まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。だから、戒めのうち最も小さいものの一つでも、これを破ったり、また破るように人に教えたりする者は、天の御国で、最も小さい者と呼ばれます。しかし、それを守り、また守るように教える者は、天の御国で、偉大な者と呼ばれます。 マタイ 5:18,19
しかし律法の一画が落ちるよりも、天地の滅びるほうがやさしいのです。 ルカ 16:17
私たちにとって、今回の大震災は想像を絶する、思いもよらないことでした。あれほどの大地震、大津波など有り得ないことでした。まして、天地が滅びるなど考えられないことです。
しかし、イエス様は天地がひっくり返ったとしても、律法(聖書)の一点でも移り変わることがないと断言されました。
私たちの本当に求めるものは、決して変わらないものです。人の心は移り変わり、価値観や法律や基準は時代と共に変わっていきます。これこそ確かなものだと思ってつかんでも、時と共にもろくも崩れ去っていきます。
しかし、神様の言葉、イエス様の言葉は、天地が消え去っても変わりません。なんと、頼りがいのある確かなものでしょうか。
聖書の中に、神様の言葉が変わらないという記述があります。
1)主はイスラエルの国よりもみことばを大切にされた。
主は仰せられた。「わたしがイスラエルを移したと同じように、ユダもまた、わたしの前から移す。わたしが選んだこの町エルサレムも、わたしの名を置く、と言ったこの宮も、わたしは退ける。」 Ⅱ列王記 23:27
神様は世界で最も繁栄したイスラエル、ダビデ・ソロモンの王国を退けてしまわれました。人の目から見れば、「もったいない」、「神様の名誉のためにもイスラエル王国を保つべき」と思いますが、神様を捨てて偶像礼拝に走ったイスラエルを敵の手に渡しました。
神様は、イスラエル王国を保つことよりも罪を罰する義の道、みことばを堅持する道を選ばれました。
2)イエス様の救いの約束は変わらない。
高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。 ローマ 8:39
神様の「言葉、約束、祝福」は決して変わることがありません。
神様であるイエス様が、人となって来て下さり、十字架上で私たち罪人の身代わりとなって下さって救いを完成して下さいました。自分の罪を悔い改めて、イエス様を自分自身の救い主と信じる者は、罪赦されて救われ、永遠の天国に行くことができます。
天地がひっくり返っても、この神様の約束と救いは変わることがありません。
イエス様に感謝して従いましょう。