主は情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵みに富んでおられます。 主はすべてのものにいつくしみ深く、そのあわれみは、造られたすべてのものの上にあります。 詩篇 145: 8,9
主は倒れる者をみなささえ、かがんでいる者をみな起こされます。すべての目は、あなたを待ち望んでいます。あなたは時にかなって、彼らに食物を与えられます。 詩篇 145:14,15
ダビデは主の情け深さ、あわれみ深さを経験してきました。サウロから命を狙われ、打ちひしがれ、疲れ果て、倒れていた時に幾度となく力づけられ、助けられてきました。
エフライムよ。わたしはどうしてあなたを引き渡すことができようか。イスラエルよ。どうしてあなたを見捨てることができようか。どうしてわたしはあなたをアデマのように引き渡すことができようか。どうしてあなたをツェボイムのようにすることができようか。わたしの心はわたしのうちで沸き返り、わたしはあわれみで胸が熱くなっている。 ホセア 11: 8
主は、背信の北イスラエル王国に対しても「神の義と愛」の間でジレンマに陥られるが、やはり見捨てることができません。父親としての熱い胸のうちを明かしておられます。我が子イスラエルに対して、ソドムとゴモラと同様に滅ぼされたアデマやツィボイムのように滅ぼすことができない。と言っておられます。
私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。 ローマ 8:38,39
イエス様の誕生、生涯、十字架の死に思いを馳せる時に、神様の私たちに対するあわれみ深さを知らされます。肉の父親も不完全ではありますが、我が子のために命を懸けます。
まして完全な霊の父であればなおさらのこと、私たちをあわれんで下さいます。どんなに出来が悪く、失敗だらけで、弱い者であっても、失望落胆してかがんでしまっていても、主はそばに来て起こしてくれます。ハレルヤ。