主はモーセに言われた。「見よ、わたしはあなたがたのために天からパンを降らせる。民は外に出て行って、毎日、その日の分を集めなければならない。これは、彼らがわたしの教えに従って歩むかどうかを試みるためである。出エジプト記 16:4
モーセに率いられ、奇跡的に紅海を通ってエジプトから脱出したイスラエルの民は、主に感謝して喜んだのもつかの間、荒野の旅で水と食糧が不足してきたため、神様とモーセに対して「エジプトの方が良かった。我々を死なせるのか。」と不平を言いました。神様はそんな彼らに不思議な方法で天からのパン(マナ)を与えられました。
1.恵みのパン
神様は、彼らが約束の地カナンに入るまでの40年間、マナを与え続けられました。彼らは農作業によって苦労してパン(マナ)を得たのではなく、毎日天から降ってくるマナを集めるだけでした。信仰と感謝が必要です。
神様は彼らのつぶやきに対して、寛容な心で必要を備えて下さいました。
神様は、善人にも悪人にも等しく太陽を昇らせ、雨を降らせて下さいます(マタイ5:45)。私たちが生きるために必要な自然の恵みを受けているのは、当然の権利ではなく、神様の大きな恵みです。
2.試みのパン
マナをいただくためのルール(出エジプト16:11~31)
①毎朝、1人1オメル(2.3㍑)ずつ集める。
②その日の分はその日のうちに消費する。
③7日目の安息日にはマナは与えられないので、6日目に2日分集めて 火を通して保存する。
彼らは幾度となく神様の奇蹟、不思議、現れ、みことばを経験しながらも、3つの簡単なルールさえも守らない者がいました。神様は彼らを怒り、7日目の安息日には自分のところに留まって、主を礼拝するように命じられました。
3.いのちのパン
神のパンは、天から下って来て、世にいのちを与えるものなのです。」・・・イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。ヨハネ 6:33~35
モーセを通して与えられたパン(マナ)は、イエス様を現わす型です。
①イエス様はいのちのパン(ヨハネ6:47~59)⇒ 永遠のいのち
②みことばによって生きる(申命記8:3、マタイ4:4)⇒ 霊の糧
③聖餐式(マタイ26:26)⇒ 見える形でイエス様に与る
私たちは罪の束縛・永遠の滅びから救われましたが、イスラエルの民のように現状が思い通りに行かないといって、元の生活に戻ることを求めたり、つぶやいたり、主の命令に逆らったりしてしまいます。
イエス様の救いと恵みに心から感謝して、主が命じておられる道に進みましょう。イエス様と歩む道は、渇くことのない豊かな道です。