どんなにか私は、あなたのみおしえを愛していることでしょう。これが一日中、私の思いとなっています。
あなたの仰せは、私を私の敵よりも賢くします。それはとこしえに、私のものだからです。
私は私のすべての師よりも悟りがあります。それはあなたのさとしが私の思いだからです。
私は老人よりもわきまえがあります。それは、私があなたの戒めを守っているからです。
私はあらゆる悪の道から私の足を引き止めました。あなたのことばを守るためです。
私はあなたの定めから離れませんでした。それは、あなたが私を教えられたからです。
あなたのみことばは、私の上あごに、なんと甘いことでしょう。蜜よりも私の口に甘いのです。
私には、あなたの戒めがあるので、わきまえがあります。それゆえ、私は偽りの道をことごとく憎みます。
あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。 詩篇 119:97~105
詩篇を見ると著者がどれほどみことばを恋い慕っているかがわかります。敵と罪、自分自身の思い、困難と絶望、あらゆる状況の中で「頼るのはみことばだけ」になっています。
あなたはどれくらいみことばを慕い求め、認め、頼り、守っているでしょうか。
みことばはわたしを①賢くする。②悟りを与える。③わきまえを与える。④悪の道から守る。⑤偽りの道を憎む者にする。
著者は「早朝からみことばに思いを潜め。148節」「一日中みことばを思い。97節」「おしえと戒めを忘れない。」「おきてを行なうことに、心を傾ける。112節」「みおしえを喜ぶ。174節」これらのことに一生懸命です。
福音を説き聞かされていることは、私たちも彼らと同じなのです。ところが、その聞いたみことばも、彼らには益になりませんでした。みことばが、それを聞いた人たちに、信仰によって、結びつけられなかったからです。 ヘブル 4: 2
みことばは信仰によって結び付けられなければ私たちの内に生きて働くことはありません。単純にみことばを信じる者が祝福を受けます。