ホセアは、北王国イスラエル末期の預言者です。(Ⅱ列王記14:23~17:41)神様は、民を変わらず愛し、回復することを願って悔い改めへ導こうとしますが、イスラエルは偶像礼拝から離れず、神様に立ち帰ろうとはしませんでした。
イスラエルよ。あなたの神、主に立ち返れ。あなたの不義がつまずきのもとであったからだ。 ホセア 14: 1
知恵ある者はだれか。その人はこれらのことを悟るがよい。悟りある者はだれか。その人はそれらを知るがよい。主の道は平らだ。正しい者はこれを歩み、そむく者はこれにつまずく。 ホセア 14: 9
神様と共にある道は、デコボコの岩だらけで曲りくねった断崖絶壁の道ではありません。もし、そんな道であれば、人はつまずいてもしかたがないし、「私は無理」となってしまいます。
主の道は、まっ平らでまっすぐです。だれ一人としてつまずく要素がないので、神様は私たちに「つまずくことはない。つまずく必要はない。」とおっしゃって下さいます。
私たちが主に従うことに臆病になったり、あきらめたりする必要はありません。
「つまずきの石、妨げの岩。」なのです。彼らがつまずくのは、みことばに従わないからですが、またそうなるように定められていたのです。 Ⅰペテロ 2: 8
ですから、兄弟たちよ。ますます熱心に、あなたがたの召されたことと選ばれたこととを確かなものとしなさい。これらのことを行なっていれば、つまずくことなど決してありません。 Ⅱペテロ 1:10
兄弟を愛する者は、光の中にとどまり、つまずくことがありません。 Ⅰヨハネ 2:10
イエス様は「私につまずかない者は幸いです。」(ルカ7:23)とおっしゃいました。私たちがつまずく理由は、自分の考えを優先してしまって、みことばに従わないからです。
主の選びと救いと義認をしっかり捉え、祝福された者にふさわしく歩んで行くならば、つまずくことはありません。
私たちの心の中には、いつでも「主の恵みを放縦に変える」性質が頭をもたげて来るのです。いろいろな言い訳を考え出して、自分の心が満足し、自分が楽をし、自分が賞賛され、自分が恥をかかない道を選択してしまい易いのです。
そして、「教会につまずいた。あの人につまずいた。」と言って自分を正当化して、主と教会と兄弟姉妹から離れ去って行くのです。
イエス様と共にある「苦しみと喜び」の道を歩んで行きましょう。イエス様の愛と哀れみは変わることがありません。
主の道は平らです。つまずくことはありません。