今日のテーマは、Ⅷ.祈り「35.とりなしの祈り」です。私たちは、自分のためだけに、あれもこれも祈り求めやすいものです。聖書は、他の人のために愛をもってとりなすように命じています。
1.とりなしの祈りとは
とりなしの祈りとは、神様と国・集団・個人の間に立って、願い求める祈りのことです。
サムエルは不従順なイスラエルのため(Ⅰサムエル12:23)、ヨブは3人の友人のためにとりなすように命じられました(ヨブ 42:8)。そのほか、支配者(Ⅰテモテ 2:1,2)、救われていない人々(ルカ 23:34)、救われたばかりの人(Ⅱテサロニケ 1:11)、すべての聖徒(エペソ 6:18)、信仰が後退した人々(Ⅰヨハネ 5:16)、福音の働き人(エペソ 6:19,20)、さらに、敵(マタイ 5:44)のためにとりなすよう命じられています。
2.イエス様の祈り
「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」 ルカ 23:34(ステパノの祈り 使徒 7:59,60)
しかし、わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。 ルカ 22:32
イエス様は、自分を十字架に磔にして殺そうとする者たちのために,赦しを祈られました。また、保身のために自分を見捨てようとする弟子たちのためにも祈ってくださいました。私たちの救いと信仰は、イエス様のとりなしの祈りによって支えられています。ただ、イエス様がとりなしの祈りを弟子たちに命じたところがあります(マタイ 26:38)。
3.パウロの祈り
私たちは、あなたがたの顔を見て、あなたがたの信仰で不足しているものを補うことができるようにと、夜昼、熱心に祈っています。Ⅰテサロニケ 3:10(Ⅱコリント 13:9、ピリピ 1:9)
私はこの福音のために、鎖につながれながらも使節の務めを果たしています。宣べ伝える際、語るべきことを大胆に語れるように、祈ってください。エペソ 6:20(コロサイ 4:3,4、Ⅱテサロニケ 3:1)
パウロは、信仰の父親、先輩、同胞として、兄弟姉妹のためにいつもとりなしの祈りをしていました。そして、弱い自分のためにもとりなしてくれるように要請しました。
4.私たちのとりなし
とりなしの祈りは、私たちクリスチャンにしかできないことです。世界、母国、首相や大臣、各首長、各界の長、牧師や指導者、宣教師や伝道者、兄弟姉妹、未信者、教会から離れた人、敵対者のために祈りましょう。
王たちと高い地位にあるすべての人のために願い、祈り、とりなし、感謝をささげなさい。Ⅰテモテ 2:1
兄弟が死に至らない罪を犯しているのを見たなら、神に求めなさい。そうすれば、神はその人にいのちを与えてくださいます。Ⅰヨハネ 5:16