コリント教会には、パウロの使徒的権威と行動を批判するユダヤ人クリスチャンの派閥がありました。彼らは、知識や雄弁さを求め、うわべだけで人を評価していました。その結果、霊的に惑わされ、にせ使徒たちを受け入れて教会に混乱と霊的後退を招いてしまいました。
あなたは、何を誇り(自慢)にしていますか。私たちは、ある人たちの「誇り(自慢)」に惑わされてはいけません。
①自己推薦や働きを自慢する者。(Ⅱコリント10:12,13,15,16)
私たちは、自分を高く評価してもらうために、ことさらに自分をアピールしたり、行動や成果をひけらかしたくなるものです。しかし、すべての良きものを下さったのは主イエス様です。
誇る者は、主にあって誇りなさい。
自分で自分を推薦する人でなく、主に推薦される人こそ、受け入れられる人です。 Ⅱコリント 10:17~18(Ⅰコリント 4: 7)
②巧みな話術で惑わす。(Ⅱコリント11:4,13~15)
雄弁さを自慢する者は、偽キリスト、偽福音、偽りの霊を知らない間に浸透させる。
③心まで支配されている。(Ⅱコリント11:19,20)
自慢する者は、教会の上に君臨して兄弟姉妹を支配する。
パウロこそ彼ら以上に、使徒として、兄弟姉妹の霊的親として、払った犠牲によって誇ることができました。しかし、パウロは、苦しみと弱さ、主の働き(幻と啓示)を誇りとしました。
このような人について私は誇るのです。しかし、私自身については、自分の弱さ以外には誇りません。 Ⅱコリント 12: 5
ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。 Ⅱコリント 12: 10
間違ったもの(自分自身、肉的な力)を誇りとすると、大きくて深い落とし穴に陥ってしまいます。主イエス様ご自身と主イエス様からいただいているもの(恵みとあわれみ)を誇りましょう。