響くと、〔キリストにある〕死人は、滅びることのないもの〈腐ることのない、腐敗から免疫になったもの〉としてよみがえらせられ、私たちは、変えられる〈変化させられる〉のです。なぜなら、〔私たちの〕この滅びる〔部分〕は、滅びることのない〔性質〕を着、〔私たちの〕この死ぬ〔部分〕〈死の可能性のある性質〉は不死〈死からの自由〉を着なければならないからです。そして、この滅びるものが滅びることのないものを着、この死の可能性のあるものが不死を着るとき、「死は〈永久に〉勝利にのみこまれた〈完全に壊滅させられた〉《死は《永久に》のみこまれて勝利が確立した》」という聖書のことばが実現するのです。Ⅰコリント 15:52~54(詳訳)

 私たちの存在は、神様の前に罪と咎にまみれた滅ぶべきものですが、イエス様による「不死」を着せられることによって、罪と死は永久に飲み込まれてしまいます(イザヤ25:8,9)。イエス様の復活は私たちの救いと復活の保証です。

3.信じる者になりなさい
 ・・・信仰のない者〈信じないの〉でなく、〔不信仰はやめて〕信じなさい」。・・・私を見たことがなくて私を信じた〈心服した〈信頼した〈より頼んだ〉者は幸いである〈幸福である〈うらやむべきである〉」ヨハネ 20:27~29(詳訳)

 イエス様は「見たから信じる、見ていないから信じない」ではなく、「見ていないけど信じる」信仰が大切であり、幸福につながると教えてくださいました。私たちは見てはいないけど信じる信仰によって、終わりの日の希望を告白しましょう。(ローマ 8:11)

 イエスは彼女に言われた。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。ヨハネ 11:25

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