人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から、報いが受けられません。だから、施しをするときには、人にほめられたくて会堂や通りで施しをする偽善者たちのように、自分の前でラッパを吹いてはいけません。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。マタイ6:1,2
聖書を見るとイエス様の一番嫌いなものは、「偽善」だと感じます。民衆や社会的弱者、弱っている人、病人、罪人(遊女、取税人)に対しては、やさしく憐れみを示しておられますが、律法尊重主義、宗教的いい加減さ、人に厳しく自分に甘い態度、高慢とさげすみ、利己的で自己中心な「偽善」に対しては、厳しく臨み、痛烈に批判されました。
イエス様は、神様の元へ来ようとする人々を邪魔し、神様のことばや思いをねじ曲げ、自分たちに利益を誘導して自分たちを高めようとする律法学者・パリサイ人とよく衝突しました。
イエス様が指摘したのは以下の点です。
1)人に重荷を負わせて自分は苦労しない。マタイ23:4
2)人々からの賞賛を得たがる。 マタイ23:5~7
3)天国への道を邪魔する。 マタイ23:13
4)弱者からの搾取。 マタイ23:14
5)新しい信者を悪へと導く。 マタイ23:15
6)神様に対するいい加減さ。 マタイ23:16~22
7)あわれみのない宗教行為。 マタイ23:23,24
8)見栄っ張り。 マタイ23:25~28
9)言行不一致。 マタイ23:29~36
イエス様は、人々の救いと信仰の成長、神様を喜ぶ生き方、神様に喜ばれる謙遜な生き方を一番に考えて私たちに仕えて下さいました。そのイエス様の対極にいたのが律法学者・パリサイ人です。自分の利益と立場のために、人々の救いを犠牲にすることは許されないことです。
しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。それは、うそつきどもの偽善によるものです。 Ⅰテモテ 4: 1,2
あなたがたは、すべての悪意、すべてのごまかし、いろいろな偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて、・・・・・・、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。 Ⅰペテロ 2: 1,2
終りの時代に惑わされて信仰から離れないように、純粋なみことばを常に慕い求めましょう。