諸国の民は、イスラエルの家が、わたしに不信の罪を犯したために咎を得て捕らえ移されたこと、それから、わたしが彼らにわたしの顔を隠し、彼らを敵の手に渡したので、彼らがみな剣に倒れたことを知ろう。
わたしは、彼らの汚れとそむきの罪に応じて彼らを罰し、わたしの顔を彼らに隠した。それゆえ、神である主はこう仰せられる。今わたしはヤコブの繁栄を元どおりにし、イスラエルの全家をあわれむ。これは、わたしの聖なる名のための熱心による。 エゼキエル 39:23~25
この箇所は、バビロン捕囚とそこからの回復(帰還)、または終末における悪魔的勢力の反抗と主の日・イスラエルの回復と言われています。
神様は、イスラエルと諸国民にあらゆる方法でご自身がすべての主権者であることを知らしめます。
1.ご自身の民であっても罪があれば、敵の手に渡す。(23節)
2.主を侮り、主の民を虐げる敵を罰する。(6節)
3.主の民は、救い出されて自らの罪を自覚する。(26節)
4.主の民が回復した時、諸国民は主を知る。(27節)
5.主が聖さを示した時、主を知る。(27節)
わたしは主、これがわたしの名。わたしの栄光を他の者に、わたしの栄誉を刻んだ像どもに与えはしない。 イザヤ 42: 8
主は、ご自身の聖なる御名・栄光を大切にされます。
主は、罪とは妥協されませんが、私たちを憐れんで下さり、回復させるために熱心な取り組みで救いを成し遂げて下さいました。
主は、今も変わらず熱心に働いておられ、私たちも熱心さが求められています。主に対する熱心さが私たちを祝福します。いい加減な気持ちではつまづいてしまい、祝福を逃してしまいます。
私たちの熱心とは、善行や努力を認めてもらうのではなく、イエス様を愛し、服従する思いであり、みことばを信じきる意思です。
ですから、兄弟たちよ。ますます熱心に、あなたがたの召されたことと選ばれたこととを確かなものとしなさい。これらのことを行なっていれば、つまずくことなど決してありません。
このようにあなたがたは、私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの永遠の御国に入る恵みを豊かに加えられるのです。 Ⅱペテロ 1:10,11 (ヘブル 6:11 Ⅰペテロ 4: 8)