こういうわけで、私たちは揺り動かされない御国を受けているのですから、感謝しようではありませんか。
こうして私たちは、慎みと恐れとをもって、神に喜ばれるように奉仕をすることができるのです。 ヘブル 12:28
イエス様を信じている私たちだけが、心から喜んで感謝できる者であり、神様に喜ばれるように奉仕できる者です。
このみことばを心から信じて受け入れましょう。不信仰になって言い訳を並べ「神様に喜ばれる奉仕はできません」と言う者にはならないようにしましょう。
・兄弟愛をいつも持っていなさい。 ヘブル 13: 1
・旅人をもてなすことを忘れてはいけません。 ヘブル 13: 2
・牢につながれている人々を思いやる。 ヘブル 13: 3
・結婚がすべての人に尊ばれるようにする。 ヘブル 13: 4
・金銭を愛する生活をしない。 ヘブル 13: 5
・善を行なう。 ヘブル 13:16
・持ち物を人に分ける。 ヘブル 13:16
私たちはうれしいことやすばらしいことがあったら、家族や友人に伝えて共に喜びたいと思うものです。神様は、私たちと喜びを共有したいといつもいつも思っておられます。
あなたは、イエス様といっしょに喜びたいですか。あなたもイエス様に喜ばれ、イエス様と喜びを共有できるのです。
ですから、イエスも、ご自分の血によって民を聖なるものとするために、門の外で苦しみを受けられました。
ですから、私たちは、キリストのはずかしめを身に負って、宿営の外に出て、みもとに行こうではありませんか。
私たちは、この地上に永遠の都を持っているのではなく、むしろ後に来ようとしている都を求めているのです。 ヘブル 13:12~14
しかし、その喜びは苦しみを伴うものです。イエス様がエルサレムの都から郊外に出て十字架にかかられました。神殿のある宗教的な場所ではなく、ゴルゴダの丘で自ら苦しみを受けて犠牲となって下さいました。その大きな苦しみの結果として、イエス様を信じて救われる多くの喜びのクリスチャンを得たのです。
私たちもイエス様の喜びを共にするためにイエス様の苦しみに与りましょう。神様に喜ばれる奉仕を行なう時に苦しみが伴います。揺るがない御国をいただいている者は、イエス様に目を留めます。
だから私たちは、町の外に出て(この世の人たちの関心事をあとにし、人々からさげすまれることも覚悟して)、キリスト様のはずかしめを身に受け、共に苦しむために、この方のもとに行こうではありませんか。 ヘブル13:13(リビングバイブル)