BCとは「キリスト以前」、ADとは「主の年」つまり主イエス様が生まれてからすでに2025年も過ぎたということです。現在の私たちクリスチャンは過去の主イエス様の誕生を祝い、主がもう一度来られる(マラナサ)という希望に生きています。
1.羊飼い(8節)
イエス様が誕生した時代は、羊飼いは社会の最下層の人々として見下されていました。それは取税人や遊女と同じ部類と見られていました。一方東方の博士たちは高価な贈り物を携えて、大勢の家来とともにやってきました。羊飼いはささげものがなかったにも係わらず、羊飼いの礼拝を良しとして認めています。彼らの全財産と言える羊を置いて、主イエス様に会うためにやってきた姿勢に、彼らの信仰を見だすことができます。
2.あなた方へのしるし(12節)
救い主のしるしとは「みどり子」「布にくるまれ」「飼い葉おけ」の3つです。裸で生まれた状態は権威も権力もない無防備な姿です。布に包まれていたのは特別さを隠している姿です。家畜の糞尿もある家畜小屋の飼い葉おけは庶民以下の出産場所です。どれひとつとっても救い主が生まれるとは思われない状況にあります。でもこれが聖書が強調するしるし(sign)であり、お金持ちや特権階級の救い主ではなく、貧しい人々に寄り添うお方としての救い主の誕生です。
3.「地には平和、みこころにかなう人々たちに」(14節)
ウクライナとロシアの戦争は3年が過ぎ去り、ガザでイスラエルとパレスチナの戦争が続いています。さらに日本においても難民・移民問題で争いが起こっています。昔も今もすべての人が願うのは、戦争がなく、政治的に安定し、経済が順調で、病気やけがのない幸福です。私たちはこれらの平和を望みますが、たとえ満たされないとしても神様にある平安を持つ秘訣を心得ています。インマヌエル(主がともにおられる)なるお方を心にお迎えしているからです。
結.信仰生活への適用
天使の知らせを聞いた羊飼いたちが「主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見届けて来よう」(15節)と行動したように、私たちもまた良い知らせ(福音)を見届けるために礼拝に参加することです。
マリアが「これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた」(19節)ことを信仰生活に適用すると、みことばを忘れないように心の中にとどめておくこと、熟考し日々の生活を顧みること、正しい道に導いていただくよう祈ること、そして積極的に行動することです。
あなたのみ言葉は、私の足の灯、私の道の光です。 詩篇119:105
藤島昇兄
