「十字架の血による平和」(礼拝メッセージ2017/08/06)

今日は、72回目の広島原爆記念日です。人間は神様に敵対するとどこまでも残虐になります。広島平和都市記念碑に「過ちは繰り返しませぬから」と刻まれてはいますが、今も隣国からの核の脅威があります。イエス様が言われたように、私たちは憎しみによって隣人をも抹殺してしまう存在です(マタイ5:21,22)。そのような罪にまみれ、神様に敵対していた私たちをイエス様は、大いなるあわれみによって救い出して下さいました。

1.イエス様の死による和解
その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。  コロサイ 1:20

イエス様は自ら犠牲になられ、十字架上で罪無き血を流して私たちの罪を聖め、父なる神様との和解を成就されました。

2.聖く、傷なき者として御前に立たせるために
それはあなたがたを、聖く、傷なく、非難されるところのない者として御前に立たせてくださるためでした。コロサイ1:22

イエス様の十字架は、私たちを永遠の滅びから救い、聖い父なる神様の御前に、聖い者として立たせるためでした。

3.福音の望みからはずれず、信仰に踏みとどまる

ただし、あなたがたは、しっかりとした土台の上に堅く立って、すでに聞いた福音の望みからはずれることなく、信仰に踏みとどまらなければなりません。       コロサイ 1:23

福音の望みからはずれないとは、①土台はイエス様と聖書である。②イエス様が私の身代わりとなって死んでよみがえって下さった。③行いによらず、信仰によって救われた。ということをはっきりと確信し、この救いに対する信頼を、決して失わず、この希望から離れ去らないことです。
そうするならば、イエス様は私たちを聖く、傷なき者として神様の御前に立たせて下さいます。

聖霊様は「後の時代になると、惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われて信仰から離れる者が出る」と警告されました(Ⅰテモテ4:1)。悪霊の教えとは、神様中心・みことば中心ではない、人間中心の「人本主義、ヒューマニズム」です。
「私はダメなクリスチャンです」と、謙遜そうにしていても、その本質は「イエス様を信頼しない、みことばを受け入れない、自分の義と力で生きようとする」ヒューマニズムです。福音の望みからはずれないで、いつもイエス様に感謝しましょう。

タイトルとURLをコピーしました