あざける者を戒める者は、自分が恥を受け、悪者を責める者は、自分が傷を受ける。あざける者を責めるな。おそらく、彼はあなたを憎むだろう。知恵のある者を責めよ。そうすれば、彼はあなたを愛するだろう。知恵のある者に与えよ。彼はますます知恵を得よう。正しい者を教えよ。彼は理解を深めよう。
主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである。 箴言 9: 7~10
聖書には、みことばに従順な者と不従順な者が登場しています。主に従おうとする者は教え、忠告、戒めを素直に聞いて決断し、主に信頼して自ら努力します。しかし、自分中心に生きる者は、教え、忠告、戒めを毛嫌いし、いろいろな言い訳をこじつけてそれらを受け入れようとしません。イエス様とみことばに従わなくてもいいように理由を並べて自分の都合の良いように生きていくと、今度は、その自分が作った言い訳の中に捉えられていきます。そうすると、自分が望んでいた状況、すなわちイエス様から離される道に入り込んで行かされます。
分派を起こす者(異端的な分派主義で分裂の原因である者:詳訳)は、一、二度戒めてから、除名しなさい(彼となんの関係も持たないように:詳訳)。 テトス 3:10
また、彼は私に言った。「この書の預言のことばを封じてはいけない。時が近づいているからである。 不正を行なう者はますます不正を行ない、汚れた者はますます汚れを行ないなさい。正しい者はいよいよ正しいことを行ない、聖徒はいよいよ聖なるものとされなさい。」 黙示録 22:10,11
聖書は、クリスチャンが信仰深い方向と不信仰の両極へ向かって行くと語っています。今一度、イエス様が私たちに求めているものを確認して応えて行きましょう。
主は、感謝のいけにえ(礼拝、賛美、感謝、祈り、献金、自分自身)と誓いを果たすことを求めておられます。
感謝のいけにえを神にささげよ。あなたの誓いをいと高き方に果たせ。 詩篇 50:14