「夜の訪問者ニコデモ」(聖日礼拝メッセージ 2021/07/25)

 クリスチャンはボーンアゲイン(born again)新生した者と言われます。今日のニコデモの経験は、私たちにも当てはまる経験です。ニコデモは、ユダヤ教のパリサイ派に属していました。パリサイ派は、神の戒め(トーラー)を一生涯守り抜くと神に誓約を立てた、ユダヤ教の中でも最も厳格な派です。いわば宗教的なエリート、ユダヤ人の指導者であり、学識・教養・地位・名声・権威を持っていた人たちです。また、彼は老年期に達していて、人生経験が豊かで、経済的にも豊か(クリスチャンになった後の姿:ヨハネ19:39)でした。

1.ニコデモは、なぜ「夜」に訪問したのか?
 「夜」と書かれているのには理由があります。おそらく周りの人の目を恐れていたのでしょう。しかし、イエス様を旧約聖書の真理を教えてくれる教師として認めた上で、教えを請いにやってきました。彼はとても謙遜な人で、熱心な求道心を持っていました。

 一般的に教会は敷居が高いと言われますが、神様はニコデモに対してしてくださったように、一人ひとりに的確な回答を与えてくださいます。私たちは、勇気を奮ってやっとの思いで来られる方々に対して、温かい言葉と笑顔で心から歓迎したいものです。

2.「水と御霊」による生まれ変わりとは?
 イエス様とニコデモの対話はうまく噛み合っていませんでしたが、イエス様は彼の悩みに対してズバリ答えられました。

 イエス様は大切なときには必ず「まことにまことに(アーメン、アーメン)」とはっきりおっしゃいます(ヨハネ3:3,5,11)。ニコデモが抱えていた問題「どうしたら、神の国に入れるのか」に対して、「新しく生まれる」ことであると答えられました。ニコデモには、母親の胎内からもう一度生まれるという発想しかありませんでした。イエス様は、「新しく」とは「上から」の意味であり、「水と御霊による」ことだと説明し、洗礼と聖霊様によるものだと教えてくださいました。

3.「蛇を上げたように」とは?
 「モーセが荒野で蛇を上げたように」(3:14)は、民数記21章の出来事からの引用です。ニコデモは旧約聖書に精通しているので、この箇所を引き出して、天から下った人の子と蛇として上げられた者は、イエス様ご自身を指していると説明されました。モーセが荒野で蛇の像を上げて、それを仰ぎ見た者が救われたように、人の子(イエス・キリスト)も上(十字架)に上げられ、この方を信じ仰ぎ見る者は救われます。つまり、誰でも、イエス様を仰ぎ見る者は、新生し、永遠のいのちを持ち、神の国を見、さらに神の国に入ることができると話されたのです。

 イエス様はなぜ十字架で死ななければならなかったのでしょうか?それは、人間の罪を神様に対してつぐなう犠牲の死でした。上げられた青銅の蛇は、罪の裁きの象徴です。しかし、心から悔い改めた者が仰ぎ見た時に、逆にいのちをもたらすものとなりました。同様にイエス様を青銅の蛇の姿に託して語りました。悔い改めた心をもって、十字架の主イエス様を仰ぎ見るときに、私たちは聖霊様によって整えられていきます。 (藤島昇兄)

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