「主の懲らしめ」(聖日礼拝メッセージ 2021/12/26)

 今日のテーマは、32「罰の有効性」です。罰則、罰金、懲罰、体罰、罰にあまり良いイメージはありませんね。果たして「罰、懲らしめ、訓練」は悪いもの、不要なもの、避けるべきものなのでしょうか。
 聖書は、「罰の有効性」について教えています。

1.懲らしめは悪か
 愚かさは子どもの心に絡みついている。懲らしめのむちがこれを子どもから遠ざける。 箴言 22:15

 エレミヤ書17:9に、「人の心は何よりもねじ曲がっている。(陰険で直らない。)」と記されています。私たちの心は生来自己中心であるため、躾け、教育、懲らしめを受けなければ、正しい道に行けない者です。

2.主の懲らしめ
 もしあなたが、私が今日あなたに命じる命令に聞き、あなたの神、主を愛し、主の道に歩み、主の命令と掟と定めを守るなら、・・・あなたを祝福される。しかし、もしあなたが、心を背け、聞き従わず、誘惑されてほかの神々を拝み、これに仕えるなら、・・・あなたの日々が長く続くことはない。申命記 30:16,17(Ⅱ歴代誌 33:1~9、エレミヤ 9:13,14)

 ・・・イスラエルの子らの罪を告白しています。まことに、私も私の父の家も罪を犯しました。ネヘミヤ 1:5~9

 神様は、ご自分の民イスラエルにいのちと幸い、死とわざわいを提示して、祝福を選ぶように命じました。しかし、彼らは神様を捨てて異教の神々を慕い、主の宮に偶像の祭壇を築くほど堕落してしまいました。神様は預言者を遣わして彼らを立ち帰らせようとしましたが、彼らは立ち帰らず、懲らしめとして異国へ捕囚となりました(アッシリア捕囚BC720、バビロン捕囚BC585)。異国の地で悔い改めたイスラエルの民は、神様のあわれみにより、ペルシアのキュロス王によって捕囚から帰還しました(BC538)。

3.主の懲らしめを軽んじてはいけない
 あなたがたに向かって子どもたちに対するように語られた、この励ましのことばを忘れています。「わが子よ、主の訓練を軽んじてはならない。主に叱られて気落ちしてはならない。主はその愛する者を訓練し、受け入れるすべての子に、むちを加えられるのだから」訓練として耐え忍びなさい。へブル 12:5~7(箴言 3:11,12)

 すべての訓練は、そのときは喜ばしいものではなく、かえって苦しく思われるものですが、後になると、これによって鍛えられた人々に、義という平安の実を結ばせます。 へブル 12:11

 罪を赦され、神様の子とされた私たちクリスチャンですが、いつも懲らしめをいただかなければ主の道からそれてしまいやすい者です。懲らしめは、神様や兄弟姉妹、家族やノンクリスチャンからも与えられます。
 懲らしめを受ける必要のないイエス様が、私たちの代わりに懲らしめを受け、私たちに平安と癒やしを与えてくださいました。

 彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒された。 イザヤ 53:5

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