ああ。主に自分のはかりごとを深く隠す者たち。彼らはやみの中で事を行ない、そして言う。「だれが、私たちを見ていよう。だれが、私たちを知っていよう。」と。
ああ、あなたがたは、物をさかさに考えている。陶器師を粘土と同じにみなしてよかろうか。造られた者が、それを造った者に、「彼は私を造らなかった。」と言い、陶器が陶器師に、「彼はわからずやだ。」と言えようか。 イザヤ 29:15,16
主は、愛するアリエル(シオンの山、エルサレム)を愛するがゆえにアッシリヤによって懲らしめて、悔い改めへと導きます。口先だけで主をあがめ、人間的な教えしか受け入れない彼らは、真理から全く遠ざけられてしまいました。(イザヤ29:9~14)
へりくだる者は主によっていよいよ喜び、貧しい人はイスラエルの聖なる方によって楽しむ。 イザヤ 29:19
しかし、心から悔い改めて主に従う者だけが霊的な回復を見るのです。主は、愛するイスラエルを虐げたアッシリヤを滅ぼしてイスラエルを救い出されます。
それゆえ、アブラハムを贖われた主は、ヤコブの家について、こう仰せられる。「今からは、ヤコブは恥を見ることがない。今からは、顔色を失うことがない。
彼が自分の子らを見、自分たちの中で、わたしの手のわざを見るとき、彼らはわたしの名を聖とし、ヤコブの聖なる方を聖とし、イスラエルの神を恐れるからだ。
心の迷っている者は悟りを得、つぶやく者もおしえを学ぶ。 イザヤ 29:22~24
人にとって大切なことは、主に対する悔い改めです。主と主のみことばに逆らうという「罪」に負けてしまったことを悔い改めて主とともに歩むならば、主は、私たちを助けて下さいます。主は、主を待ち望む者に恵みと哀れみを与えようと待っておられます。主は、求める者に行くべき道を示して下さいます。(イザヤ30:18,21)
あなたと私の何が主の働きを妨げているのか。へりくだって主に尋ね、悔い改めて主の働きと栄光を見させていただきましょう。
主の弟子となることを追求しましょう。真理から遠ざけられることほど恐ろしいことはありません。