「しかし、キリスト者として苦しみを受けるのなら、恥じることはありません。かえって、この名のゆえに神をあがめなさい。
なぜなら、さばきが神の家から始まる時が来ているからです。さばきが、まず私たちから始まるのだとしたら、神の福音に従わない人たちの終わりは、どうなることでしょう。
義人がかろうじて救われるのだとしたら、神を敬わない者や罪人たちは、いったいどうなるのでしょう。
ですから、神のみこころに従ってなお苦しみに会っている人々は、善を行なうにあたって、真実であられる創造者に自分のたましいをお任せしなさい。」(Ⅰペテロ 4:16~19)
さばきがクリスチャンから始まっています。
イエス様を愛して従っているのか、それとも自分自身を愛しているのかが問われています。
「キリスト者として苦しみを受ける」とは、自分自身を喜ばせるのではなく、イエス様を喜ばせることです。
クリスチャン生活に苦しみは付き物です。
そんな時に、あなたのこころは平安ですか。
あなたは自分のたましいをだれに任せていますか。あなたの「もやもやした、辛くて叫びたいような、どこかにぶつけたいような、日本海溝に沈んでいるような、そっとしておいてほしいような、誰かにわかってほしいような」そんな気持をだれに任せますか。
神様以外の人や物ですか。自分自身で抱え込んでしまっていますか。
それとも真実な創造者であるイエス様にですか。
「ですから、あなたがたの今の苦しみが、神様のお心にそうものであるなら、なお続けて善を行ないなさい。そして、あなたがたを造られた神様に、すべてをお任せしなさい。神様から見捨てられることは、決してありません。」(Ⅰペテロ4:19)リビングバイブル
全幅の信頼を寄せる者をイエス様は決して見捨てません。
「ですから、神のみこころに従って虐待され(苦しみを受け)ている者は、正しい事を行ない、自分の魂をその創造者であられる忠実なかた(決して見捨てられることのないかた)に(預金をするように)おゆだねしなければなりません。 」(Ⅰペテロ4:9)詳訳聖書
正しい事を行い、銀行に預金するように普通に自然にイエス様に信頼しましょう。