誘惑に負けて悪に走らない人は幸いです。なぜなら、神様を愛する人に約束された、いのちの冠を、ほうびにいただけるからです。悪事に手を出したくなった時、神様から誘惑されたなどと、言ってはなりません。神様が悪事を望まれるはずはありませんし、また、悪事へ誘ったりもなさるわけもないのです。人は自分の悪い考えや願いに引きずられて、誘惑されるのです。その悪い考えが悪事へと駆り立て、ついには、神様から永遠に引き離される、死の刑罰へと追いやるのです。ですから、愛する皆さん、決して道を誤ってはいけません。 ヤコブ 1:12~16(リビングバイブル訳)
私たちの心の奥底にある罪の性質(自分の思いを成し遂げ、主イエス様に逆らおうとするこころ)は、絶え間なく頭をもたげてきます。自我を通すため・自分を正当化するために、神様でさえ利用しようとします。
みことばに沿っていないことでも、あたかも神様が太鼓判を押してくださったかのように、自分と周りを納得させようとします。しかし、それは自分の悪い考えや願望に引きずられているだけのことです。
神様は、私たちを耐えられないような試練には合わせないと、約束してくださっています(Ⅰコリント10:13)。とすれば、神様が誘惑したのではなく、自分の欲が、自ら踏み込んで行ったことがわかります。
その結果、自己保身と自己満足だけで終わるのではなく、神様から永遠に引き離される、死の刑罰へと続いてしまいます(実は、自分が望んでいたことなのですが・・・・)。
ですから、神様からのご褒美である「いのちの冠」をいただくことを、ダサいこと・どうでもいいこと・所詮無理なことと考えてはいけません。
「愛する兄弟たち。決して、だまされてはいけない」(:16)と忠告されています。(Ⅰヨハネ3:7~12)
ですから、生活を総点検して、どんな悪をも、すっかり取り除いてしまいなさい。そして、すばらしい神様のことばを受け入れて、謙虚に喜びなさい。そのことばには、私たちの心をしっかりとらえ、たましいを救う力があるからです。:21(リビングバイブル訳)
私たちに必要なのは、神様とイエス様に逆らったことに対する悔い改め、みことばを喜ぶ信仰とみことばの実行(:22)です。