「聖書・信仰のみ」(宗教改革記念日礼拝メッセージ 2021/10/31)

 今日は宗教改革記念日の礼拝です。今から500年前に起こった事件を見ていきます。さらに同じ頃、日本で起こっていたことも見ていきます。

 ・イエス様誕生からのキリスト教会の流れ(キリスト教界の変遷)
 ・宗教改革以降のキリスト教会の流れ(主要教派系統図)

1.宗教改革者ルターと今日的意義
 宗教改革はドイツの修道士、マルティン・ルターによって始められた教会改革です。彼は1483年ドイツの アイスレーベンという町で生まれました。当初の彼は、父親の希望に従い法律家を目指しますが、落雷を受けたのを機に突如修道院に入ります。そこで厳格な修行の日々を送りながら神学研究を進めました。この時、毎日のように読んだ聖書がルターの思想に大きな影響を与えたと言えるでしょう。
 さて、当時の教会(中世カトリック教会)は、世俗の栄華・権勢を追求した結果、教義が形骸化し、聖職者の腐敗が蔓延していました(当時の教皇レオ10世は、キリスト教の物語は儲かる話だと公言してはばからなかっ たとも言われています)。さらに、ローマのサン・ピエトロ大寺院の改築費用の名目で、贖宥状(免罪符)が販売されるようになると「グルテン金貨が箱の中でチャリンと音を立てるやいなや、魂は天国に飛びあがるのだ」と宣伝され、人々は罪責からの解放を求めて贖宥状を買い求めました。
このお金で安易に救済される状況に宗教的危機感をもったルターは、1517年に『九十五箇条の提題』を発表し、神学者たちの討論を呼びかけようとしました。これが一般的に宗教改革の始まりとされています。

2.キリシタン大名高山右近
 宗教改革から約30年後の1549年、戦国時代の日本にキリスト教は伝来し、織田信長など権力者の庇護のもと布教されました。キリシタン大名として有名な高山右近は、奈良県宇陀市榛原区沢にあった沢城にて洗礼を受けました。しかし、豊臣秀吉はキリスト教弾圧に転じ、江戸幕府もキリスト教を禁止しました。厳しい弾圧の中で、キリスト教信者は隠れキリシタンとなって明治期までキリスト信仰を伝えました。(キリシタン禁制高札撤去1873年・明治6年)

3.宗教改革の3大原理
1)聖書のみ:聖書は旧約聖書39巻と新約聖書27巻の計66巻のみ。ルター が聖書をドイツ語に翻訳し、一般人も聖書が読めるようになった。  2)信仰のみ:贖宥状(免罪符)を買って天国へ行くのではなく、イエス ・キリストを信じる信仰のみ。
3)万民祭司:神様に直接祈ることができ、司祭を通す必要はない。

 福音には神の義が掲示されていて、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。ローマ1:17

 従来のカトリック神学では、「神の義」を「神が義なので、罪人を裁く義」と理解した。しかし、ルターは「不義である罪人が、救い主イエス・キリストを信じる信仰によって得られる義」と理解しました。それゆえ、もはや罪人はお金や善行を積むことなく天国へのパスポートを手にしました。それがルターが発見した恵み深い愛の神様なのです。(藤島昇兄)

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