「新しいぶどう酒は新しい皮袋に」(聖日礼拝メッセージ 2022/01/02)

人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、主が人の歩みを確かにされる。箴言16:9

序:聖書的背景
 イエス様の12弟子の一人に加わったレビの家で祝宴が開かれ、罪人や取税人が招かれた場面です。その宴会がユダヤ教の断食日に開かれたため問題となりました。それが4つのたとえ話しによる回答、1)花嫁の友人のたとえ、2)新しい着物と古い着物のたとえ、3)ぶどう酒と皮袋のたとえ、4)古いぶどう酒のたとえ、です。

1.ヨーロッパの宗教的迫害から逃れてきたアーミッシュ(動画)
 アーミッシュは、アメリカペンシルベニア州ランカスターにあるキリスト教のコミュニティーです。彼らは聖書を厳格に守り続け、移民当時の生活様式をそのまま保っています。自動車は使わず、馬車で農耕や牧畜を行い、自給自足の生活を営んでいます。現代文明を完全に否定しているわけではなく、受け継がれるべき自らの信仰の独自性の喪失を心配し、最低限必要なものだけを導入して生活しています。

2.イエス様が語った古いものと新しいものに関する二つの比喩
 1)新しい布切れと古い服 2)ぶどう酒と皮袋 
 古いものと新しいものの不適合性について語るこれらの比喩を通して、イエス様は、当時も根強く残っていた古いユダヤ世界の慣習と自らの新しい教えが相容れないことを語ろうとしたようです。これを現代的に解釈するなら、新しい時代には新しい考えがふさわしく、古い考え方に固執すべきではないということになるのでしょう。
 新しい生き方を始めようとするなら、古い生き方に一旦別れを告げて、新しく生まれ変わる必要があると語っています。イエス様の教えは、イスラエルの律法の古い枠(皮袋)に入れることはできないので、イエス様ご自身(新しいぶどう酒)が用意した新しい枠(皮袋)の中で生きていくことが必要です。パリサイ派の古い組織や制度に新しい働きを入れても、古いものもダメになってしまいます。新しい生き方は、イエス様の教える新しい皮袋によって生きることです。

 私たちは自分を縛っていた律法に死んだので、律法から解かれました。その結果、文字にはよらず、新しい御霊によって仕えているのです。ローマ 7:6

3.ラインホルト・ニーバー牧師が唱えた祈り(第二次大戦中~1943年)

 変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
 変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
 そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
 識別する知恵を与えたまえ。

 新型コロナウイルス感染拡大により、教会においても「新しい生活様式」ということばをよく耳にするようになりました。様々な形で自粛が求められ、行動が制限されていく状況の中で、インターネット礼拝もその一つです。そういう意味で、いつまでも古い殻に閉じこもっているのではなく、変えるべきことは変えて、聖書の福音に忠実でありたいと願います。                              (藤島昇兄)

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