「主のおしえ」(礼拝メッセージ2015/05/10)

ダビデ王は王位を息子ソロモンに渡し、死を目前にして最後のことばをソロモンに与えました。「神様のみこころに従った信仰の人」ダビデは、神様を信頼し、神様と共に歩んできましたが、その生涯は順風満帆ばかりではありませんでした。その経験から、王として、人としての生き方を残しました。

ダビデの死ぬ日が近づいたとき、彼は息子のソロモンに次のように言いつけた。「私は世のすべての人の行く道を行こうとしている。強く、男らしくありなさい。あなたの神、主の戒めを守り、モーセの律法に書かれているとおりに、主のおきてと、命令と、定めと、さとしとを守って主の道を歩まなければならない。あなたが何をしても、どこへ行っても、栄えるためである。  Ⅰ列王記 2: 1~3

イスラエルの神は仰せられた。イスラエルの岩は私に語られた。『義をもって人を治める者、神を恐れて治める者は、太陽の上る朝の光、雲一つない朝の光のようだ。雨の後に、地の若草を照らすようだ。』 まことにわが家は、このように神とともにある。とこしえの契約が私に立てられているからだ。このすべては備えられ、また守られる。まことに神は、私の救いと願いとを、すべて、育て上げてくださる。  Ⅱサムエル23: 3~5

ダビデは詩篇19篇でこのようにも歌っています。

主のみおしえは完全で、たましいを生き返らせ、主のあかしは確かで、わきまえのない者を賢くする。主の戒めは正しくて、人の心を喜ばせ、主の仰せはきよくて、人の目を明るくする。 主への恐れはきよく、とこしえまでも変わらない。主のさばきはまことであり、ことごとく正しい。  詩篇 19: 7~9

大切なことは、クリスチャン、ノンクリスチャンを問わず、すべての人は、神様のみことばである聖書を唯一の規範として生きるべきです。そこに喜び、平安、楽しみ、感謝、きよめがあり、私たちを滅びへと陥れる罪からの守りがあります。

聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。 Ⅱテモテ 3:16,17

あなたは聖書のみことばのおしえを尊重し、それを守り、その道に歩んでいますか。みことばを軽んじることは、人間を中心とするヒューマニズム・人本主義です。人間の利益、心地良さ、満足を神様の教えより優先してしまう罪です。

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