「主を恐れない者と主を恐れる者」(礼拝メッセージ2013/05/12)

 あなたがたは言う。「神に仕えるのはむなしいことだ。神の戒めを守っても、万軍の主の前で悲しんで歩いても、何の益になろう。今、私たちは、高ぶる者をしあわせ者と言おう。悪を行なっても栄え、神を試みても罰を免れる」と。      マラキ 3:14,15

 マラキの時代は、ハガイとゼカリヤが、神殿再建の激励をしてから80年後のことです。約束された繁栄が実現しなかったため民は幻滅し、神様への信仰が後退し、その心の態度は、神様のおきてや礼拝に対する不真実な行動として現れました。

「神様を恐れない者」・偶像崇拝者、不品行、偽証人、弱者を虐げる者
・十分の一の奉納物を奉納しない者
・神様を軽んじる者
■結果:さばかれる。のろわれる。不作となる。焼き尽くされる。


「神様を恐れる者」・神様のおきてを守る者
・悔い改めて立ち返る者
・十分の一の奉納物を奉納する者
□結果:主のものとなる。溢れるばかりの祝福。幸せ者と呼ばれる。
 神様の宝となる。神様の子としてあわれみを受ける。
 子牛のように喜ぶ者となる。


 今はまさに、不信仰の時代です。それは、クリスチャンと呼ばれる人々の間でも例外ではありません。自分のイメージどおりの祝福と思われるものがやってこないので、神様に愛想をつかして自分なりの信仰と思われるものを求めています。
 そこには「神様・イエス様・教会の指導者・兄弟姉妹・未信者の人々」に仕える心、のために苦しむ心、と苦難を共にする心は、ありません。自分に都合の良い教え、耳障りの良いことば、自分の楽しさだけを求めてさ迷っています。
 しかし、本当の祝福をいただくのは主に仕える者だけです。バプテスマのヨハネのような主の働き人になりましょう。働き人が与えられるように祈り求めましょう。 (ルカ10:2)

 彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。それは、わたしが来て、のろいでこの地を打ち滅ぼさないためだ。」                  マラキ 4:6

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